長編、企画 | ナノ

オオカミ少女とライオンと


音駒高校の放課後の体育館は、毎日とっても騒がしい。
その要因となっている男子バレー部の様子を、体育館の二階からながめるのが私の日課でもある。

「うぉぉぉ!たぎるぜぇ!待ってろ烏野ォ!!」
「……。」
「って研磨!少しはのってこいコラァ!!」
「山本、うるせぇ!体力あり余ってんなら一人で外走ってこい!」
「俺だって!翔陽にもリエーフにも負けないッス!」
「ははは。元気だなぁ、犬岡は。」

あちこちから聞こえてくる声にクククと肩を震わせながら、私は一番の目的であるコートの隅っこに視線を向ける。

「オラ、へばってんなよリエーフ。まだ途中だろうが。あと50本残ってんぞ。」
「うぅ、夜久さん…もうレシーブ練は終わりにしましょうよー。スパイク打ちてぇ。」
「お前がレシーブまだまだなんだから、しょうがねぇだろ。」
「だって中腰でいんのすげーツライっすもん!夜久さんは小っさいからいいかもしれないですけど、」
「あ゙ぁ゙?!リエーフてめぇ!」

地面に倒れ込んでいるリエーフがまた余計なことを言ったせいで、夜久さんが容赦なくバシバシとボールを打ち込む。
ギャアギャアと騒ぐリエーフに向かって夜久さんが、「あと100本だからな!」と言ってビシッと指をさした。
いつの間にか倍に追加されたそれに「ゲッ!増えてる!?」と思い切り嫌そうな声を返すが、まぁこれもいつものことか。

そんなやり取りを見て"バカだなぁ"なんて思いながらも、顔が笑ってしまうのは止められない。
可愛そうな気がしないでもないが、なんだかんだ言ってバレーボールをしているリエーフは一番楽しそうだ。
それに、いつもクラスではどこか自信家で、いつだって自由な感じがする彼が、先輩たち―特に夜久さん―には弱いようで、こんな風に怒られたりイジられたりしているのは部活ならではだった。
そんな"後輩"な姿のリエーフは、いつもと違ってちょっとかわいかったりするのだ。


手すりに肘をかけながら練習を見つめる私の耳に、ピーっと長めのホイッスルが聞こえた。
続いて黒尾先輩の大きな声が体育館中に響き渡る。

「今から10分休憩なー!その後試合形式の練習すっから、汗拭いたらコートにモップかけるぞ。」
「「「うぇーい。」」」

気怠そうに返事をしながら、わらわらと各自ベンチの方に向かって水分をとったりタオルで汗を拭いたりしている。
ふと時計を見れば、練習が始まってから一時間ほど経っていた。
こうしてバレー部の練習を見学をするのは確かに日課だけれど、最後まで見ていることはない。
バレー部は最終下校時間ギリギリまで練習をしていると聞いているし、部活に何の関係もない私がそんな時間までいるわけにはいかない。
まぁ見れるものならばずっと見ていたいとも思うが、さすがに邪魔だろうし。

(そろそろ帰ろうかな。)

ふぅと小さく息をついて、足元に置いてあったバッグを肩にかけた。
もう一度チラッとベンチの方に視線を送るが、いつも頭一つ飛び出ているハズの彼の姿はそこになくて。

(あれ?)

最後にもう一度見たかったのに、と項垂れるように手すりに額をぶつけた時、「跳子!」と私の名を呼ぶ声が思ったよりも近くから聞こえてきた。

バッと顔をあげて声のした方を覗き込むと、いつの間にか私の足元近くにやってきたリエーフが、私の方を見上げている。

『リ、リエーフ?!こっち来ていいの?』
「跳子、もう帰るのか?」
『え、あ、うん。そろそろ帰ろうかなと思って。』

私の質問に答えずに、リエーフはまっすぐに私の方を見つめていて。
それにドギマギしながら返事をすると、リエーフはブーブーと口を尖らせる。

「えーっ?!今から試合だぜ?」
『うん、みたいだね。黒尾先輩の声聞こえたから知ってるよ。』
「跳子いっつもその前に帰るよな!どうせだったら俺のカッコイイところ見て行けよ!」
『っ、』

思わず"見たい!"と返しそうになった言葉を飲み込んで、私は誤魔化すようにベッと舌を出した。

『リエーフのカッコイイところなんて想像つかないし!』
「なんだよソレ。試合中ガンガンスパイク決めて一番点とれば、かっこいいだろ!」

何それ、確かにカッコいい。
ぐ、と言葉に詰まった時、コートの方から黒尾先輩の声が聞こえた。

「オラー、リエーフ。集合しろー。」
「えぇー。」
「不満そうだなこの野郎。じゃ跳子ちゃんのパンツの色教えてくれたら3分延長してやる。」
『は?』
「んー、白!」
『な…!』

勢いよくスカートを押さえて、一歩後ろに下がった。
まさか、下から見えたりしたり?!

そんな私の気も知らず、黒尾先輩が「おー清純派ー」なんてニヤニヤしてる。
リエーフをキッと睨み付けると、ニッと歯を見せていたずらっぽく笑った。

「お、当たった?」
『当た…?って、バカリエーフ!』

思わずバッグに入ってたスポドリを上から投げつければ、全然普通にキャッチされてしまう。

「ラッキー。サンキュー跳子。」
『げ。私のなのに…!』

「返せ!」なんて言ってみても、上下で離れているこの場所では伸ばした手が届くはずもなく。
私のスポドリはぐびぐびとリエーフの喉を潤していく。
ムカツクのに嬉しくて、それがまた悔しい。

「3分経過したぞ、リエーフ!」
「げっ。跳子のパンツの効力全然短いな。」
『うっさいわ!』
「で、見てくだろ?俺のスパイク。」

リエーフの当然、と言った自信が腹立たしくて、私は「帰る!」と言い放つ。
万が一見るとしても、私が見るのは試合なはずなのに、何が"俺のスパイク"だ。
多分、いやきっと絶対そうなるんだろうけど、決めつけないでほしいわ。

『"カッコいいところ"なんて、夜久さんや他の先輩たちみたいに、華麗にレシーブ捕れるようになってから言ってよね!』
「むぅー。」
「跳子ちゃんよく言った!」

苦虫を噛み殺したようなブーたれた表情をしたリエーフとは反対に、コートで聞いていたらしい夜久さんが満面の笑みでピースをしてくれた。
それに笑顔でピースを返してから、リエーフに「じゃあ頑張ってね」とだけ声をかけて私はくるりと階段の方へと足を向ける。

速足で逃げ去る私の背中の方から、「リエーフ!いい加減集合だっつってんだろ!」とまた黒尾先輩の怒号が聞こえてきた。

体育館の二階からステージの方に降りる階段は、影になっていて薄暗い。
思わず足を止めて大きくため息をついた。

また憎まれ口を叩いてしまった。
ルールもポジションもうろ覚えな素人が何言ってるんだって、自分でも思う。
あれじゃ最後の応援の言葉だって、ただの嫌味にしか聞こえないだろう。

こんなんじゃ、告白どころか、女の子として見てもらうことすら難しい気がする。

ヨロヨロと止まっていた足をゆっくりと動かして階段を降り切ると、今度は試合開始のホイッスルが鳴った。
響いてくるボールの音や掛け声に好奇心がつつかれてしまい、ステージの端っこから見つからないようにそっと覗き込んでみる。

(うわ…っ!)

その時、コートの中で、リエーフが天を跳んだ。

誰よりも高い場所に、誰よりも長く留まれば、きっともうそこにはボール以外何もないんだろう。
野生の動物みたいに剥きだしの闘争心と、しなやかでキレイな身体。
その右手が鞭のように振るわれたかと思えば、もうボールは相手のコートに叩きつけられていて。
地面に降り立ったリエーフがにぃっと笑う。
力づくで得点を奪い取る快感に酔いしれる悪い顔のような、それでいてどこか無垢な子供みたいに嬉しそうな笑顔のような。

同時に目に飛び込んでくる情報に目がチカチカして、私は息を吐くのも忘れて見惚れていた。
教室で見る姿とも、さきほどまでのヘタれた姿とも全然違くて、胸がぎゅうぅっと痛くなる。

(―何これ。こんなの、ズルイ。)

こんなにカッコイイ姿を見てしまえば、もう何も誤魔化せる気がしない。
ただただ自分の気持ちだけが大きくなってしまい、口に出せない代わりに溢れそうになった涙をグィと手で拭う。

「やっくんナイスレシーブ!」
「おぉ!!」
「…ん?」
『っ、』

もう一度コートに視線を戻した瞬間、リエーフがこちらを向いた気がした。
慌てて幕の後ろに顔を引っ込めてドキドキと高鳴る胸を押さえていれば、特に何事もなく試合が進んで行くのが聞こえてホッと息をつく。
再びリエーフを見てしまうときっとまた視線を奪われてしまうだろうから、そのまま逃げるように体育館を後にした。



翌日になっても私の心臓は落ち着かず、いつものように話すこともままならない。
今までだってリエーフのことを好きだって思っていたハズなのに、何でいまさらこんな事に。

自分でも変な態度をとっている自覚はある。
リエーフに何度か話しかけられても、逃げるように避けてしまっていた。
けど、今日だけはちょっと顔を見れそうにないから許して欲しい。

「…跳子。」
『う。』

まぁでも、そんなことは彼に伝わるわけもなくて。
全授業が終わると同時に廊下に飛び出したのに、ガッシリとその長い腕に捕まれたかと思えば、そのままズンズンと上の階の特別教室に引っ張られてしまった。

『な、何?』
「何って、こっちが聞きたい。」

明らかにイライラした表情を隠しもせずに、リエーフが私の目を見下ろす。
背が高い上に色素の薄い切れ長の目に睨まれれば、かなり迫力があって私は思わずゴクリと喉を鳴らした。

「…跳子は、いつも誰を見てんの?」
『え。』
「昨日だって、結局帰るとか言ってたくせにステージんとこいたじゃん。」

リエーフに見竦められながら、昨日のことをふっと思い出す。
あの時、振り向いたリエーフにしっかりと見つかってしまっていたらしい。

視線はあったまま、私の脳内はぐるぐると目まぐるしく回っていた。
やばいやばい、バレたらどうしよう。リエーフを見てる、なんて。
明日からも普通に話せなくなっちゃう。リエーフの笑顔も見れなくなっちゃう。

(どうしよう―、)

『や、夜久さん、かな。』
「…夜久さん?」
『だって、ほら。カッコイイし。』

思わずふと私の口をついて出たのは、リエーフと一緒によく笑っているのが浮かんだ夜久さんの名前だった。

「…ふーん。」
『…。』
「それと今日俺を避けてたのって、何か関係あるの?」
『っ、えと。リエーフに協力とかお願いしようかなーって思っただけ。』

どんどん苦しくなっていく言い訳が、もうひっこみがつかない。
一つのウソを誤魔化すために、また一つウソがそこに上乗せされてしまう。

一瞬目の前にあるリエーフの顔がどこか歪んで見えたのは、私の心苦しさからだろうか。

「…協力、すればいいわけ。」
『え。』
「俺に何してほしいのか知らないけど、跳子は夜久さんのこと好きってことだろ。」
『や、違―、』
「別にしてもいいけど。」

"夜久さんのことが好きなんだろう"とハッキリと口にされると、私の口は無意識に否定の言葉を出そうとした。
しかし被るように言われたリエーフの一言に、それも途中で止まってしまう。

私が夜久さんを好きだと言えば、リエーフは協力しても構わないのだと。
何気なく彼はそう言ったんだ。

ウソとはいえ自分でお願いしたようなものなのに、私は自分勝手にもショックを受けて固まってしまう。

そんな私の目を覗き込むように、リエーフが言葉を続けた。

「でも夜久さん、彼女いるから無駄だぜ。」

頭は追いついていないのに、つい口からは無意識のままリエーフの言葉をそのまま繰り返す。
いつの間にかリエーフの手が私の顔の横にあって、私は背中を壁に預けていた。

『無駄、って、』
「だから跳子がいくら好きになっても無駄なんだって。」
『あ、そう、なんだ。』

夜久さんに対して、という意味で言われているのはわかっているのに、"好きになっても無駄"という言葉だけがグサリと胸に刺さる。
リエーフが私に何の気持ちも持っていないのがわかってしまった今、その意味を痛感してしまって。

呆然としたまま見つめていたらしいリエーフの顔が、視界の中でふいと私から逸らされる。
罪悪感にかられたような、苦しそうな顔が見えた。

「…ウソ、だけど。」
『う、そ?』
「―、ごめん。」

何に対する嘘なのか。
リエーフがついた嘘なのか。
私の嘘のことなのか。

わからないまま、リエーフの顔がただ目の前に迫っていて。
唇に押し付けられたのは、好きな人からの初めてのキス。
なのに、離れていく彼はすごく苦しそうな顔をしていた。

「―俺は、跳子の視界に入れないんだな。」
『っ、リエ―、』

私の顔の横で壁を掴むように拳を作ったリエーフが、もう一度「ごめん」と吐き捨てるように言って走っていく。
彼の名を呼ぶ私の声は、喉の奥に留まって追いつけなかった。


ずるりと背中を伝う壁の感触が、固くて、冷たくて、私のしてしまったことを責め立てる。


―リエーフを、傷つけてしまった。
見たことのない顔をさせてしまった。

私、自分を守るためになんて嘘をついてしまったんだろう。

後悔の念が溢れる涙に変わっても、ただ冷たいだけで何も変わらない。
どうしたって取り戻せない。ついてしまった嘘。

冷えた手で顔を覆い隠した時、何もかもが冷たい中で唇だけがカッと熱いことに気が付いた。
思い出すのは、先ほどのキス。


(そうだ、泣いてる場合じゃない。)

このまま終わりになんて、したくない。
たくさん謝るから。許してもらえるまで話をするから。
私がつけてしまった傷だけど。できるなら私が治したい。

だからどうか、間に合って欲しい。
絶対に失くしたくないものを、あなたのキスが思い出させてくれたから。


冷えた手で冷たい頬をピシャリと叩けば、そこからまた熱が生まれる。
震える膝に力を込めて、私はリエーフの後を追いかけるために立ち上がる。

『リエーフ!待って!』

聞こえないのはわかっているが、願いを込めて大きな声を出して教室を飛び出した。


同じように頬を赤くして戻ってきたリエーフとぶつかるのは、ここからわずか一分後の話。


イシイ様、リクエストありがとうございました!


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