私に命令をしたあと唐辛さんは、ゆっくりとこちらに、つまりグリムジョーさんに向かって歩いてくる。
 私は彼の後ろから出ると駆け足で、唐辛さんがルピと呼んでいた少年に近づいた。そして治療を始める。虫の息でも、まだ生きていれば助かる。私はその力を彼に注ぎ始めた。重症である彼の治りはひどくゆっくりだったが、それでも治っていく。
 それを見て私は初めて、自分の力が怖いと思った。私はその男の子を助けることが正解なのか知らない。むしろ、私たちの敵が一人減ることになるのだから治してはいけないのかもしれない。けれどこうするだけで、私が治すことを願っていなくても、彼は治る。その力を、私は自分を、初めて怖いと思った。
 唐辛さんのほうを見ると、グリムジョーさんの前で立っていた。その彼女の表情は見えないが、グリムジョーさんは笑っていた。馬鹿にしたような、笑み。彼女はゆっくりと言葉を発した。


「次やったら、私があんたを、殺すから」

 声が響く。たくさんの人数がいるのに誰も声を出さずに二人を見ていた。まだグリムジョーさんの顔は変わらない。見下したような目で、唐辛さんをじろじろと眺めていた。

「そういやあ、ずっと気になってたなあ。お前と、ルピの関係。なんかあんだろ?」
「あなたには関係ない」
「だっておかしいだろ?お前はついこの間コイツに会ったばかりだ。なのに身を挺してまでルピを守る価値はどこにあるってんだ?」

 まるで弱みを握ったかのような声色は、聞いていて不快感を与えられるようなものだった。それに不快感を覚えたのは唐辛さんも同じようだった。それどころか、私が気付いたときには、グリムジョーさんが立っていた場所から消えていて、大きな音を立てて壁にぶつかっていたのだ。
 驚いていると次の瞬間、グリムジョーのまん前に唐辛さんはふっと現れた。そして倒れているグリムジョーの襟を掴んで、上半身を持ち上げる。
 彼の鼻が変な方に曲がっていて、血がだらだらと流れているのが見て取れた。

「いっとくけど、私は、あんたより、強い」

 一言一言区切るように唐辛さんが発した声が響いた。そのあとで付け足すように彼女は言った。あんたには関係ない。そして私のほうに、ルピという少年のほうに向かって歩いてくる。
「もういい、ありがとう」

 その言葉で反射的に治療を止めて少年を見ると、致命傷となる怪我はふさがっているようだった。彼女はそれを抱えて立ち上がる。そして唐辛さんは藍染さんのほうを見た。すると藍染さんは言った。

「いいよ」

 それは退出許可だったのだろう。彼女はルピを抱えながら部屋から出て行く。そのドアが完全に閉まったとき、グリムジョーさんがガンっと壁を一回叩いた。悪態をつくのも聞こえる。


「グリムジョー、彼女を怒らせないほうがいい」

 相変わらずの優しい目と優しい口調で藍染さんが言った。私はその彼の瞳を眺める。
 唐辛さんとは全然違う瞳だった。彼の瞳には、何も見えない。迷いも、苦しみも。
 そして唐辛さんの瞳を思い返す。彼女は私にまっすぐな瞳を見せて、捕まっちゃったのね、と言った。そしてそうだ、その瞳は、悲しみであふれていたように思えた。どうして捕まっちゃったの、というような悲しそうな目。彼女は私が捕まったことに悲しんでいたのだ。
 そんな考えに思い至って、自分の心臓が震えるのが分かった。一人だけ、とても位の低かった謀反人。彼女が異様に気にかけているらしい、ルピという少年。私に向けた、悲しい瞳。きっと全ては繋がっている。