先生、先生と駆けよってくる生徒たちはとても可愛い。土井半助はまだ教師になってから数年と言う新米ではあったが、そんな気持ちを抱いていた。先生、先生。笑顔ではしゃいだり、ふてくされたり、泣いたり。大学生になり、職業についてから初めて分かったことだが、中学生や高校生などまだまだずっと子どもだった。どんなに大人びた考えを持っていても、頭が良くても、素行が良くても、それらの生徒たちはまだまだ世間を知らない。ただ背伸びをしようとしているだけの。よくサボる子や、不良と呼ばれる子、大騒ぎすること違わず、どんな生徒たちもまだ子どもだった。
だから、土井半助は人参甘子という生徒に出会って戸惑った。

―――彼女は子どもなのだろうか?

そう、彼女は、土井半助が教師になってから初めて出会った、子どもという枠の中にあてはめることのできない少女だった。
彼女がわからない。土井は心底困っていた。まるで大人びているのに、背伸びしているような雰囲気はない。そう振舞うことが自然で、当たり前のように大人になっている。成長が倍早いような錯覚だった。
人参には友人も多いし、良く笑う。行事にも楽しげに参加するし、他の生徒と一緒になって馬鹿をやったりもする。なのに、彼女だけは何かが違う。
これは、大人の勘と言う奴だろう。彼女と年が近ければ気付くことは難しい。しかし年が離れているからこそ分かった。他の生徒とは確実に何かが違うのだ。

人参はほとんど問題のない生徒だった。ただ、異性である綾部喜八郎との仲が良すぎることから、不純異性交遊として頭の固い先生方から少し問題視されているようだったけれども、それは他のカップルの生徒たちと同じくらいのもので、何か悪いことだとはいえなかった。
そこまで考えて、そういえば、と土井は思い当った。綾部喜八郎のクラスを持ったことがないため関わりは少なかったが、土井は彼にもすこし、違和を感じていた。綾部は人参とは正反対の、職員室で名前が挙がることの多い問題児だ。授業をさぼったり、遅れてきたり、テストに何も書かないことがあったり。どうしてそんなことをするのか聞いても、何となく、と返されてしまうのだから困ってしまうと、同僚が嘆いていたのを覚えていた。

そういえば、そんな二人が仲が良すぎるから、頭のお固い方々は心配していたのだ。人参が影響を受けてしまうんだということを。しかし今のところそれは杞憂に終わっているようだった。


前に山田先生と飲んだ時に、土井は人参について相談したことがあった。どうしても生徒に思えない、と。それを聞いて山田先生も、困ったように笑っていた。“どうも彼女にはどの先生もそんな感想を抱く”山田先生はそう言って酒を一口飲んだ。

「どうしてでしょうな、あの子は。不思議なもんです。私もあんな子は初めてで、驚きましたよ」

山田先生が自分と同じ感想を持っていることに、土井は純粋に驚いた。やはり彼女は、今までのどんな生徒とも違うのである。

「私が初めて会った時は、大人になろうとしているというよりは、どちらかといえば子どもになろうとしているように思えてな。言い方は悪いが、まるで自分が異端児なのだと自分で知っているようだった」
「…やっぱり、彼女は他の生徒とは少し違っていますよね」
「同じ生徒など一人だっていやしないがね。しかし、彼女はそれとはまた違う。どの生徒ともベクトルが離れた、枠組みさえ違うところにいる気もした。大人びているからと生徒たちの信頼も厚いし、何にも問題はない子なのに、ときどきふと、人参は全く楽しくないんじゃないかと思ったりもしたよ」

山田先生のその台詞に、土井は大きく頷いて見せた。

「彼女と仲のいい綾部も、少し、そんな感じがしませんか?」
「…ああ、あいつにもそんなことを感じたりもしたが…。なんせただでさえ何を考えているのかまったくわからん奴だから」

苦笑いした山田先生に、土井も同意した。それから話は少しずつ別の話題に逸れて、その話はいったん終了した。


「――ああでも」

宴もたけなわになり、もう少しでお開きかと思えた頃、ひとり言のように山田先生はぽつりと呟いた。


「綾部喜八郎と仲が良くなってから、ずっと楽しそうな表情を見せるようになっとる」





校庭を二人並んで歩く、人参と綾部を見ながら、土井は飲み会の時の話を頭から追い出した。
二人の距離感は絶妙だ。カップルにしては遠すぎるが、友人同士にしては少し近い。噂好きの生徒が逐一報告してくれる内容では、彼女たちはつきあってはいないらしい。
こうして二人を見下ろしていると、まるで二人は他の生徒たちと変わらなかった。
山田先生の言葉が頭の中に蘇る。

「ずっと楽しそうに、か」

ひとり言とも取れない言葉が、思わず口からぽろりと洩れた。