馬鹿らしい話 かお神 | ナノ















教師パロ














「陣野先生」






授業が終わり廊下を歩いていると、声を呼ばれたので振り返った。
少し目線を下げると、同僚である神崎が手に持ったバインダーに目を落としていた。
バインダーに挟んだプリントを取る左手の薬指に指輪が光って、目を細めた。




「今日の職員会議の資料です」




目、通しておいてください。
事務的な声とともに差し出された数枚のプリントを受け取った。
ありがとうございます。そう返してプリントを捲っていると神崎ははっと思い出したように、あ、と声を上げた。
顔はプリントに下げたまま、目線だけ上げて神崎を見ると、神崎は指輪が光る左手で再びバインダーの金具を上げ、挟んでいたペンを取った。
公務員にあるまじき頬の傷と耳に開いた幾つかのピアスの穴が目に入った。最初こそその風貌に驚き、印象はあまりよくなかったが、今となっては特に気になることすらなくなった。
出張などに行くと毎回のように異物を見るような目で見られるといつの日かの飲み会で不満げにもらしていた。




「週末にある飲み会、陣野先生だけ参加の返事がまだなんですけど、どうしますか」




手に持ったペンでバインダーに挟んだ職員の飲み会の参加の有無が書かれたメモをこつこつと二回叩いて、神崎はこちらを見た。
これは目つきの悪さには定評があるだろう。
眼鏡を少し押し上げて、神崎先生は参加するんですかと聞くと、神崎は何だか答えづらそうに目線を行き来させた。
首を傾げて先を促すと、神崎は歯切れ悪くこう答えた。
傷が走る頬がほんの少しだけ紅をさしたのは気のせいだろうか。





「……いや、その日、嫁の誕生日で」





気まずさを紛らわすためか、くるりとペンを回した指にまた指輪が光って、異様に存在を誇示してきた。
年は変わらないのに、もう早々と相手を見付けて一生を誓ってしまっている。
まだ二十六だ。教職に就いてまだ四年で。
この人はよく電話越しに自宅で主婦なるものをしている相手と口喧嘩をしているが、なんだかんだ言ってその人を愛している。
結ばれるべくして結ばれたのだろうか。
もう少し出会うのが早ければ、だなんて同性に願うのはおかしなことだろうか。




「奥さんとはいつ結婚したんですか」




得意の平静を装って尋ねると、神崎はあからさまに顔をしかめて、そんなことはどうでもいいでしょうと手を振りながら答えた。やっぱり頬が赤い。
そんなことより飲み会は?
脱線した話を元のレールに戻した神崎は何度もペンを回した。
少し考えるフリをして間を開けて、左右に首を振ってみせた。
神崎は手を止めてしっかりと持ち直し、かちりとペンの上部を押した。




「欠席ですか」

「はい」




メモに、陣野と名前が書き込まれて、欠席を意味するのだろう、ばつ印が名前の後に付けられた。
国語の教員らしく字は中々の達筆で、流れるような書き方だった。
他の名前に混じって書かれた自分の名前が、やけにそこだけ抽出されたように見えた。
何だかむず痒くて、羽織った薬品臭い白衣のポケットの中にある試験官の縁を何度もなぞった。




「いつも参加してるのに珍し」





ペンを金具部分に挟みながら神崎が何気なく言った。
いつも参加してる。それはあんたもだろうが。
出かけた言葉に喉を詰まらせた。
ゆっくりと飲み込んで、そっと息をついて別の言葉を発した。







「神崎先生がいないなら、意味ないですから」







そしてそのまま左手に触れようとした所で、タイミング悪くか良くか、チャイムが鳴り響いた。
神崎は顔を上げて目を見開いてこちらを見た。





「今何て言いましたか?」





眉を寄せてこちらを見る神崎に、苦笑した。





「別に何も。授業遅れますよ」





手首の時計を見せて、まだ鳴っているチャイムのスピーカーを指さすと、神崎はまた思い切り顔をしかめて、こちらに少し手を上げてからそのまま小走りで次の授業に向かった。



その背中を見ながら、手に持った教科書でぽんと肩を叩いた。


もっと早ければなんて、馬鹿らしい。
そう思った。