「あれ、城ちゃんは?」
夏目は不思議そうに、しかし分かっていたかのように教室に入ってきた。
放課後の教室は夕日に照らされ、橙色の壁紙を一面に貼り付けているようだった。
真っ白なはずのカーテンまで色濃く染まっていて、昼は喧噪としていた教室もどこか暖かく優しいように見えた。
夏目は緩やかな足取りでこちらに近付いて来て目の前に立つと、にこりと笑った。
夏目の顔が、橙色に染まる。
「先に帰ってもらった」
「そっか。じゃあ、俺達も帰ろうか」
夏目は側に置かれたあたしの薄っぺらい鞄を手に持って、帰ろうと促した。
夏目は、普通だった。
いつもと変わりなく、いつものどこかへらりとした調子で、夏目は接してきた。
その点あたしはどうも夏目を素直に直視することが出来なくて、今日一日中変な神経を使った。
少しでも目が合えば、夏目はとても優しげな笑みでこちらを見返してくる。余計に気を使った。
あたしの手を引いて廊下を歩く夏目の手に片方の手をそえて、ゆっくりと一回り大きな手を退かした。
「…待って、夏目」
「神崎ちゃん?」
綺麗に整った眉を少し上げて、夏目が振り返った。
「……もう、答えが出たの?」
夏目はそう言って、しっかりとこちらに向き直った。
向かい合ったその距離が、いつもより少しだけ広く感じられて目を伏せた。
夏目は黙って、あたしが口を開くのを待った。
だらりと下げられた夏目の腕の先の指。中指でズボンの側面の縫い目をなぞっている。
それは夏目が何かを待つ時の癖で、中学の時からずっとだった。
視線に気付いたのか夏目はごめんと謝りながら縫い目わ弄るのをやめて指をそっと折り畳んだ。
また目を伏せて小さく息を吸った。
「…あたしなりに、考えた」
見つめた先の、夏目の目は揺れていなかった。
何を考えているか推し量るには、その瞳は真摯過ぎた。
夏目は少しだけ頷いてみせて、数回瞬きをした。
「あたしは、姫川が好きだ」
するりと、喉から出て来た。
こうして口にすることは簡単でも、伝えることはとても難しくて、どうしても憚られる。
こんな風に姫川に素直に伝えられたら、どれだけ楽だろう。
夏目はそっと目を閉じた。男にしては長い睫毛が、影を落とした。
「人に、こんな風に想われたことなんて今まで一度もなかった」
「…」
「だから、すごく嬉しかった」
「…うん」
夏目の瞳が見えた。
今までに見たこともないほどとても優しげで、暖かだった。
小さく、穏やかに返事をする夏目は薄く笑ってみせた。
不謹慎かもしれないが、とても綺麗だと思った。
しかし次にはもういつもの調子に戻っていて、へらりと笑いながら明るく声をあげた。
「神崎ちゃんの、そういうところが好き」
「そういうところ?」
「自分の気持ちに揺らぎがないところ」
そう言って夏目はあたしの手を取った。
撫でるわけでもなく、握るわけでもなく、ただ自分の手の上にあたしの手を置いた。
「姫ちゃんなんか選んだら、この先大変だよ」
「…分かってる。でも、あたしは」
「うん。好きなんでしょ」
それ以上言わなくても分かってるよ。
先程とは違う、抑揚のない少し低めの声だった。
手を見つめ、顔を落とす夏目の表情はよく見えなかったが、握る掌が強くなった。
ぎゅっと握られたかと思うと強く引かれて、気付けば目の前は夏目のベージュ色のカーディガンで一杯だった。
思わず息を呑んだ。
この前と同じで肩口に夏目の顔があって、背中に回された手があたしの制服を掴んだ。
「なつ、」
「最後だから。こんなことするのも。だから、許して」
ごめんね。
夏目は謝る。謝ることなんてないのに。
以前と違う所。抱きしめてくる肩が震えている所。肩口がじんわりと熱くなってくる所。
この前のように背中を叩くことすら憚られて、ただ夏目の背にそっと手を置いた。
抱きしめてくる力が強くなって、夏目の肩に力が入ったのが分かった。
「あー、もう」
大好き。