傍に来て笑って | ナノ
















あのあとどんなに拭っても涙は消えなくて結局家に帰っても止まらなかった。
泣きながら帰って来たあたしに、兄は少し狼狽えたようだったが何も言わずに部屋に紅茶を持ってきてくれた。
ベットで寝そべるあたしの頭を子供をあやすように何度も撫でてくる兄の手の温かさが心地好くて、気付けばそのまま寝入ってしまっていた。
朝起きてから風呂に入り、髪を拭きながら何とは無しに鏡を見たがそれはもう酷い顔だった。
目許の赤みが引かなくて目も充血している。表情が死んでいてとてもでないが学校に行けるような顔ではなかった。
このままでは姫川にまた何を言われるかわかったものではない。
どうしよう。何度も冷水で顔を洗っても治らなくて今日は休もうかと思った矢先、兄が風呂場のドアをノックした。



「一、城山君が迎えに来てるぞ」



困った。
洗面台に手をついて大きく息を吐いた。















城山はあたしの顔を見て一瞬驚いたように目を見開いて次の瞬間には大丈夫ですかと何度も心配そうに聞いてきた。
必死過ぎる城山に思わず吹き出して、このまま学校に行くのは気が引けるので昼過ぎまでどこかで時間を潰そうと持ち掛けた。
城山は頷いて夏目に連絡を入れた。電話越しに夏目の慌てる声が聞こえてきて二人で苦笑した。



それから昼過ぎまでふらふらして、顔がある程度元に戻ったことを確かめて学校に向かった。


「もー、二人とも寂しかったよ」


ばしばしと城山の肩を叩く夏目にも、顔のことは気付かれていないようで安心した。
こいつのことだから、朝の調子で登校していると慌てて騒ぎ立てるに決まっている。


「ね、神崎ちゃん。今日は一緒に帰ろうよ」


朝は城ちゃんと二人っきりだったんだから放課後は俺と二人で遊ぼうよ。
そう言う夏目に城山は苦笑してあたしを見た。
今日はあのワンピースを見たくない。
見たくてももう無いかもしれない。
溜息をついて、あたしも小さく苦笑して城山を見た。


「分かったよ。放課後はお前と二人な」

「やった!」


あそこに行ってあっちにも行って。指折り数えて行く場所を決める夏目に少し笑った。
















「ちょっと遅めの今日のおやつターイム。今日はケーキだよ」


放課後。夏目は、あたしと城山が学校に居なかった時買ってきたらしいケーキを机一杯に広げた。


「こんなに一杯…」

「好きなの食べていいよ」


にっこり笑う夏目も言いながらモンブランを手に取った。
これ食べた後出掛けようね。そう言ってプラスチックのフォークを手渡しながら、モンブランを頬張った口をもごもごと動かす。男子高生に何だが、ハムスターのようだった。
成る程、一見紳士的に見える一面こういう所が女を引き付けるのだなと妙に納得した。
チーズケーキを選んで、フォークで区切って口に放り込んだ。
しっとりとした甘さが口中に広がって、とても美味しかった。


「一つ聞いてもいい?」


もうモンブランを食べ終わったらしく、夏目は別の箱からマカロンを取り出した。
オレンジ色のそれを口にくわえながら、夏目は言った。
黙って先を促すと、マカロンを口の中に全ておさめて喉に通してからこちらを見た。


「今日姫ちゃんが突っ掛かってきてもずっと無視してたよね」


次に紫のマカロンを手に取ってかじりついた。これは夏目の言う問いではなく前置きだろうと判断して、また黙ったまま先を促した。

確かに今日一日姫川を無視していた。
今まででも昨日くらいの酷い嫌味はいくらでもあったが、何故か昨日は堪えきれなかった。
いつもと同じように突っ掛かってくる姫川を相手すると、また涙が出てしまいそうで今日は適当にかわして無視をしていた。


「それに学校に来た時神崎ちゃん、いつもとちょっと違うかったよね。雰囲気とか表情とか」


気付いていたのか。
チーズケーキに刺したフォークを止めて、夏目を見た。夏目はいつものちゃらけた表情とは違って、真剣な面持ちだった。
手を拭いて、あたしの頬をそっと撫でた。


「姫ちゃんと何かあったの?」


息が詰まった。

夏目は、何かと鋭い。
特に人の心情の変化や雰囲気など、そういった微微たる変化にいち早く勘付く。
こいつは、あたしが姫川を気にしていることを以前から知っていたのだと思う。いや確実にそうだ。
知っていて、どうしてそんなことを聞いてくるのだろう。あたしがどれだけ姫川に気があろうとも、姫川はあたしのことを疎ましく思っていることを夏目は知っている。
心情の変化に鋭いこいつなら、あたしが今日一日どんな気持ちで過ごしていたかなんて容易く察知出来ることだろう。
姫川と何があったかなんて、すぐに想像のつくことなんじゃないのか。
昨日のことが鮮明に思い出されて、また目頭が熱くなった。


「姫ちゃんに、酷いこと言われたりしたんじゃないの?」

「…そんなこと、」

「何でそんなに声が震えてるの?」


目の前のケーキが滲む。
夏目はあたしの頬を手の甲で撫でる。涙が溢れる。


「姫ちゃんのこと好きなのに、そんなふうに酷いこと言われて嫌じゃないの?嫌いにならないの?」

「夏目、」


言わないで、お願い。
俯かせていた顔を上げて、夏目を見た。夏目は顔を歪ませて、あたしの目許を拭った。



「何でそんなに、姫ちゃんが好きなの?」



俺だってこんなに、神崎ちゃんのこと想ってるよ。

酷く優しい声で、夏目は言った。机の上に置かれたあたしの手に、夏目の一回り大きな手が重なった。
一瞬、涙が引っ込んだ。
今度は夏目が泣きそうな顔で、今度は包むようにあたしの頬を触った。
声こそ震えていなかったものの、いつもの飄飄とした声音ではなかった。
冗談?そう聞ける雰囲気でも、そう思うことも出来ない言葉だった。
思わず狼狽した。


「俺は、神崎ちゃんに笑ってほしいよ。俺の隣で」


重なった手が強く握られる。
どう返していいか分からない。手を払いのけることだって出来るのに、そうすると夏目がずっと居なくなってしまうような気がして、出来なかった。


「神崎ちゃんが俺の隣で笑っていてくれたら、俺は何だって出来るんだ」

「夏目…」

「俺は神崎ちゃんが好きで堪らない。ずっと。今までだって、これからだって、ずっと神崎ちゃんを好きでいたい」

「…、」

「だから、姫ちゃんなんて見ないで、俺を見て笑って…」


頭を垂れる夏目の肩が震えている。

また涙が、頬を一筋通った。







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なんか急展開過ぎますか。過ぎますね。