waltz | ナノ










終始車の中は静寂を保っていた。
姫川は黙ったまま窓の外を見るばかりでこちらを見ず、あたしも同じように黙って足元ばかり見ていた。最初はどこに連れていく気だ降ろせと言ってみたのだが、姫川はやはり黙ったままだった。怒っているような、それでいて何事か深く考えているような、よく分からない雰囲気を身にまとっていた。

「…」

私刑でも受けるのだろうか。そんなに嫌われているのか。もうほっておいてほしい。
携帯は家に置いてきたし、鍵も閉めていない。きっと家の者が帰って来たら誘拐されたやら家出したやらと大騒ぎするだろう。実際これは誘拐だ。突然来て、あれよあれよという間に車に押し込められた。何がしたいのだろう、姫川は。あたしが嫌いならもうそれでいいだろうに。嫌って、以前のように好き勝手暴言吐き合っていれば、それでいいだろう。いいじゃないか、それで。あたしはもう、それでいい。嫌われるのは悲しいが仕方がない。暴言でもいいから、何か話がしたい。もうそれだけでいいのに。構ってほしいなんてそんなこと、思ってないのに。






「出ろ」

もうこれ本当に誘拐犯じゃないか。
車が止まり、姫川が出た後を追って言われた通りに車の外に出ると、目の前には仰いで首が痛くなる程大きなビルが建っていた。ホテルか何かだろうか。
ぼんやりと建物を見るあたしの腕を引いて、姫川はその中に入って行った。腕を握られると場違いにも胸が跳ねて、もう嫌になる。

「おい、腕離せ…!」

振りほどこうと腕を上げたが、姫川は離すことはなく寧ろ力を強めた。少し痛いくらいのそれに、また胸が締まった。ほんとに嫌になる、自分の感情に。
姫川はやはり黙ったままでビル内を突き進み、エレベーターに乗って上へ向かった。姫川はずっとあたしの腕を掴んだまま、離そうとしなかった。



随分高くまで来たらしく、エレベーターを降りた先の窓から見える景色は、足がすくむようなものだった。窓を見ていると再び腕を取られて廊下を歩き出した。
暫くして、一つの部屋の前に立たされた。そこで漸く腕を離され、解放された。訳が分からず眉間に皺を寄せて姫川を見たが、姫川は少し頷いて部屋を開けろというだけだった。渋るあたしに、姫川は自ら腕を伸ばして扉を開いてみせた。そして中に入れと手で促す。一体何なのだろう。警戒しながら部屋の中に入って、息をのんだ。進めた足がぴたりと止まってしまった。信じられない。

「何、」

部屋の中央にトルソーが一つ。小さな花柄のピンク色のワンピースを着ていた。胸元には何連にも連なった白いパールのネックレスが光って、足元には白いリボンのパンプスが置かれている。あの店の、あのワンピースだった。
誰かにあげたんじゃなかったのか、どういうことなんだ。そういった意味も込めて振り返ったが、姫川は口端を緩めるだけだった。そんな顔、初めて見た。

「欲しかったんだろ」

胸がどきっと跳ねた。何となく姫川を見ていられなくて、顔をそらした。姫川はトルソーの隣まで寄って来て、ワンピースを見つめた。一体、どういうことだろうか。状況が全く理解出来ない。てっきり私刑なりなんなり喧嘩でも始まるのかと思っていたのに、あのワンピースって、何なんだ。ぐるぐると高速で回転する頭に眉を寄せていると、姫川がこちらに寄って来た。身体がびくりと跳ねて、少し強張った。そんなあたしの様子に、姫川は困ったような顔をしてみせた。しかしそれも一瞬で、姫川の困り顔は酷く真面目な顔になった。

「お前にこれ、着て欲しいから買ったって言ったら、笑うか」

笑えない。
笑えたらいいのに、一つも笑えない。今の自分の顔のように、こんな風に真面目くさって困った顔をしていたら、姫川にそんなの嘘に決まってるだろ何まじな顔してんだよと嘲笑される。なら自分から笑って、そんなの嘘だろと言ってやれたら。だってそんなこと、信じられない。

「…お前、あたしのこといつもブスだって言ってただろ、どうせこれもあたしを笑う為の手の込んだ芝居なんだろ。わかってんだよ」

結局、またこんな可愛くないことを言ってしまった。言っていて、目頭が熱くなった。ほら、いつもと同じように姫川もまた売り言葉に買い言葉になるんだろ。何か言ってくれ。

「ごめん」

え。ごめんって言ったのか。
俯かせていた顔を上げると、姫川がきゅっと顔を歪ませていた。そういう、見たことのない顔が、あたしを惑わせる。困る。ごめんって、どういう意味なんだろう。
姫川はあたしの目をじっと見て、少しばつが悪そうに話し始めた。

「俺、お前のこと散々悪く言ってきたけど、ブスだなんて思ったこと一回もねえんだよ」
「…、嘘なんだろ」
「…悪かった」

そしてほんの少しだけ頭を下げる。あの姫川が。姫川がだ。呆気に取られるあたしをよそに、姫川は続けた。

「似合うよ、きっと」

目を細めてワンピースを見つめる姫川に、胸が早鐘を打ち始めた。また目頭も熱くなって、涙が目の縁に溜まった。夢かな、そうかもしれない。都合のいい夢かもしれない。溜まった涙が一筋落ちた。

「今まで悪かった」

これ着て、俺とどこか行こう。
酷く優しい声音だった。また涙が出そうになって、慌てて下を向いた。夢なら覚めないでほしい。これって、どういう意味なんだろうか、勘違いしてしまう。あたしはこんなに好きなのに。

「…っ、ちゃんと、言ってくんねえと分かんない…」

姫川の手が、あたしの手をそっと包んだ。そしてしっかりと握って、俯くあたしの頭に唇を落とし、囁いた。

「ずっと好きだった」

握る掌が暖かい。夢じゃない。







神崎は、駅前で姫川を待っていた。
携帯を見ると、待ち合わせ時間の十分前。少し早めに来すぎたと息をついた。携帯から顔を上げ、ふと見遣った先に、姫川が歩いてこちらへ向かっていた。口端を上げて手を挙げる姫川に、神崎は近寄った。
ピンクのワンピースがふわりと揺れた。




waltz





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長かった。ようやく終わりました。
神崎ちゃん偽物過ぎて書いてて笑っちゃいましたが(加藤どうしようもない)、無事終わったのでこれでいいです…。
長い間、お付き合いありがとうございました!