こっち見て、とか かお神 | ナノ














陣野は勉強をする。
いや学生なのだから当たり前のことなのだろうが、通っている学校が学校なだけにこれだけ勉強をする者は非常に珍しく、少ない。
かく言う自分も勉強などしたことがない。
教科書を開いた事すら無いのだ。
しかし陣野は勉強をする。一度集中すると終わるまでその集中は解けることを知らない。
何度も教科書を捲ってはマーカーで線を引いたり、ノートに何か書き込んだりと忙しなく手を動かす。
今だってそうだ。

久しく陣野と会っていなかったので、陣野の家を訪ねてみた。
自宅前に着いたと連絡を入れると入って来いとの返事があったので陣野の自室に向かった。
陣野は参考書と眼の飛ばし合い合戦をしていた。
その様子を見た時はこれは相手をしてくれないだろうし帰ろうかと踵を返しかけたのだが、陣野が帰るなと言わんばかりに腕を掴んできたので、結局その場に座り込んだ。
それからと言うもの、何の音沙汰も無しである。



「……」



白いノートが黒い文字で埋まっていく様子を、ベッドに寝そべり肘をついて眺めた。
小さな机一杯に参考書やらを並べてこちらに背中を向け、ペンを走らせる。
大きな掌が丸まってペンを握る。
陣野の手は存外白くて、節くれだっている。浮き出た血管とか、骨とか、逞しいのだ。自分はどちらかというと、全体的に細くて貧弱に見える。陣野は綺麗な手だと褒めて撫でたが、陣野の手の方が幾分綺麗で羨ましいものだと思う。
筆圧が濃いのか、ノートを走るペンの音は割りと大きなもので、書かれる字も随分達筆なものだった。
素早く流れるように書いてはいるが、それでも十分達筆だということが分かる。

字を書く強い音、ページを捲る渇いた音。
それ以外、今現在この部屋には音が無くとても静かだ。
陣野の背中は広くて、大きい。特に姿勢がいいわけではないが大きく、広く見える。
そんな背中が今は掌と同じように丸まっていて、無性に胸の奥がざわめいた。
こんな大の男に可愛いなんて気持ち悪い事この上ないが、一瞬でも思ってしまったのだから終わりである。



「陣野」



背中は振り返らない。ただひたすらにノートに向かっている。
声は聞こえていないようだ。
何でこっち向かないんだ。少しむっとしてそう思うが、よくよく考えてみると何の約束も無しに急に押しかけたのは自分で、陣野には陣野の都合があったのにそれを受け入れてくれているということを思い出した。



「……」



迷惑ではないのだろうか。いや確実に迷惑だろう。
そういえば学校ではテストというものが近い筈だ。あまり詳しくは知らないが。
勉強もしない、進学も特にする気のない自分にはそんなもの大して大切だとは思わないが、今俺達は高校三年だ。この時期のテストが、進学を希望する陣野のような生徒にとってどれほど大事かということは、いくら足りないこの頭でも何と無く察しはついた。
そのテストが近々あるのだ。
陣野はきっと、今日一日ずっと勉強をするつもりだったのだろう。
俺が連絡を寄越した時はたまたま運よく自宅にいたが、もしかしたら図書館に行くつもりだったのかもしれない。
それを俺は邪魔したのだ。

それは何だか、とても悪い気がする。
お世辞にもいいとは言えない頭で、しかも家が一般的なものでない俺にとっては進学なんぞどうだっていい話だが、普通以上の頭の出来を持ち、極一般的な家庭の陣野にとっては進学はとても大切なことで。
そんな未来を踏み潰しかねない自分の存在は、異端というか、居てはいけないものである。

陣野と一緒に居たい。
だがそんな自己中心的な我が儘は、陣野の邪魔になる。
それだけは避けたかった。



「…かおる」



小さく名前を呼んで、丸まった陣野の背中に分からないようそっと指を這わせた。
さて。帰ろう。成る丈音を立てないようにしてベッドから起き上がろう。



「?」



ペンの音がしない。
いつの間にか部屋が静まり返っていて、無音になっている。
上半身だけ起こした状態で陣野を見てみると、陣野が持っていたペンがノートの上に転がっていて、変わりに手は首にあてがわれていてごりごりと頭を回していた。
首の動きを止めて、ゆっくりと息を吐く。そしてそのまま、こちらに身体を向けてきた。



「かおる…?」



身体を起こしてベッドの縁に腰掛けると、陣野は腰の辺りに頭を預けてきて、抱き着いてきた。
いきなりのことに驚いて名前を何度か呼び軽く頭を叩くと、陣野は渋々といった感じに顔を上げて眉を寄せてこちらを見つめてきた。



「眼鏡、外してくれ」



そう言って目を閉じる陣野に、言われるがままにかかった黒い眼鏡を取ってやった。
するとそのまま手をぐいっと引っ張ってきて、唇があわさった。



「っ、」



そっと優しく、それでも貪るようにあわさる唇に息が漏れる。
舌がぬるりと入ってきて、絡めとられる。
息が詰まる。
首に巻き付いて尚も引き寄せようとする陣野の腕に手をそえると、陣野はその手を取って自分の首にそえるよう促す。
再度、言われるがままに陣野の首に腕を回すとまた重なりが深くなる。
息苦しさと疼きに身体を捩るとそれを察したのか漸く唇が離れた。
陣野は暫くこちらを見て、荒い息を吐く濡れた俺の唇に指をあてた。



「…勉強は?」



その手をとって指を絡ませると陣野はふっと息をついて、ゆっくりとベッドに俺を倒した。





「もっと大事なものがある」





また唇が重なった。




後書き