18 男神(後日企画) | ナノ








2/16〜19フリー





「古語の小テストすんぞー」


突如として告げられた爆弾投下宣言に教室中が一気にざわめいた。
聞いていない、急すぎる、覚えていない、ふざけるな、横暴だ、冗談は顔だけにしろ、顔が怖い、その顔で教師か、裏口採用。幾多の不平不満や個人的な意見までもが飛び出してきたが、教壇に立つ教師は確かに教師とは言い難い顔であった。今文句言った奴は挙手しろ教科書顔面に減り込ませてやるという正しく教師らしからぬ台詞に、今まで喧噪で埋め尽くされていた教室内はしんっと静まり返った。
教師は口端だけでふふんと笑って、続けた。

「前やった所の古語テストな。今から5分間だけ時間やるから、頭ん中捩込め」

その言葉に生徒はかじりつくように古語の単語帳を見つめはじめた。
黒板に書かれた七十点以下の奴は追試という言葉に、もう顔は単語帳に吸い付くようになった。
きっちり五分経った後、生徒の机に手書きのテスト用紙が配られた。
途端かりかりと教室内に響く神経質な音を出す机の間を、教師は悠々と歩きながら生徒のテストの進み具合を見るのだった。

そんな神崎の様子を、男鹿はペンも取らずに見つめる。
さてその視線に、教室内を歩く神崎が気付いているかいないかは、本人のみが知ることである。









「何で、出来ねえかな」


神崎は少しいらついた顔で、机をペンでこんこんと叩いた。
男鹿は素知らぬ顔で、まるで他人事のように「さあ」とだけ返した。
そのあまりに間抜けな返答に、神崎は毎度毎度青筋を立てるのだ。
二人きりの教室に、神崎の怒声が響き渡る。

「てめえなあ!いい加減にしろよ!何で毎回毎回白紙なんだ!」
「分からん」
「それは何か?何で白紙なのか分からんってことか、それとも古語が分からんってことか」
「両方」

皮肉を込めて問い掛けた言葉に男鹿は至極真面目な顔をして返してきた。
苛々と小突いていたペンを止めて、神崎は深く溜息をついた。ここまでできない生徒は初めてだ。よく高校に入れたと思うが、一応教師という手前何も言わないでおいた。
必死に勉強して出来ないのであれば、仕方ないとしよう。しかしこの生徒は小テストを始めると言っても単語帳すら開かないのである。論外だ。
他の教師に聞いてもこんな感じだと言う。授業中は基本寝ている。もう何しに高校に入ったのか全くもって不明だ。
どれだけ追試をしても一向に良くなる気配のない頭に、他の教師は早くから追試すら行わなくなったらしいが、神崎は根気強く毎度追試を行った。そしてその都度その都度、そんな神崎に男鹿は馬鹿にしたように言う。

「お前、いい加減諦めろよ」

諦めろよでない。お前のことだろ。
思わずとび出しかける拳をぐっと堪えて、神崎はまた息をついた。
神崎とて、教師としてそれ程意欲的な方ではない。寧ろ二言目にはだるいが出てくるようなあまり、いや大変よろしくない教師ではあるのだが、この追試にだけは変に力が入った。きっとそれは、このやる気のない男鹿の態度が神崎の昔からの対抗意識を触発しているからであろう。何としてでもこの馬鹿な生徒に小テストででもいいから合格点以上を出させてやる。そういった無駄極まりない思いが神崎の胸の内にある。無論、男鹿はこれからもテストは赤点ばかりだが。
喧嘩っ早く直ぐに手が出る神崎が、よくここまで辛抱出来たという程、男鹿はやる気が無かった。

「教師に向かってお前言うな。神崎先生だ。とにかく、ここからここまで覚えろ。そこ追試範囲だからな。10分やる」

そう言うと、男鹿はだらだらと机の中から単語帳を出した。実の所、今日机の上に勉強道具を出したのは今が初めてだった。
神崎は本日何度目になろうとも分からない溜息を、大きくついた。












綺麗ではあるが、少々癖のある字だと思う。
男鹿はテスト用紙に書かれた神崎の字を見て、毎度思う。
均等の取れた半行書体のような、まるで小筆か何かで書いたような字だ。しかしそれは文字一つ一つが少し右上がりな物である。黒板に書くにも紙に書くにも、この癖は消えない。男鹿はこの字を見るのが、訳もなく好きだった。

「先生」

単語帳で覚えた拙い記憶を頼りにテスト用紙を埋めながら、男鹿の向かいに座り監視しつつ週末に出す課題を制作する神崎に、男鹿は声をかけた。
こうして何かをする時、この人は縁無しの薄い眼鏡をかける。それはいつもはシャツの胸ポケットに入っている。考え事をする時に、眼鏡のつるを噛む。節くれだった指は、よく愛用のペンでこつこつと机を叩く。口が非常に悪く、しばしばあまり品性のよろしくない生徒と口喧嘩をする。だがそれは可愛い戯れであり、生徒が校内で煙草を吸おうが喧嘩をしようが何をしようが、生徒が行うことを咎めて怒ることはしない。それはどうだろうか。教師として。よく、薄い頬の傷をかく。困った時の癖だ。
数少ない笑顔を見ると、胸が締まる。

「何だ。答は教えねえぞ」

こちらを見ずに答える神崎の声を、ペンをくるくると回しながら聞く。
あ、眉間に皺。問題をどう出すか迷う時、よく寄るのだ。
机から顔を上げ、神崎を見た。

「それ週末課題だよな?」
「そうだ。てめえが一度も出したことのない週末課題だ」

問題を思いついたのか、またかりかりとペンを走らせる神崎は皮肉を込めて返した。

「先生」

お世辞にも綺麗とは言い難い殴り書きのような字でテスト用紙を埋めながら男鹿はまた問う。
神崎は手を止めることなくまた返す。

「何だ」
「ここ分かんねえ」
「だから教えねえっつってんだろ」

それ五十点以下ならてめえだけ余分にたっぷり週末課題出すからな。
少しいらついたように返す神崎に男鹿はほんの少しだけ口端を上げた。

「先生」

そしてまた問う。

「何だよ」
「その週末課題出さなかったら?」

俺出せる気しねえし。てめえの場合端から出す気がないだけだろ。

「出さなかったら、もうてめえは俺ん家来てみっちり勉強会だな」
「じゃあ俺出さねえ」

ふざけんな。神崎は机をこつこつと、いつものように叩きながら答えた。

「先生」

男鹿は、手を完全に止めて真っ直ぐと神崎を見つめた。神崎は心底いらついた様子で、あァと眉を吊り上げた。

「何だよ、さっきから。黙ってやれよ」
「俺、先生が好き」

ぴたりと、神崎の手が止まった。
途端教室内が静かになる。
神崎の顔がゆっくりと上げられ、漸く男鹿を見た。目を丸くするとまでは言わないが、まるで信じられないというな顔をした神崎を、男鹿は確と見つめ返した。
十六にしては、酷く真摯なその表情に狼狽した。
つかえそうになる喉を必死に動かして、神崎は引き攣る頬を無理矢理吊り上がらせた。

「何言ってんだ」

俺は、こんな子供相手に何を戸惑っているのだ。第一相手は生徒で、男だ。何をそんなに、焦る必要があるのか。

「俺は、神崎先生が好きだ」

冷や汗を流す神崎を余所に、男鹿はもう一度告げた。
神崎は目の前がぐらつくのを感じた。目の前の男は本当に十六の子供か。いや、自分達大人が勝手に子供だと決め付けているだけで、十六なんてもう大人と変わりないのかもしれない。しかし目の前のこの男は。

「急に何冗談言ってんだ」
「急じゃねえよ」

がたりと椅子から立ち上がった男鹿につられて、神崎も慌てたように席を立った。
机一つの隔たりを越えて、男鹿が神崎の目の前に立ちはだかった。後退る神崎との距離をまた詰めて、男鹿は神崎の手首を引っつかんでいきなり引き寄せた。
勢いよく机に押し倒し、手首に跡が残る程強く握って、男鹿は覆いかぶさるように神崎を覗き見た。

「ずっと見てたの、気付いてなかったわけじゃねえだろ。なあ、」

かんざきせんせ。

そっと近付いて来る、たった十六ばかりの男の黒い眼と薄い唇に、神崎は眉を寄せて目を細めた。
これからこの子供とも大人とも分からぬ男に悩まされることを、今の神崎はまだ分かっていない。




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続きません。
バレンタインのネタなんぞ思いつかん。これもありがち過ぎる欠伸ネタすみません。