苺味飴 かお神 | ナノ











さて。
家で居ても暇なだけなので、涼みがてら図書館へ来てみた。涼みがてらというか、正しく涼みに来たのである。
図書館を訪れるなんて、何年ぶりだろうか。小学生の頃学校の行事で行ったのが最後の記憶である。
涼む以外でこんな所使おうだなんてまず考えないだろう。少なくとも俺はそうだ。
まだ初夏であるというのにこの暑さは一体何と言う嫌がらせだろうか。この分だと真夏の暑さは本当に堪え難いものになるに違いない。温暖化も相当深刻らしい。頭の隅で特に深刻にも思っていない事柄をぼんやり考えながら、安眠につくためひんやりと冷たい大きな机に頬をくっつけた。
この机は俺以外に座っている者がいない。
だから何をしようと白い目で見られることがないのだ。普段ならばそんな不快な目で見てくる奴がいようものならこちらもそれなりの対処をとらせてもらうのだが、この暑さではそんなことをする気力がない。
このまま閉館まで居座ってやろうかと考えていると、ふと前方が少し陰ったのが分かった。人の気配がするので、きっと向かいに誰か座ったのだろう。
別段気にすることでもないので、そのまま深い眠りへと身を任せた。










あれから幾分経ったのか、身体に冷えを感じて目を覚ますと、中庭が見える大きな窓から橙色の日の光が射し込んでいた。
眠りについた時には照り付ける日光に嫌気がさす程だったが、この様子からあれから随分と時間が経った事が分かった。
長時間冷気に晒されていたことが仇となり、あれ程暑かった身体が今では寒いくらいに冷えていた。
汗をかいていたことも相俟って、冷え方に不快感を感じた。
机につけた頬もすっかり冷え切り、このままでは確実に風邪を引くことを知らせてくれていた。
机に俯せていた身体を起こして、欠伸を一つしていると、自然と向かいが目に入った。
眠る直前に、他に席は沢山あいているのにわざわざ向かい合うように座ってきた人物は男であった。
身体は大きくがっしりとしており、髪はうねりを帯びて男にしては長く、緩く後ろで束ねられていた。
厚い唇の下に髭がありどこか眠たげなその目には黒縁の眼鏡がかかっている。
ぼんやりとその様を眺めていたが、参考書を開きノートに何か数式らしき物を書き込んでいくこの男が一体誰であるのか、漸く覚醒してきた頭で思い当たる人物が一人浮かんできた。
校内で見掛ければ大概東条と一緒にいるその男の顔に見覚えがあり、舌打ちが出かけた。
どうやら俺は陣野かおるの目の前で爆睡していたらしい。
情けなさと誰に向けていいのか分からない苛立ちに眉間に皺が寄った。





しかしこれ幸いというべきか、陣野はこちらには目もくれず、参考書と見つめ合っていた。
はたして一体どんな意図があってこの席を選び座ったのか、その真意は分からないしどうでもいいので、そんなことを考える暇があるならとっととこの場から立ち去ることにする。
胸糞悪いにも程がある。休みの日にまで学校の奴の顔なんて見たくない。
いつもの体調であるならば喧嘩なりなんなり売っていたのだろうが、汗をかいたまま冷房が効き過ぎているこの部屋で口を開けて爆睡していたのは少々分が悪かった。喉は痛むし寒気がする。喉の痛みに顔をしかめ少し喉を鳴らしてみたが治るようでもない。
逃げだととられるのは癪だが、別に話をしていたわけでも無し、以前のように喧嘩をしていたわけでもないので相手がこちらに気を向けていない内に帰ろう。
そう思い立って席を立ち、出口へ向かおうとしたらぐいっと腕を引かれた。
一瞬何が起きたのか分からなかったが、それはやはり一瞬で、直ぐに陣野に腕を引かれたのだと分かった。
このまま放っておいてくれればいいものを何をしてくれるんだと振り返り睨み見ると、陣野は俺の腕を引いたまま、それでも尚片手でノートに小難しいことを書いていた。勿論顔はこちらに向いていない。



「……」



一体何がしたいのか、相変わらずこの男が考えていることはいまいち分からない。
相手が何も言わないので、こちらも黙ったまま腕を振りほどこうとしたら腕を掴んでいた陣野の手がするりと肌を辿るように下へ動いた。
そして手の平まで到達すると、幼子がするそれのように手をきゅっと握ってきた。

全身が粟立ったのが分かった。
思わずひいと悲鳴が出かけたのを咄嗟に堪えてこれは自分の力であろうかと疑う程の力で陣野の手を振りほどいた。
奇っ怪極まりない行動に眉を寄せつつ陣野を見たが、こいつは何事も無かったように、やはり何も言わずにノートを書いている。
一体何なのだ訳が分からないし気色悪いことこの上ない。
本気で寒気がしてきた上に、もう関わり合いになるのが嫌なので何も言わずにその場を一刻も早く立ち去ろうとした俺に、陣野は漸く声を上げた。





「でかい口開けて阿呆面で寝てるから痛めるんだ」



そう言って自分の喉を指でつつく陣野が、手と言うので先程陣野に握り込まれた左手を見ると、その中には苺味の飴があった。

苺味だなんてそんな可愛らしい物を持っていたこの男に再度鳥肌が立った。
帰り道口に放り込んだ飴の余りの甘さに、やはり鳥肌が立った。