石の上には三年もおれず


夕食の時間。
私は食事をとるのを諦めて、速足で一つの部屋を目指していた。食事を抜くことは其処まで苦ではない。それに今の食堂の雰囲気は最悪だった。くのたま筆頭の彼女を排除する派と、忍たま筆頭の彼女を擁護する派。その睨みあい。
そして私はくのたまでありながらもはたから見れば彼女を擁護する派なのだろう。私はそんな気そうそうないが、くのたまの子たちは始めのうちに私と彼女が仲良くしているのを知っていたせいで、くのたま内での私の立場はひどく脆いものとなりつつあった。

襖の前で立ち止まると、私は呼吸を整えた。

「シナ先生、お時間よろしいでしょうか」








「そう…。それは困ったことね」

今日のシナ先生は若いほうだった。私はなるべく丁寧に、しかし簡潔に事のあらましを述べた。
先生方はこのごろの不穏な空気には気づいていたようだったけれど、それの具体的な内容まではご存じでなかったらしく、私の話を止めることなく真剣に聞いてくれた。いくら忍の先生と言えど、生徒のプライベートまで不必要に干渉してくることは無い。そのせいで先生方がきちんとした情報をつかめていないだろうという私の勘は当たっていたようだった。
私とて馬鹿ではない。事を荒立てたくはなかったし、先生方の意見を窺うのが一番いいことくらいは分かっていたのだ。なのですべてを言い終えて、自分の考えを述べて、シナ先生の言葉を待った。

「彼女の、ジュネさんのことは先生方の間でも少しずつ問題になってきているわ。彼女を受け入れたのは私たちにも非がありました。彼女の言う異世界というところが、それが本当であろうとなかろうと、ジュネさんの存在していたところはあまりにも平和ボケしすぎている。上級生の忍たまへの影響が問題になってきているの」

このままでは忍者として使い物にならなくなってしまうかもしれないわ。シナ先生は厳しい表情で私に呟いた。
彼女に非があるわけではない。ただ、あまりにも甘やかされて過ごしすぎているのだ。

私だってジュネさんに悪感情を抱いていないわけではないのだ。もしも私がこの世界で生まれ育っていたのなら、私は他のくのいちのように怒っていただろう。
けれど私はこの世界で生まれ育っていない。ジュネさんがどんな女であっても、やっと出会えた唯一の同郷なのだ。


「私は、ジュネさんにきちんと現実を眺めて貰わなくてはならないと思っています」

慎重に、言葉を紡いだ。

「私は最初、誰よりも早く彼女を全面的に援助していました。彼女に必要なのは知識だと思ったからです。この学園なら、他の場所よりも安全にこの世界に関する知識を学ぶことができ、彼女がこの世界で生きていけるようになると思っていました。
けれど、それは間違っていました。彼女にとって守られることは当たり前で、自分から学ぼうとなど考えてもいません」

私は一息でそう言い切った。正座をし、背筋はまっすぐにのばし、先生の眼を見つめる。
これはこの世界で目上の人に対する態度としては当たり前のことだ。けれどそれさえも彼女は理解しようとはしない。正座は足が痛いといやがるし、すぐに壁にもたれかかりたがる。


「そういえば、あなたは…、あなたも、だったわね。あまりにも馴染み過ぎて忘れていたけれど」
「…はい」

シナ先生の声色が少しだけ変わった。私の出生については、学園長先生と数人の教師だけが知っている極秘事項だった。

「緑子さん、あなたは何をしようと?」
「彼女の説得を試みようと思っています。私のすべてをもって。もし、それが駄目ならば…」

私はその先を言っていいものかと言葉を詰まらした。シナ先生の綺麗な双眼は私の言葉の続きを待っている。
もし彼女の立場が自分であったならと思うとぞっとした。自分も元の世界で甘やかされて育てば、彼女のようになってしまっていたのかもしれなかった。そうすれば、彼女は私だったかもしれない未来だ。
それでも続けなくてはいけないと分かっていた。唾を呑みこんでから、シナ先生の瞳を見つめ返す。

「もし駄目ならば、ジュネさんをここに置いておくわけにはいかないと考えています」


言ってからどっと肩に重しが乗ったような気がした。もう後には戻れない。
彼女をあのまま外に放り出すことは、つまりイコールで彼女の死と直結する。

シナ先生はその薄い唇を静かに開いた。

「そうね。説得はあなたに任せるのが得策でしょう。その後のことは、私が学園長先生や他の先生方に掛け合います。それまで待ちなさい」
「はい。ありがとうございます」

私は先生に向かって深くお辞儀をした。どうにかしなければいけないのだ。
もう始まってしまい、私にはそれを終わらせなければならない役目がある。始めてしまったのは、彼女に手を差しのべてしまったのは私だから。

「先生、私が預けていたものを、少しお借りしてもよろしいですか」

思っていたよりも自分の声は緊張の色を宿していた。
シナ先生はそれを聞くと、私の緊張を解すかのようにふわりと笑って、部屋の中にある桐箪笥の棚の一つから、手のひらに収まるほどの小さな塊を取り出した。久しぶりに戻ってきたその無機質な感覚を確かめながら、私は立ち上がって、部屋を出る際にもう一度シナ先生に深くお辞儀をした。




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