長編、企画 | ナノ

【番外】おじいちゃんと澤村主将



鈴木の家に帰り着くと、俺はいつも門のところでアイツが家に入るまで見送っている。
鈴木は何度か振り向いて、手を振ってを繰り返す。
扉が閉まってもすぐには動けない。
振っていた手をおろすまでのほんの数秒間に、幸せな20分の余韻をかみしめてから自宅へと足を踏み出す。
そこまでがいつもの流れだ。


澤村の家の方が跳子の家よりも学校に近いため、帰りは一端引き返すような形になる。
途中で住宅路をつっきり、商店街に出て少し歩けばもう澤村の家だ。
その途中で坂ノ下商店を通るが、そこで先ほどまで一緒に練習してたバレー部員や、他の運動部の連中と顔を合わすことも少なくない。

(今日はアイツらいるかな?ブロックもよく決めてたし、居合わせたらまた肉まんでもおごってやるか)

そんなことを考えて歩き始めた時−


「おい、そこのあんた。」
「うぉっ!」

背後から気配なく声をかけられてびびってしまった。
恐る恐る振り向くと、恰幅のいいおじいさんが立っていた。

「あんた、うちの孫とはどういう関係かね?」
「!(鈴木のおじいさんか!)」

突然の出会いに澤村は一瞬動揺するが、とりあえず落ち着いて挨拶をしようと背筋を伸ばした。

「烏野高校バレーボール部主将の澤村です。初めまして。鈴木…いえ、跳子さんのおじいさんですね。お話は色々と伺ってます。代表して部活の後に、ご自宅まで送らせてもらいました。」

跳子の祖父は、お辞儀をするように腰を折った澤村を見て、ふーんとでも言うかのように鼻を鳴らした。

「バレー部の…。つまり跳子の先輩か。」
「ハイ。跳子さんには大変お世話になっています。」
「つきあってます、とかはないんか。」
「そうですね。残念ながら。」

澤村の苦笑に、跳子の祖父が目を光らせる。

「…じゃああんたはうちの孫に、変な下心はもってないんだな?」
「いや、そんな−」

突然の言葉に澤村は慌てて否定しようとするが、ふと何かを思ったのかその言葉をピタリと止めた。


「−いえ、あります。下心。」
「!」
「もちろん心配で送っているのもありますが、他のヤツらには送らせたくはないし、あわよくば俺のことを好きになって欲しい、とも思っていますから。」

澤村にとって跳子と今すぐどうなりたい、というわけではないが、自分の気持ちはもうしっかりとしたものになっていた。
何となく澤村は、ここでごまかしたくはない、と直感で思ったのだ。


(こいつ、真っ直ぐわしの目を見て言いおった−)

その目に跳子の祖父は少したじろいだが、その様子は見せず"ちょっと話をしないか?"と澤村を誘った。
目を見開きつつも頷いた澤村を確認すると、二人は少し歩いた先にある公園に移動した。



「さっきは初めて聞くような顔をしたが…あんたの名前はしょっちゅう聞いとる。跳子が随分お世話になってるようじゃな。」

澤村は慌てて顔を横に振るが、跳子の祖父はそれを止めた。

「そう謙遜せんでいい。あの子がそう思っとるってことだ。」

そう言って、跳子の祖父はベンチに座るよう澤村を促し、彼もそれに応えた。
少しの間静かな時間が経過したが、やがて"跳子からわしらも話を聞いてな、"とおもむろに跳子の祖父が口を開いた。



−跳子の親、つまりわしの息子なんだが、わしは好きな道を進んで欲しいと思っとった。
別にうちの会社を継ぐことなんて考えず、自由に生きてほしいと。
そう育ててきたつもりだったが、何故だか逆に学歴主義になっちまってな。
今思えば、もしかしたらわしに"期待されていない"と思ってしまったのかもしれん。

わしもちゃんと話せばよかったんだが、当時は仕事が忙しかったのもあっての。
アイツに何か聞かれても「好きにしろ」としか言わんかった。
言い訳にもならんが、それが息子を傷付けてるなんて思いもせんかったよ。

我が息子ながら、努力をして、いい学校へ行って、いい成績を残してな。
わしの息子なのにスゴイって、まわりの連中からはよく笑って言われたよ。
うちの会社に入ってからも、自分の力だけでひらすらに登ってきおったんじゃ。
成績云々にこだわりがないわしでも、その努力がいかに大変なのかはわかるからの。
本当に自慢の息子でもあった。

ただ、な。
そういう息子だから、まぁ同じような考えの奥さんを嫁にもらってな。
その二人に育てられる跳子には、多少なりとも窮屈な思いをさせてしまったんじゃないかと心配だった。
小さい頃から、跳子が我儘をいうところなんて見たこともなかったが、逆にそれが不安でな。
これからもし何かあった時に、この子は助けてと言えるんだろうかと思うこともあったんじゃ。−


そこまで話すと、おもむろに跳子の祖父はベンチから立ち上がり、澤村に向けて深々と頭をさげた。

「…だから、あんたには感謝してるんだ。跳子を、わしの家族を救ってくれて、ありがとう。」

急に自分に向けられた感謝に驚いた澤村も、それを制するように慌てて立ち上がった。

「俺はたまたま話を聞いただけです。実際には何もできませんでした。鈴木は言ってました。つらかった日々を乗り越えて笑えるようになったのは、おじいちゃんとおばあちゃんのおかげだって。」

それがなければ、自分は彼女に会うことすらできなかったかもしれない。
そう思うと、目の前の人物に、澤村の方こそ感謝の気持ちがわきあがってくる。

「だから、鈴木を支えてくださってありがとうございます。」

今度は澤村が深々と頭をさげる番だった。



「…あんたは下心があると言ったが、あんたの孫に対する気持ちには真心が見えるよ。」

お互いに顔をあげると、跳子の祖父がそんなことを言った。
言われた澤村はよくわからずにキョトンとしていたが、跳子の祖父はニヤリと笑ってその顔に答える。


「恋という字には下に心があり、愛という字には真ん中に心がある。だから"恋は下心、愛は真心"…なんて、そう昔から言われている話だ。」

その言葉の意味を少し考え、彼の真意に思い至ったとたんに、澤村は恥ずかしくなった。

(あ、愛って…!)

高校生にはなかなか使う機会のない単語に、澤村は焦りを隠せなかった。
そんな澤村の様子を見て、跳子の祖父はカラカラと笑う。


「そんなんで赤くなるような若造には、跳子はまだまだやらんぞ。」

往年の力量を見せつけるように言い放つと、もう一度楽しそうにと笑った。

話していたときの穏やかそうな雰囲気はどこへやら、今では大きいいたずらっ子のようだ。
先ほどの話が嘘なわけではないが、恐らくこちらが本性であろう。

(この…!)

鈴木を手に入れるためには、牛若だけではなくこのたぬきなじいさんとも戦うことになるのか。

澤村の心にまた一つ、小さな闘志がこもった。


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