●●●胸が、痛みました。
「−旭。」
呼ばれた声に反応して、ゆっくりと顔をあげる旭くん。
その心の中にじんわりと複雑な感情が広がっていくのを、私はもちろん止める事も出来ないままただ感じ取っていた。
「話すの久しぶりだな…スガ。」
そう口にした旭くんの視線の先に立っていたのは、キレイな男の人。多分あの日見た背中のうちの一人だ。
"スガ"と呼ばれた男の子が真っ直ぐこちらを見据える。
その優しそうな目に少し悲しい色が含まれているのが見えて、旭くんの胸にまた苦いものが広がる。
「何か変な感じだな。」
苦さを誤魔化すように、小さな笑いを浮かべた。
しかしそれに構わず、スガくんは言葉を続ける。
「…頼む。戻ってくれよ、旭。」
その言葉に、旭くんが空気を飲み込んで湧き上がるいろんな気持ちを抑えた。
多分不安と、恐怖と、申し訳なさと、ほんの少しの喜び。
きっと旭くんは、まだ自分が求められてることにちょっとだけ安心したんじゃないかな。
でも結局それには気づかず、その喜びは流されて消えてしまう。
「お前だってそうだよ!お前がトスを呼ぶだけで皆心強く思ってるよ!」
旭くん。スガくんは、本気だよ。ちゃんと本心で答えないと。
何があったかは知らないけど、あんなに苦しそうにするくらいなら…!
必死に私も頭の中で願うけれど、もちろん彼には届かない。
私の意に反して、旭くんの顔は力ない笑顔を浮かべた。
「…気持ちは嬉しいけど…、俺が戻ってもまた皆の足を引っ張っちまう。」
何でもないことのように、旭くんが言う。
全然笑ってなんかないくせに、ハハッと小さく声をあげた。
スガくんもそれは解ってるのか、真剣な顔のまま説得を続けた。
「…今、チームは確実に変わってるんだ。」
少し悔しそうな表情で、新しいセッターのこと、最強の囮のこと、それにより旭くんにばかり負担がかからなくなることを必死に伝える。
私には理解できないことも多かったけど、きっといい方向にかわりつつあることだけはわかった。
しかしタイミング悪く、旭くんの名前を呼ぶクラスメイトの声が響く。
そういえば今日は進路相談の日だった。
私はつい一人で舌打ちしたくなる。
黙ってスガくんの言葉を聞いていた旭くんが、その言葉を遮って立ち上がった。
「そのためには大黒柱のエースが、」
「悪い…スガ。」
それだけを告げた旭くんが、スガくんに背中を向けて教室を出る。
心の中では、口にした言葉の何倍も謝ってるみたいで。
そんな彼の耳に、聞き慣れない声が入ってきた。
「やっぱお前、先行けよっ。」
「はぁ!?お前がエース見たいって言い出したんだろ!!」
自分には関係ないかと進路指導室へ足を向ける背中に、再びスガくんの声が届く。
「待てよ旭!!」
「「"旭"!?」」
すると予想外に先程の声がその名前を繰り返したから、私は(というか旭くんは)思わず振り返った。
「?なに?」
そこにいたのは、黒髪の、ちょっと目つきのキツイ男の子と、その後ろにサッと隠れた小さなオレンジ色の頭の男の子。
どうやら旭くんには見覚えがないみたいで、不思議そうにその二人を見つめる。
するとすぐ教室から出てきたスガくんが反応した。
「お前ら、こんなとこで何してんの?」
「あっ、えっと、」
「この前入った1年の日向と影山。」
「おぉ、1年かぁ。」
「「ちわっす!」」
何だか普通に話が出来て、少しホッとする。
それにやっぱり部活の心配はしてたのか、1年生が入ったことが嬉しいみたいだ。
「がんばれよ。」
スガくんから聞いた情報で、オレンジ色の日向くんの腕をポンと叩きながらそう微笑めば、彼は「えっ」と意外そうな声を出した。
「一緒にがんばらないんですかっ?」
「!」
「おれエースになりたいから、本物のエース、ナマで見たいです!」
何も迷いのないような、ひたすらに真っ直ぐな瞳。
それに気圧されるように、言葉に詰まった。
「……悪い…、俺はエースじゃないよ。」
再び呼ばれた名前に、ようやくそれだけを告げてその場を立ち去る。
―"本物のエース"。
旭くんの胸が、ギュウっと絞られるように痛い。
「本物のエース…。俺はそんなんじゃないんだ。」
呟いた声に、私は答えられない。
何もしてあげられないもどかしさに、私の胸も同じように痛んだ気がした。
胸が、痛みました。−自分の胸か、彼の胸かはわからないけど。
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