9と4分の3番線が、大変だった。

それが何処かというのを見つけるのは全くもって大変ではなかった。何故なら出発のその日、ホームについてすぐにそこに吸い込まれていく人間を、ラッキーな事に見つけることができたからだ。(チケットを手配してくれた両親は柱に突っ込めなどということは欠片も教えてはくれなかった)それに倣い、ぶつかろうと考えたのだが、やはり少し、それは怖かった。人間社会で育ってきたのだ。煉瓦の壁が固いというのは、遺伝子レベルで身体に染み込んでいると言ってもいい。それは固く、ぶつかると痛い。そんなマグル(この言葉は昨日、漏れ鍋で読んだ新聞で知った)らしい発想のせいで勇気を出すまでの時間が必要だったのだ。10人の人間が吸い込まれていくのを見届けた後、黄子は意を決し飛び込むことに成功した。何とも言えない間隔に一瞬背筋が凍ったものの、通り抜けてしまえばなんていうこともない代物で、ほうと息をなでおろす。
 乗り遅れてしまっては嫌なので、荷物を引きずるようにしながらすぐさま、止まっていた電車に乗り込んだ。まだ出発には程遠いのか、コンパートメントは空いている場所が多く、暫く歩いた後、適当に、真ん中あたりの車両の一番端のコンパートメントに腰を落ち着けた。
 黒のギンガムチェックのワンピースを見下ろしながら、大きく息を吸って深呼吸をした。
中々に考えられないくらい、自分はワクワクしているのだ。新しい生活、絵本の中に有りそうな世界。そこに今から私は、踏み込んでいく。
黄子が着いたのは早い時間であったらしく、彼女のコンパートメントには誰も入ってこなかった。手持無沙汰で新しい教科書を開いてなんとなく読みながら、もうすぐ動き出す、と言ったその時、ガラリとドアが開く音がした。
「ごめん、ここ空いているかな……黄子!」
「あ、ハリー!空いてるよ。どうぞ入って」
「ありがとう」
 丸メガネの少年は優しい笑顔でコンパートメントの中に入ってきた。相変わらずぼさぼさ髪なのは、もしかして癖毛なのかもしれないなと思いながら、黄子も教科書を閉じて居住まいを直す。さあ何から話そうかと口を開きかけると、またドアが開いた。
「あの……、ここいいかな?どこもいっぱいで」
「モチロンいいよ」
ハリーの返事に、嬉しそうな顔をして入ってきたのは赤毛の少年だった。どちらかというと自信が無さげな顔をして、ヒョロリと手足が長い。赤毛のアンと同じ色だわ、と黄子は感心した。
「僕、ロン。ロン・ウィーズリー」
「黄子・玉蜀黍よ」
「僕はハリー。ハリー・ポッター」
「ハリー・ポッター!?」
 ロンが突然大声を上げたので、黄子は面食らってしまった。けれども名前を叫ばれたハリーは、そんなこともないらしい、照れたような微妙な顔で、まあ、と口ごもるように返事を返していた。もしかしてハリーってとっても有名人なのだろうか。
燥いでいるロンは、ハリーを相手になんやかんや興奮気味に話している。傷を見せて、とせがまれたハリーがそのくしゃくしゃの前髪を上に持ち上げると、左目の斜め上のオデコあたりに、稲妻のような傷が一つ、しっかりとついていた。切り傷の後だろうか。痛そうだと顔を顰めた黄子の変わりに、ロンがもっと興奮していた。
 そこで得た知識として、何年も前に“例のあの人”とかいう悪が世間を席巻していたが、魔の手が幼いハリーにも向かったその時、“例のあの人”はハリーを殺せず、なぜか力も衰えてしまったらしい。
「よくわからないけど、ハリーって凄いのね」
「ええ!君、ハリー・ポッターを知らないの?」
「そういうことには疎くて……」
 知らないことがそんなに悪いことだとでも言うのだろうかというぐらい、ロンは珍しいものを見る目で黄子をじろじろと見てきた。その態度に少しムカッとしながら(アンタだって織田信長を知らないくせにと心の中で悪態をついた)、黄子は魔法界の歴史(魔法史と呼ぶことをこのころは知らなかった)をこいつよりも勉強しようと心に誓った。
 それから話は移り変わりながら、時間はどんどんと過ぎていった。ロンは少しむかつくところもあるが、話し好きでおしゃべりの内容はとてもおもしろい。途中から寮分けの話になった。ロンが言うにはグリフィンドールが最高で、スリザリンが最悪らしい。その話が本当なら、やっぱりスリザリンは嫌だなあと黄子は考えた。勇敢なグリフィンドール、頭の良いレイブンクロー、勤勉なハッフルパフ、狡猾なスリザリン。頭に付く前置詞が、なぜか一つだけネガティブイメージであることも気にかかった。普通、そんな一つだけ貶めるような言葉を使うことはないのに。
 黄子は一番気に入ったのは、勤勉だというハッフルパフだった。母や父は頭が良く、悪い意味で勇敢(つまりは無謀)で、黄子に対してかなり狡猾(というより意地が悪い)だ。そのどれにもなりたくは無かったし、どちらかと言えばクラスメイトだった友人の父親のように公務員的な勤勉さが望ましい。あの両親で育った彼女にとって、安定と平和が一番の望みだった。
 途中でカエルがいなくだっただのなんだので、慌ただしく新入生たちが入れ違いにやってきたり、ローブに着替えたりしているうちに、ガタン、と一度列車が揺れて、ぷしゅー、と音を立てながら列車が減速した。ホグワーツに到着したのだ。
「イッチ年生!イッチ年生はこっちだ!」
 髭や髪で顔の半分が隠れている大男が懸命にそう呼んでいるので、ハリーやロンと一緒にその大男のほうに向かうと、どうやら彼はハリーと知り合いであったらしく、ハリーを見つけると嬉しそうな顔でその名前を呼んでいた。ハグリットのその背の高さは首を痛める程であったが、髭と髪の間から除く目が優し気なのが印象的だった。それから船に乗り換え、暗い中をゆっくりと進む。そうして暫く行くと、荘厳な城が見えてきた。ここが、ホグワーツ魔法学校。黄子は自分がにやけるのがわかった。
私はこれからここで学ぶことができるのだ。このお伽噺のような城が、私の学び舎となる。ぎゅ、と手の中で拳を握りしめた。


城に入ると、真っ先に大きなドアの前に案内され、一年生だけがそこで待つように言われてしまった。皆不安げに、ひそひそと声を潜めて話している。組み分けがここで行われるからだ。列車の中で話したことで、黄子の気にかかったことは、途中でハリーに分けてもらった魔法界のお菓子がゲロのように甘かったせいでこれからの食生活と、話していた組分けの寮のことだった。ハッフルパフが魅力的だったが、自分がどの寮になるかは分からなかった。ロンの家は代々グリフィンドールで兄弟も全員そうなのだというし、血縁が結構な比重を占めるらしいが、黄子は自分の両親がどの寮に所属していたのかさえ知らなかった(というか、ホグワーツを卒業したのかさえ知らない)。
「ねえハリー、どこの寮になるかな」
「さあ……。全然想像がつかないや。どこがいいと思う?」
「私は断然、ハッフルパフね」
「どうして?」
「勤勉さのある人間になりたいの」
「へえ。僕は中々、まだわからないなあ」
「どんなテストだと思う?」
「さあ。ロンが言っていたように恐ろしいのは嫌だな」
「それには全面的に同意ね」
 ドアは中々開かず、他愛もない話をつらつらとする。後ろでは髪の量が多い少女が、つらつらと魔法の教科書のような言葉を声にだして復習をしているようだった。皆ドキドキしていた。
「やあ、君が噂のハリー・ポッターだって?」
 そんな時に、人を掻き分けるようにしてやってきたブロンドの少年が、ハリーに話しかけてきた。一気に周りがざわりとなり、視線がハリーのほうを向く。本当、すごい有名人だ。そんな視線に晒されるのが嫌で、黄子はそっと背の高いロンの陰に移動した。そしてその行動は正解だった。ブロンドの少年は厭味ったらしい口調が大得意で、ロンのことを散々に貶していたからだ。横にいたらどんなとばっちりをくらっていたか分からないだろう。それにしたって綺麗なブロンドなものだから、嫌味が似合う少年だった。そしてこのとき、黄子は魔法界というものの仕組みを垣間見たような気がした。マグルの世界とは違い、未だに家柄だとか格式だとかが、かなり重要な位置を占めているのだ。その証拠に、嫌味を言ったマルフォイに反抗するものも、嫌味を言い返すものもいなかった。つまりマルフォイはかなり格式が高い家柄で、ロンはそうじゃない。
 じゃあ私の家柄は、一体どの位置にいるのだろうか。せめて皆に嫌われるような立場ではありませんようにと、心の中で願う。酷いと考える人もいるかもしれないが、自分の性格や意思とは関係なく嫌われるなんてまっぴらごめんだった。madに悩まされることなく、平和に生きていきたいのだ。

 そしてついに、一年生の前に立ちふさがっていたドアが大きく開いた。前のほうにいた一年生から順に、ゆっくりに進んでいく。そこは大きな広間だった。高い天井には空が見え、それを見上げているとそれが魔法のおかげであると説明している少女の声が耳に入った。それからあたりを見回す。正面に横一列に並んでいるのは年齢層がさまざまで、それが先生たちであろうことは用意に想像がついた。縦に四つ、大きな机が並べられて生徒たちが座っていて、ネクタイの色で寮ごとに分けられているのは一目瞭然だった。そしてそこで、寮ごとにイメージカラーと色分けがあるのを知る。ハッフルパフの色は、黄色と黒。ううん、と黄子は思った。四種類の中だったら、一番嫌かもしれない。というか、ずるくはないだろうか。他の寮は全部、金銀ブロンズと光り輝く色が入っているのに、一つだけパッとしないではないか。
 難しい顔をしていると、組み分けを怖がられていると思ったのか、ハリーに大丈夫かと心配されて黄子は急いで顔を元に戻した。
組み分けは、拍子抜けしたことに帽子を被るだけのひどく簡単なものだった。嘘ついたのね、とロンを軽く睨み付けてやると、僕だって兄貴に嘘つかれたんだ、と彼が焦ったように言った。
「アボット・ハンナ!」
 一人ずつ名前を呼ばれ、前に出て、寮が決まる。こんな大勢にみられる中というのは、緊張しそうだった。どんどんと寮が決まっていく。やっぱりハリーは有名人で、名前を呼ばれたらあたりがしんと静かになったし、彼を獲得したグリフィンドールは大歓声を上げていた。それからロンも、一瞬でグリフィンドールに決定していた。出来たばかりの友人が二人ともグリフィンドールに行くのなら、私もそうしたい。そんなことを考えながら、待っているうちに。いつの間にか最後の1人になっていた。
「黄子・玉蜀黍」
 最後の一人になったことがなんだか恥ずかしいので、顔を伏せて目立たないように出ていこうと思ったのだけれど、なぜか名前を呼ばれた瞬間小さなざわめきが起こった。しかも、生徒たちの間からではなく、先生方の間からである。背の小さな老人の先生とふくよかな中年の先生が顔を見合わせてひそひそと話し、透き通った色の髪の毛を短く切っている女性の先生は、しかめ面をし、他の先生方も、少し、嫌そうな目で黄子のことを見ているような気がした。その先生たちの様子のせいで、生徒たちも不思議そうに顔を見合わせている。
 いったいどうしたというのだろうか。なんなんだろう、嫌だなあ。一気に不安になりながら、黄子は早足で壇上に上がり、椅子に座っておしゃべりな帽子を被った。
(ふうむ、玉蜀黍家の子どもか)
帽子がそういってきゅ、と軽く黄子の頭を締め付けた。
(見た目はどちらかというと母親似だね、東洋的だ)
はあ、と頭の中で返事をする。私の見た目がなんだというのだろうか。
(性格はどちらに似ているんだい?どっちに似ても最悪だが、先生方は君の入学に戦々恐々としていたようだね)
 両親の評価が低いのは想定内だったので驚かなかったが(それよりも両親ともにホグワーツの出身であるということを知れて良かった)、何故自分が戦々恐々とされているのだろうか。どうして、と尋ねると、まあそれは、と帽子は言葉を濁らせた。そして続ける。
(実は君の入る寮は既に決まっているんだよ)
 じゃあどうして雑談などしているのだろう。ロンの時のように一瞬で判断してくれればいいではないか。
(歴代最悪な君の母親はグリフィンドールだった)
 なら、グリフィンドール?黄子は少し期待を込めてそう聞いた(歴代最悪という言葉は聞かなかったことにした)。ロンとハリーと一緒なのは嬉しいことだ。しかし黄子の問いかけに彼は返事をしなかった。
(血筋は違ったが、母親と同じく厄介者だった君の父親はレイブンクローだった)
 それならレイブンクロー?そう思って上を向くが、帽子のつばが見えるだけだった。
(君の伯母上はハッフルパフ)
 私って伯母がいたの?それをまず黄子は知らない。というか、私の時だけ無駄に長くないだろうか。迷っているわけでもないのだから、早く言ってはくれないだろうか。そしてやっと、彼は私の寮を発表した。
(厄介な者は持ち回りだ。母親はグリフィンドール、父親はレイブンクロー、伯母はハッフルパフ。次に厄介な者を受け持たなくてはならないのは、公平に考えて……)
「スリザリン!」
そう言って帽子が頭の上で飛び跳ねた瞬間、黄子は席を立った。スリザリンからの歓迎の声など全く耳に入ってこなかった。その瞬間、黄子は頭に来ていたのだ。あのくそみたいな両親が厄介者であること、その伯母が厄介者であるであろうことは彼女自身認めても構わないことだ。だけれど、どうして、私までまるで厄介者だというかのように言われなくてはならないのか!糞帽子め、と睨み付けても、まるで普通の帽子のようにそいつはぴくりとも動かなかった。さあ、席を移動して、と私に話しかける老婦人の先生が安堵の表情をしているのは、もしかして受け持ちの寮に私が入らなかったからだろうか。
納得がいかないながらもテーブルに向かっていくと、寮の人達が歓迎してくれ、何とか心は落ち着いた。これから何年間もずっと過ごしていく場所だ。組み分けに納得がいかないとはいえ、寮に対して納得がいかないわけではない。どこでも良かったのだから、入ることになった場所にしっかり馴染まなくては。ロンが嫌がっていたスリザリンというのは心配ではあったが、ロンの評価はロンの評価。自分の目で確かめることが大事なのだと、顔を横に振って自分に喝を入れた。
「やあ。僕はドラコ・マルフォイだ」
 横から話しかけられて、黄子は驚いて顔を上げた。ハリーに嫌味を言っていた、あの格式が高い家出身であろうブロンドの少年だった。
「父上から君の父の話を聞いていてね。かなり変な……失礼、おもしろい後輩だったとか。同じ純潔同士仲良くしようじゃないか」
 す、と手が差し出されて、自分が純潔だという事実に驚きながら、それを顔に出さず黄子はにっこりと笑ってハリーがしなかった彼との握手をした。「付き合う友達は自分で決める」黄子はドラコと友人づきあいをすることに決めたのだ。ホールに入る前の階段で既に彼の家柄が付き合って損しないことはわかっていたし、それに何よりも、プライドの高そうな少年は御しやすそうだと思えたからだ。我ながら嫌な理由だとは思ったが、学園生活の平和と楽しさの為には変えられないことである。
「気にしないで、父親は本当に可笑しな人なの。私、何故だか魔法界のことをほとんど知らされずに育てられてきて、きっと無知だから、貴方みたいな頭の良さそうな人が友達になってくれたら、とっても心強いわ」
 その言葉で、彼は意図も簡単に上機嫌になっていた。それからしばらく他の一年生との間でも自己紹介を行いあい、中々楽しく、入学初日は幕を閉じたのだった。