長編、企画 | ナノ

そして今の君へ



たどたどしくもゆっくりと全てを話した跳子を見て、澤村はしばらく何も言葉にできず、複雑な思いで唇をかみしめていた。

あの笑顔の裏で、ずっとそんな大きな荷物を背負って一人で必死に耐えてきたのか−

その強い優しさを愛しいと思った。
彼女を傷つけた奴らを憎らしく思う気持ちも当然あったが、いくら悔しいと思っても今の自分に当時の彼女を守る術はない。
でも、今澤村の目の前には、頼りなく肩を震わせている現実の彼女がいるのだ。

−抱きしめてしまいたい−

澤村はその小さな肩に手を伸ばしかけたが、必死に自分を抑えこんだ。


「…鈴木。辛かったな。よく、頑張った。」

澤村の口から出たのは、そんな普通の言葉だった。
でも、心から溢れ出た言葉だった。
そして、愛おしむように、伸ばした手で跳子の頭をゆっくりとなでた。

跳子はハッとしたように顔を上げた。
澤村の顔は、優しく跳子を見つめていた。

(私、ずっとそう言ってもらいたかったんだ。)

言われて、自分自身が初めて気付いたことだった。
話している時には必死で堪えていた涙が、自然と落ちた。
澤村に頭を撫でられながら、しばらくの間優しい時間が流れた。



少し落ち着いた頃、跳子がふと我に返る。
いっぱいいっぱいだったとは言え、とても失礼なことをしてしまったと焦りはじめた。
それに長い時間引き留めてしまった。明日の朝も練習があるのだ。
慌てて立ち上がり、せめて飲み物を用意しようとする。

「そんなことは気にしなくていいよ。」

こんな時にも人のことを気にする跳子に、澤村は優しく苦笑する。
そして真剣な顔で自分の前を指差し、跳子に座るように促すと、跳子はちょこんと畏まったように小さく座った。

「俺は当事者ではないから大したことは言えないが、俺自身が聞いて、思ったことを言ってもいいか?」

跳子が、しっかりと澤村の目を見て頷いた。



「鈴木、お前はご両親とちゃんと話した方がいいと思う。」

あ…と小さくつぶやいて、跳子の肩がピクリと揺れる。

「鈴木は今まで誰にも話してなかったと言っていたな。俺は今、こうしてお前から話を聞くことができた。鈴木が辛かった話を聞いてこんな言い方は失礼かもしれないが、それでも話してくれたことが嬉しいよ。話を聞けたから、こうして自分の意見を伝えることもできる。だから、わかって欲しい人にはちゃんと話した方がいい。自分の口で。」

黙ってしまった跳子を見て、澤村は真剣な顔を少し緩めた。

「説教をしたいわけじゃないんだ。お前が誰にも心配をかけまいとしたことはわかってる。でも、心配くらいさせてやれ。心配かけた後に、その分安心させてやればいい。鈴木だって、友達が何も言わずに苦しんでいるのは、いやだろう?」

跳子が小さくコクリとうなづいたのが見えた。

「確かに誰しも言葉にしないでわかってもらいたい時もある。でもやっぱり言葉にしないとわからないこともたくさんある。そしてみんな、お前のことを"わかりたい"と、"解り合いたい"と思っているはずだ。牛島も、お前の両親も、友達も、俺たちだってな。」

伝えるために言葉があって、人はその術を持っている。
それは至極当たり前のことだったが、すごいことなんだと素直に思えた。

「お前の親だってきっとそうだ。自分たちの最愛の娘が、理由も何も言わずに自分たちが思う最善の道から逸れようとしている。娘の幸せのために、嫌われてでも道を正そうとしてるんじゃないか?」

澤村の言葉が浸透するように入ってくる。
あんなに頑なだった自分のわだかまりがスッと溶けていくのがわかった。
ただ怖くて悲しかった日々が、明るくなっていくように感じた。



『私、両親と話してみます。』

跳子は、自然とそう決心することができた。
まだ涙目だったがその強さを秘めた表情はとてもキレイだった。


澤村は今度は耐えきれず、思わず彼女をギュッと抱きしめた。

「頑張れ。何かあったらすぐ俺に言え。」
『…はい。ありがとうございます。』
「あとな、辛い思いをしたお前にこんなことを言うのもどうかと思うんだが…、」


烏野に来てくれて、ありがとう−


そう言った澤村の腕に、力がこもった。
その優しく力強い腕の中で、子供のように安心した跳子が、また小さく鼻をすすった。


|

Topへ