サッカーが恋人だもん

「えー、明王ちゃあーん、帰っちゃうのぉ?」

甘ったるく鼻につくその声が狭いワンルームの部屋に響いた。声の主である女、茄子紫色は日本酒を瓶ごと右手に持ち、左手でタバコの火を消しながらいかにも悲しそうな顔をして不動を見ていた。
部屋の中には紫色が帰ってきてすぐに着替えたさいに脱ぎ散らかした洋服と、ビールの空き缶が転がっている。紫色の携帯がベッドの上で何回も震えていたが、彼女は出る気がないようでそれに見向きもしなかった。


「明日も朝から練習なんだよ、知ってるだろ」
「知ってるよォ。明王ちゃんはサッカーが恋人だもんねえ」
「じゃあいいだろ、帰らせろよ」
「それとこれとはべつよぉ」

猫なで声を存分に振り撒きながら、紫色は新しいタバコに火をつけた。途端に煙が不動のほうまで流れてきて、部屋中に蔓延した。
不動は眉に皺を寄せながら溜め息を吐く。


「明王ちゃんタメ息吐くと幸せ逃げるんだよぉ?」

紫色は大きな目を細めながらケタケタと笑った。
お酒のせいでこうなったのであればまだ救いようがあるものだが、彼女は普段でもこんな感じなので救いようがない。紫色は何がそんなに面白いのかケラケラと笑いながら、右手の瓶からぐいっとお酒を煽った。
今日買ったばかりのその瓶の中身が半分ほどになっているのを見て、不動は再び溜め息をついた。流石に飲みすぎである。
不動は帰ろうと浮かしかけた腰を一度沈めると、方向を変えて紫色の右手から瓶を掠め取った。

「ちょっとォ、明王ちゃん何すんのよー」
「飲みすぎだろ。あと、ついでに吸いすぎ」
「なによぅ、私の恋人はお酒なのにぃ」

ぶー、と口を尖らせながらも紫色はつけたばかりのタバコを、灰皿がわりに使っていたツナの空き缶で消した。明王が立ち上がって窓を開けると、冷たい空気が流れ込みヤニ臭い空気を一掃した。町中でも空気が美味しいことを実感しながら、明王が振り替えると紫色は開けていないビールの缶に手を伸ばしかけていた。

「もう飲むなって」
「飲み足りないのー」
「十分だろうが」
「あ、じゃあさあ、私がもう飲まないし吸わなければ、明王ちゃん帰らない?」
「はァ?」
「じゃあ今日はもう止めーた」

そう言うと紫色は、床に転がった空き缶と、灰にまみれて用済みとなった空き缶を一枚のビニール袋にいっしょくたにして、口を縛ると部屋の隅に放り投げた。

「明王ちゃんジュースおかわりいるでしょ?」

紫色はよろりと立ち上がって、冷蔵庫の前までふらふらと歩いて行った。時々床にあるものにぶつかって何度も転びそうになっているが、気づかないのか気にしないのか鼻歌まで歌っている。
ちくたくちくたくと部屋の壁のアナログ時計が02:00amを回っていた。はあ、と不動は三度目の溜め息をはいて、腰を降ろした。




prev next

bkm