くらくら、 | ナノ













あれからあの店には行っていない。
見に行く気になれなかった。それに、もうあのワンピースは売れてしまっていると思う。そんな気がした。








翌日、あたしの顔は泣きすぎて酷いもので、姫川の左頬は赤く腫れていた。
夏目は何か言いたげであったが、端から見ていておかしいと分かる程に終始互いを無視するあたしと姫川を見て、口を噤んで何も言わなかった。
あれから一週間経ったが、姫川とあたしの間に走る見えない亀裂は改善しないままだった。
元より仲が良かったわけでも無し、寧ろ互いにいがみ合っていた程なのだから、別にこれでいいのだ。
痛む胸に無理矢理そう言って聞かせた。


手が出たのは、悪いと思う。
だが、我慢ならなかった。
いつもと変わりない罵倒であったのに、あの時は何故か酷く気持ちが高ぶった。いつもなら、何か酷い事を言われても、あまり考えないようにしていたのに、それが出来なかった。考えないようにすればするほど頭の中は姫川の言葉で一杯になり、知らず内に涙が溢れた。
俺ならこんなブスとは絶対付き合わねえけどな。そんな言葉が、今も頭の中を巡っては涙ぐみそうになる。


「くそ」


つんとした鼻を啜って、帰途を急いだ。
夏目と城山は何度も一緒に帰ると食い下がったが、無理矢理に一人で学校を出た。
一刻も早く姫川の居る学校から抜け出したかったし、夏目達と一緒に帰ると甘えて泣いてしまいそうな自分が居て、嫌だった。

ぼんやりと考えながら歩を進めていると、ふと、辺りの喧騒が耳についた。


「…あ…、」


今まで下を向いていた顔を上げると、そこはよく見知った、今は見たくなかったあのショッピングモールに来ていた。
学校帰りにここへ来ることに慣れてしまった足は、無意識のうちにここまで歩いてきてしまっていたらしい。
自分の馬鹿さ加減に思わず眉を寄せた。


「あー、もう、くそ」


舌打ちをして、小さく文句を呟いた。
再度顔を下に向けて足早に立ち去ろうとしたが、顔を下げる前に目に入ってしまった。
いつものあの店の前。いつ見てもぴかぴかに磨かれたショーウインドーの中にあるマネキンは、服を着ていなかった。
二つ並んだマネキンのうち、左のマネキンだけ素っ裸だった。
あのワンピースが無くなっていた。


「…、」


何、分かっていたことじゃないか。
いつかあのワンピースは売れてしまって無くなる。あたしが買える訳もないのだから、それは当たり前のことである。
分かっていた。そのはずなのに。
何でこんなに涙もろいんだ。
目の前がじんわりと揺れてきて、慌てて下を向いた。
もう帰ろう。こんなに惨めな思いはもうしたくない。

踵を返しかけた時、突然目の前に姫川が現れた。思わず息を呑んだ。
正確には、店の中から姫川が出て来た。
店の袋を肩に担いで。


「あ、」


姫川はあたしに気が付いて、目を見開いた。
あたしは、姫川の肩にかかった大きめの袋から目を離せなかった。

きっと、いや絶対、あのワンピースを買ったのは姫川だ。
その袋の中には、あのワンピースやパンプス、ネックレスが入っているんだろう。
それはきっと、邦枝のような綺麗な女子にプレゼントされる。
自分の根拠のない勝手な考えに、馬鹿みたいに目の前がくらくらした。足元もぐらついてきて、今力を抜けば確実にぶっ倒れると思った。

二人とも黙ったままで、動かない。
姫川はばつが悪そうな顔で肩に提げた袋を少し隠した。
そしてそのまま、何も言わずにその場から逃げるようにして立ち去って行った。
何も、言わないのか。眩暈が酷くなった気がする。


「…なんなんだよ」


溢れそうになる涙を必死に堪えて、姫川の背中を見つめた。