長編、企画 | ナノ

それはとても、



跳子は、走っていた。
珍しく朝練に遅れてしまいそうだったからだ。

いつもはおじいちゃん家から歩いている跳子にとって、烏野までバスに乗って通学することは初めてだった。
余裕を持って出てきたはずだったのに、思わぬ事故渋滞に巻き込まれ、想像よりも遅くなってしまった。

これ以上止まっていても仕方がないと、一つ前の停留所でバスを降りたのだ。
そうなるとバスに追いつかれてしまうのは悔しい気持ちになるので、跳子は必死で走った。
そのおかげで、乗っていたバスに追い抜かれることなく烏野高校の最寄のバス停についた時、朝練まではまだ充分間に合う時間だった。

跳子は少しだけ足を止め、荒くなった呼吸を整えるために深呼吸した。
ドクドクと血液を体中に送っていた心臓が、少しずつ落ち着いていくのがわかる。
最後にふぅーと大きく息を吐き出して、跳子は再び学校へと向かい始めた。


校門の前でちょうど反対側の道から澤村が歩いてくるのが見えた。

『澤村先輩!!!』

跳子が大きな声で呼ぶと、それに気付いた澤村も顔をあげる。

その澤村に向かい、跳子ははじけるような笑顔で大きくピースサインをしてみせた。



昨日の日曜日ー。
跳子は澤村に宣言した通り、両親と話すために部活の後実家に帰ったのだ。

電話で先に約束していたとはいえ、両親に会うのは久しぶりだった。
怒られる恐怖も消えてはいない。

それでも澤村に言われたことを思い出し、跳子は自分に起こったことやその気持ちを丁寧に両親に伝えた。

聞いた直後は黙っていた母親が、少しして怒りはじめた。
しかしそれは跳子に対してではなく、彼女を傷付けた人やそれに気付かなかった自分自身に対しての怒りだった。
そして泣きながら謝る。跳子も同じように泣きながら首を振った。
父親も、助けてやれずに責めてしまったことを謝りながら頭をさげた。
それを跳子が慌てて止めるとその真剣な顔をあげ、今後は何かあったらすぐに話して欲しいと跳子に頼んだ。
自分も両親を誤解していたのだという事実に気付いた。


わだかまりのあった時間の長さに比べ、あっけないほど早く取り戻すことができた。

それはとても簡単なことだったんだ。
話せばよかった。それだけだった。

そして久しぶりの家族団らんの中で一緒にご飯を食べ、昨夜は実家に泊まってから学校に向かったのだ。



晴れやかな跳子とピースサインを見て、澤村もまた心から安心した。
たきつけたのは自分だったし、これ以上何か誤解を受けることがあったら、自分が飛び出して行こうとも本気で思っていた。

「よかったな。」

澤村の言葉で、跳子がまた嬉しそうに笑った。

『ハイ。本当にありがとうございます。』
「ははっ。俺じゃなくて、鈴木が自分で頑張った結果だ。」

澤村はそういうが、先輩の言葉がなければ今も何も変わっていなかったハズだと跳子は思った。

「で、結局実家には帰るのか?」
『う〜ん。親にもそう勧められたんですけど。ただ今日来てみてちょっと大変だったので…。』
「まぁ徒歩通で一回通ってみちゃうとなー。」

口を開けて大きく笑った澤村を見ながら、それに−と跳子は心で思う。

(澤村先輩と帰れなくなっちゃうし…。)

実家に帰ると、澤村と一緒に帰るあの大好きな時間がなくなってしまうというのが、跳子にとって大きな理由の一つだった。
ただ送ってもらっている立場としては、あまり大声では言えないなと思った。

自分の我が儘に一人で軽く苦笑して顔をあげると、澤村が少し真剣な顔でこちらを見ていた。

「…牛島とも話したのか?」
『面と向かってはまだ話してないんです。でもとりあえず電話で謝りました。』

そうか。

澤村がポツリと言った。


話していると、騒がしい部室が近づいてきた。
着替え終わったのか、中から飛び出してきた日向がこちらに気付き、二人の名前を呼んで大きく手を振ってくる。

澤村と跳子も、それに軽く手を振り返す。

手を振りながら、澤村が跳子に言った。


「おかえり。鈴木。」
『!』


もう烏野高校が私の居る場所だ。
それをみんなが認めてくれている。


『ただいま、です。』


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