つまるところの嫉妬心 Side:E



ガラリと扉を開いて見慣れた顔を探す。二限目と三限目の間。教室移動をする生徒の声が聞こえ始めたと同時の訪問客は、保健室に足を踏み入れるなりきょろきょろとあたりを見回し、まず全てのベッドのカーテンが開いていることを確認。自分と養護教諭以外が誰もいないことを理解してから、ようやく気だるげに口を開いた。

「兄貴、おれ熱ある気がする」
「あぁ?」
「だるい。休ませて」
「お前、朝はそんな気配なかったじゃねーか」
「…いや…なんか二限目から頭痛くなってきて」

砕けた口調は教師と生徒としてのそれではない。学校ではあくまで一教師と一生徒でいる、という兄の言いつけに反した行為ではあるものの、もはや何度目になるかもわからない違反にリヴァイの方もいちいち注意をする気にはならないらしい。少なくとも二人きりの時を選んでいるという点で妥協をしたのだろう。それが分かっていて、エレンも周囲を確認した後にこういった言動を取るようにしている。実際今のこれもそれに当てはまった行動だ。
これに対応するリヴァイは口調こそ荒いが行動の方はそうでもなかった。まず体温計を差し出してエレンに熱を測るよう促す。仮病じゃねえだろうな、などと口にしないあたり、少なからず弟の様子に体調の悪さを感じ取ってはいるのだろう。エレンは兄から差し出されるものを大人しく受け取ってから制服のボタンを二つほど外し、脇に差し込んでため息を吐いた。

「あー…」
「だらしねぇ。口閉じろ」
「…んー…」

ソファに腰を下ろしたことによって一気に襲いくる倦怠感。エレンがそれに押し負けて脱力している様子は、同級生曰く、傍から見ても相当のものだと感じられるらしい。リヴァイの言う今朝、は確かにこうではなかったとエレン自身も思うのだが、生じてしまったものは仕方がない。夏風邪は馬鹿が引く、と笑われようが笑われまいが、だるいものはだるいのだ。シャツの陰に隠れた体温表示をちらりと覗きこんで、どんどん上がって行く数字を確認しては、またため息をつきたくなった。

兄が学校に、しかも保健室に居ると言うのはこういった点では便利だと思う。体調が悪いなら悪いで何かと融通が効くし、そうでなくともすぐに連絡の取れる場所に居ればそれなりの利点がある。
ただ、同時につきまとう良しとは言えない事柄も、同じ程度にはあるわけで。
それが今まさにやってこようとしていることに、エレンは扉の外から響く声に察し、心中で深くため息をついた。

「…誰か来た」
「ああ」

複数生徒の声が近づいてくる。校舎内でも奥まった場所にあるここへ近づいてくると言うことは目的地はこの保健室なのだろうが、声調からするにさほど体調が悪い様子ではないように思う。二つの意味で、ああやだな、と思った。声は女子生徒のもの。教室でも耳にした甲高い声がまた壁一枚すら隔たらない場所で聞こえてくると思うと、僅かにも治まっていた頭痛が蘇ってくる錯覚までしてくる。
やがて、がらり、と開いた扉にエレンはひくりと眉を震わせた。一気に上がった声量が不快極まりない。

「せんせー、次休みまーす」
「私もー」

うぜえ、と声には出さない悪態が胸中に漏れる。対応にあたるリヴァイが「静かにしろ」とは言うが、返ってくるのは呑気な女子生徒の声。沸き上がる不快感が完全に表情に出てしまう前に、ピピピ、と鳴った体温計にそっと心の中で感謝を告げた。エレンは表示された数字にうんざりしつつ、感温部位をそばに置かれた脱脂綿で拭ってさっさと立ち上がる。

「先生、一番奥のベッド使います」
「…ああ…」

リヴァイの目が一瞬何か言いたげに細められたが、エレンは気付かないふりをしてベッドカーテンを引く。布ではほとんど遮れない声がやはり煩わしい。
乱暴に靴を脱ぎすててベッドに上体を預ければ体こそずっと楽にはなるが、先ほどから音が強調されることだけは避けられずに続いた。風邪特有の症状の一つだろう。エレンは片方の耳を枕に押しつけて、もう片方を片手で覆い塞ぐ。
…家で二人きりであったならば、リヴァイはテレビの類を消すなりして、極力音を遠ざけてくれたのだろう。けれども学校ではそうもいかない。しんとした室内で時折聞こえてくる人の気配を示す音ならば、むしろ心地よくエレンを眠りにいざなってくれるのだが。

「おい、何度だった」

仕方がない、と諦めて目を閉じた直後。カーテンが僅かに開けられて、リヴァイが狭い空間に足を踏み入れてくる。エレンはそれをちらりと横目でとらえ、それから「…忘れました」と少々投げやりな答えを返した。
別に隠したいだとかそういうわけではなく、自分でもよく分からない少々の不機嫌さが、そういう態度をとらせてしまっただけのことで。

「……」

数秒の無言と、視線。エレンは耳をふさいだまま、もう寝ますと言わんばかりに目を閉じ口を閉ざす。
やがてまたカーテンレールの音がしたと思えば当然ながら足音は遠ざかって。

「…おい、一言でも話すなら追いだすぞ」
「えー、先生ちょっと厳しい」
「そうか、なら遠慮なく担任に連絡させてもらう」
「えっ。…え、ごめんなさい、黙ります」
「最初からそうしろ」

手のひらで覆っても完全には音を遮断できなかった鼓膜がカーテンの向こうのやり取りを拾う。エレンはそれに思わず振り向き、耳にやっていた手もそっと退かしてみた。
あの不快だった声は呆気なく消え去っている。リヴァイの威圧感がそうさせるのだろうか。何にしても一気に楽になった環境にほっとしていると、足音はまたエレンのベッドへと近づいてきて、先ほどのようにカーテンが開けられた。
入ってきたリヴァイはエレンに何を言うでもなく、ただ手を伸ばして額に触れる。それから顔をしかめて、僅かに起こしていた体を無理やりベッドに沈めてから、わしゃ、と頭を撫でて去って行く。

「…、…」

エレンは唖然ともう誰もいなくなった空間を見つめ硬直した。けれどもすぐに何とも言えない感情がこみあげてきて、もう寝よう、とそれを振り払うようにして無理やり瞼を下ろした。











「………、…」

沈んでいた意識が浮上するとともに悪化した倦怠感を全身に感じる。エレンは僅かに揺れているようにも見える天井をぼんやりと視界に入れて、深呼吸をして酸素を肺に取り入れた。
何時だろうか、と横になる際にポケットから出していた携帯を枕の横から手探りで掴みとり、時刻を確認。丁度4限目の途中あたりを示す数字を読み取ってから軽く額を抑え、ゆっくりと上体を起こした。
…人の声は、聞こえない。誰もいないのか、それとも口を閉ざすことを約束させられているのか。
そんなことを考えながら、エレンは先ほどから体が訴える喉の渇きにひとつ息を吐いた。いつのまにやら揃えてあった内履きをつま先にひっかけて地に足を下ろす。耳の奥に幕が一枚張られた様な違和感とふわふわとした感覚。熱上がってそうだな、と胸中で呟きつつ、ゆっくりとカーテンを開いた。

「…起きたか」
「……誰もいない?」
「ああ」
「……」
「熱、もう一度測っとけ」
「ん…。……なあ、喉渇いた…」
「なんか出してやるから、測って待ってろ」

静かな室内にはエレンとリヴァイのみ。起き上がってきたエレンを見るなり腰を上げた兄は、この部屋に足を踏み入れた時同様、体温計を差し出して計測を促してくる。エレンは開けたままになっていた襟元から受け取ったものを差し込み、皮張りのソファに腰を下ろした。ひんやりとした感覚が高温の体には心地よい。

「ん」
「…ありがと」

リヴァイから差し出されたグラスには薄く白濁した液体が注がれている。それがスポーツ飲料であることは見た目からもすぐに分かって、エレンはそっとグラスに口をつけ、渇いた喉にゆっくりと流しこんだ。
その間リヴァイは僅かに汗ばんだエレンの額に手を伸ばし、「…熱いな」と呟き横髪を耳にかけてやってから手を退ける。しばらくして音の鳴った体温計を素早く奪い取り、また顔をしかめて、エレンの横のソファに腰を下ろした。

「三十八度三分。さっきは何度だった?」
「…三十七度八分」
「……帰るか?もうすぐ昼休みになる。車で送って行ってやれるぞ」
「…帰ってもどうせ一人じゃん。ここなら兄貴もいるし、ここでいい」
「学校のベッドなんか寝心地わりぃだろ。ましてや制服だ」
「いいって。ここがいい」
「……なら大人しく寝てろ。まだ上がるかもしれない」
「…チャイムが鳴ったら、引っ込むよ」

空になったグラスをリヴァイに手渡す。まだいるかと尋ねる言葉に首を振り、エレンは背もたれに深く身を沈めた。

「…さっきさあ」
「なんだ」
「生徒、黙らせてくれたの、助かった」
「……ああ…」
「うるさくて」
「ああ」
「兄貴が俺と同年代のやつを構ってんの見るの、好きじゃないし」
「……」
「………だるいなー…」
「……ベッドに戻れ」
「兄貴が見える範囲に居てくれるなら、いいけど」
「…ガキか。あほ」

呆れを含んだため息が一つ。けれども直後にリヴァイはエレンの腕を掴み、無理やり立たせてベッドへと連れ歩いた。引きずられる形でその後を歩きながら、エレンは渇いた笑みを零す。
構ってって意味なんだけど。
聞こえるか聞こえないかの声で呟いた。











「馬鹿。白衣にしわがつく」
「いいじゃん。俺も寝てた分シャツにしわついてるって」
「お前と一緒にすんな」
「ケチ。じゃあ脱げよ」
「なら離せ」
「やだ」
「……せめて風邪をうつすと悪い、ってぐらい、しおらしくなってほしいんだがな」
「そしたら俺が看病してあげる」
「馬鹿言うな」

息がかかるほどの近距離。カーテンは閉め切って、狭い空間で男二人ベッドに乗り上げている。鍵閉めてねーぞ、とリヴァイが呟けば、エレンは構わないと言葉を返した。別に、最後までするわけじゃねーし。言えば、リヴァイは呆れたように鼻で笑った。

「……ん、……」
「……」

片手を白衣の裾に、片手を兄の後頭部に回した状態で、先に唇を寄せたのはエレンの方だった。そっと合わさる感触は柔く、触れた直後に「あちぃ」とリヴァイが零すのがなんだか可笑しく、同時にこそばゆくもあった。そのまま私語を飲み込むようにまた唇を押しつけて、ぐっと片腕をより深く回し、うなじを引きよせる形でリヴァイをベッドに引き込んでいく。ぎし、と鳴った骨組の音に目を細めてから、角度を変えてまた唇を押しつけた。

「……口、開けろよ。ばか」
「そこは開けさせるんだよ、下手くそ」
「…うっせ。ばーか」
「馬鹿はどっちだ、ガキ」

ぎしり、とまたベッドが軋み、リヴァイがエレンの首の後ろに片手を差し込んだ。そのままそろそろと後頭部まで指を添わせ、髪の間に五本の指が広がっていく。もう完全に体がベッドに沈んでいたエレンの、その後頭部だけがリヴァイの手にすくわれて温いシーツから浮かび、エレンはそれを合図とするように薄く唇を開いて兄を受け入れた。

「…、………んっ……」

自分の体温が高すぎるためだろうか。普段あれほど熱く感じる舌が温く、けれどその分の熱がどっと皮下に溜まるような感覚がある。首から上が異常に熱く、けれど貪ることも、貪られることもやめはしない。相変わらず耳は膜一枚を挟んだような違和感を持っていたけれど、粘膜同士が触れ合う音はそれさえ越えて脳内に響くようだった。
エレンは白衣を掴んでいた方の拳を一旦緩め、その手を白衣の下、リヴァイの背に沿わせていく。指先がベルトに触れたところでシャツを掴みぐっと引き出せば、リヴァイはぴくりと眉を動かして一旦唇を離した。

「最後まではしないんだろ」
「さわる、だけ」
「は…」

まず中指を潜り込ませて、背骨をなぞる。リヴァイは自らの背を撫でるエレンの手はもう好きにさせて、再度唇を塞ぎ、ならばこちらもと言わんばかりに、けれども丁寧に制服のボタンをはずしていく。もとより熱を測る際にくつろげていた数個分を飛ばして、第三、第四ボタンと順々に外していき、最終的に前は完全に開いた状態。アンダーシャツを滑り込ませた手で押し上げて、合わせたままの唇を角度を変えてまた押しあてた。
エレンは口内をなぞる舌がどこか焦らしを思わせる動きを繰り返していることに気付きつつも、それがまた背筋にぞくぞくとした感覚を走らせるのが心地よくも思える。次第に苦しくなる呼吸は鼻で取り入れる酸素でなんとかやり過ごした。けれどもはじめからぼんやりとしていた意識はどんどん熱を帯びていくし、これもまた不調のせいか、すでに涙の膜が視界を歪ませ始めている。リヴァイの手がエレンの胸元を弄れば、症状にはより一層拍車がかかった。

「…ふ、……んっ……」
「…」
「……んぅ………ぁ、あ……」
「…声、出すな」
「は、ぁ、ごめ……んっ……」
「…」
「……っ、う……」
「……、……この辺りでやめておかないと、お前、後が辛いぞ」
「…っは、……ヤだ。…チャイム…鳴るまでで、いい、から」

乞いながら、エレンはリヴァイの背を撫でていた手を抜き、それを胸板の上へと移動させた。首に回していた手も同様、一時両手を解き両手でリヴァイの首元からボタンをはずしはじめる。夏場、もとからネクタイをしていないという状態は今は好都合。二つ目、三つ目と外していく中で、リヴァイは腕を起こして腕時計を覗き、「…あと五分もねぇけどな」と呆れ混じりに呟いた。

「…な、昼…誰も来なかったら、もうちょっと先まで、やる…?」
「馬鹿言うな、病人」
「…だってなんか、すげえヤりたい」
「調子に乗ると家に帰すからな」
「じゃあ、家でヤる」
「あほか。ここまでだ」
「やだ。まだ五分あるって言った」
「調子に乗るからだ」
「いやだ」
「…エレン」

言葉通り、本当にここで終わらせようと身を起こしかけたリヴァイの首に、エレンはすぐさま腕を回し、体をすりよせた。お互いシャツは肌蹴た状態で、必然的に直接肌同士が触れ合っている。
それでも、引き留められることなく体を起こそうとする兄。エレンは仕方なしに引きずられるように体を起こして、と同時にぐらりと揺れた視界にぐっと唇をかみしめた。

「…おい」
「あと五分」
「五分もねぇっつったんだ」
「じゃあ、そんだけ」

めまいは治まらない。あらためて発熱時のだるさが全身を襲う。
それでも無性に人肌が恋しく、エレンはもうほとんど寄りかかる形でリヴァイに体重を預け唇を押しつける。引き結ばれた上下の隙間を舌で突き開口を促すものの、リヴァイは一向にエレンの侵入を許さず、ただ体力だけが削られていった。

「……ばか」
「どっちが。起きてんのもつらいんだろ」
「…なんか、泣けてくる」
「高熱出したらお前はいつもそうだろ」
「…ばか兄貴」
「言ってろ」
「ばか。構えよ、ばか」
「…」
「……寂しいんだよ。わかれよ、クソ兄貴…」

うー、と唸って、エレンはリヴァイの肩口に額を押しつけた。
この兄は、どうせ人が来たらそちらに対応して自分を放る。寝てろ、とそれだけ告げてエレンはこの空間に一人残される。カーテンの向こうから聞こえる兄と他の生徒との会話がどれだけ嫌かを、きっと欠片ほどしか分かってはいない。それを聞きたくはないくせに家に帰らない、この葛藤を、どうせ分かってはいないのだ。

「…おい馬鹿、泣くな。どんだけ涙腺が緩んでんだ」
「うっせー…俺の兄貴のくせに。なんで教師やってんだよ、ばぁか」

ワンパターンな罵倒の言葉に大きなため息が一つ。と同時に俯いていた顔を無理やり上げさせられ、せっかく起こしていた体は押し戻されてベッドへ逆戻り。急激な平衡感覚の揺さぶりに一瞬どこが上でどこが下かも分からなくなってしまったが、直後に唇を塞がれて、ようやく視線の先が天井を向いていることに理解が追いついた。

「んっ!…ふ、ぅ…ん…っ」
「…」

差し込まれた舌が激しく口内を掻き乱す。舌を舌で絡み取られ、明らかな酸素不足に目じりから涙が零れた。宥めると言うよりはただ奪うだけの行為。口の端から唾液が零れかけるのを感じ取って急ぎ呑み下そうとするものの、どうにも上手くいかずに、結局は唾液が喉に引っかかってきつく咳き込むこととなった。
その気配を感じ取ってか、リヴァイはさっと身を起こしエレンから距離を取る。エレンは口元を押さえて咳き込んで、身を捩らせてきつく目をつむった。

「下手くそ」
「げほっ…ッ……う、っさ、い…」
「時間切れだ。あとはちゃんと、いい子にしてろ」

その言葉の直後、鳴り響く終礼のチャイム。ぴったり時間通り、というのがなんとも憎らしい。
涼しげな顔で衣服を整える兄の姿を横目で睨みつけつつ、エレンは上手く吸えない酸素をそれでも必死に取り入れようと奮闘を続ける。やがて自分の着直しが終わったらしいリヴァイが気休め程度にも背を撫でてくれる感覚に、結局は身をゆだねて、心地よさを感じてしまうのだった。


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