●●●決定的な日
ドンドン、と跳子が必死に扉を叩く。
『すいません!どなたかいませんか?!開けてください!』
中に閉じ込められてから時間の感覚がよくわからないが、30分ほど経っただろうか。
部活着のため携帯だって持っていない。
ただでさえあまり体調がよくなかったというのに、この状況と室内の埃っぽさ。
加えてさらに大声を出していることで、跳子は眩暈を覚えてふらついた。
でも声を出さないわけにはいかなかった。
『スイマセン!気付いて!誰か−』
「?!誰か、いるのか?!」
外からそんな声が聞こえた。
慌ててカギを持ってきて開けてくれたその教員が、何故こんな状況になったかを聞いてきたが、跳子はやはり真実は言えなかった。
『…中にいるのに気付いてもらえず、閉められちゃったみたいで…。』
「そうなのか?本当に気をつけろよ。それにここのカギを開けるなら、ちゃんと貸出管理簿に書きなさい。」
普段はここは閉まっている、という事実がさらに跳子を暗い気持ちにさせた。
跳子が来た時にはここは開いていた。
そしてここを開けた人物は、管理簿に名を残していない、ということだ。
もう一度謝罪と御礼を口にし、跳子は重い足をひきずるように体育館に向かった。
足だけではなく、頭も重い。
どうやら体調もひどく悪化してしまったようだ。
時間はやはり30分以上経っていて、すでに部活が始まっていた。
遅れた理由をなんと言おうか…。
そう思いながら入り口に向かうと、そこには牛島が腕を組んで立っていた。
そういえば今日は、久しぶりに全国大会中の後輩指導に来てくれると言っていた。
体調が悪くなっていた跳子は、牛島の顔を見るなり安心感を覚え、その覚束ない足で彼に駆け寄ろうとした。
『わか…、』
「跳子。一体どういうことだ?」
『え?』
冷たいその口調に、跳子は身体も思考もピタリと止まった。
「何故部活に遅れてきた?」
『…っ。』
「何も言えないのか。」
跳子の目に、牛島の後方の体育館内からこちらの様子を苦々しく見つめる、姫野の姿が見えた。
言えるはずがなかった。
「跳子。先ほどアイツらから聞いたが、部活や仕事をサボっているというのは本当か?」
『!!』
もちろん牛島は、まわりの言葉を鵜呑みに信じているわけではなかった。
話を聞いた時には、"跳子はそんなヤツではない"とはっきり口にしていた。
元部長として、毅然と本人に事実確認をしているだけだった。
ただ、今の跳子の精神状態で、それを理解できるわけがなかった。
それほどまでに追いつめられていた。
(若くんまで、私を疑っているんだ。若くんも、信じては…くれないんだ。)
跳子は絶望感と熱で、足元がグラつくように感じた。
その様子を見ていた牛島が、気付く。
(?随分と顔色が悪い。体調が悪いのか?今日はもう帰した方がいいな。)
「そんな状態でここに来るとは…。もう帰れ。」
牛島の一言が、跳子の心臓に冷たく刺さった。
部活中でない、普段の二人でいる時間だったら、牛島ももっと違う言い方をしていた。
こんな状態でなければ、跳子も当然それをわかっていたはずだった。
でも、もう無理だった。
跳子は顔もあげることすらできなかった。
牛島に信じてもらえず、軽蔑された−それだけが跳子の頭に残っていた。
身体を反転し、足をただ前に動かす。
前も見ず、ただそれだけを繰り返した。
「ちょっと!」
ひたすらに歩く跳子を呼び止めたのは、姫野だった。
足を止めてゆっくり振り向いたが、声はでなかった。
「なんで…なんで何も言わないのよ…!」
声は、出ない。ただ微妙な距離でお互いに見つめ合うだけだ。
「ただ隣に住んでるってだけなのに、一緒にいてもらってずるいのよ!ちょっと頭がよくたって、それだけじゃない!跳子なんて牛島さんにふさわしくない!!」
姫野が、叫ぶように泣いていた。
彼女をそこまで追い詰めたのは自分なんだと思った。
小さな頃からただ親に言われて、勉強をしてきただけ。
若くんが頑張っていたから、自分も頑張ってきただけ。
その二つを取ったら自分には何も残らない。
そんな自分は確かに自分をしっかり持っている牛島にふさわしくなんてない。
そう感じた。
『ごめんね…。』
跳子はそれだけ言葉にして、その場から立ち去った。
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