●●●「それは私」と雀が言った
私の腕を引きながらただひたすらにズンズンと進んでいく岩泉くんの背中が、何だかすごく怒っているように見える。
文化祭の人ごみを抜け、やがて一般開放されていない旧校舎の方へ入ればすっかりと人の気配はなくなった。
そこでようやく岩泉くんの足が止まる。
ゆっくりと手を離されれば、私はとりあえず酸素を求めて荒い呼吸を繰り返す。
岩泉くんの早歩きは、私にとっては小走りで。
いや、最早小走りとも言えないくらいの速さだったと思うからただの"走り"かもしれない。
だいぶ落ち着いてきた呼吸を、最後に深呼吸をして整える。
心臓はまだまだ早いままだったけど、それは走っただけが原因ではないから仕方ないと諦めた。
そうしてようやく顔をあげれば、それを黙って待っていてくれた様子の岩泉くんと目が合う。
でもやっぱり機嫌は相当悪そうで、その雰囲気に掻いた汗が急激に冷えていくのを感じた。
『えっと、どうしたの?岩泉くん。』
「……何だよ、さっきの。」
『さっき、って…?』
条件反射のように言葉を聞き返せば、岩泉くんがイライラを治めるように横の壁を拳で叩いた。
ゴッという音がして、私は思わずヒッと息を飲む。
「どうしたもこうしたもねぇよ。お前、彼女のフリしねーんじゃなかったのか?」
『あ、それは…っ、』
「それに…、及川とキスって、何の話だよ。」
『!!』
ピリピリとした雰囲気の中、それでも声を荒げるのを必死で抑えるかのように、岩泉くんが言葉を絞り出す。
目が合えば、彼が私の答えを待ってくれているのがわかる。
と言ってもその件に関しては私もまだ整理がついていないのだ。
『あ、あの…。したっていうか、その合宿でね…。』
何でこんな状態になっているのか考える間もなく、私はしどろもどろになりながら話をする。
整理のつかない頭で、それでも岩泉くんに誤解されたくないと思った。
そう思ってあの時の話を簡単に説明したけど、上手くできたかはわからなかった。
『その…、私眠ってたから誰かはわからなくて、だから…、』
そこからは何と言っていいかわからず言葉尻が萎れるように小さくなってしまって。
口をつぐんだまま恐る恐る顔をあげると−…、
何故か岩泉くんが赤くなっていた。
驚いてそれを見つめていたら、すごく小さく「あんにゃろ…」と呟いた岩泉くんが頭をボリボリと掻きむしった。
「あー!くそ!及川のヤツ…!」
『ご、ごめんなさ、』
「違げーよ!鈴木に怒ってんじゃなくて、まんまとしてやられたっつーか…!」
『??』
忌々しげな声を出す岩泉くん。
怒っているというわけじゃないみたいだけど、でも言ってることは理解できなくて。
私はただただ不思議な顔を浮かべて岩泉くんの方を見ていると、彼が気まずそうに視線を合わせた。
「……それ、俺だ。」
『え?』
「寝てるお前にキスしたの。及川じゃねぇ、俺だよ。」
真っ赤になったまま岩泉くんが信じられない言葉を口にする。
「誰にも言ってねーのに、アイツ見てやがったんか…。」
ボソボソと呟いた岩泉くんの言葉は、もう私の頭までうまく届かない。
その前の一言を処理するのにとにかくいっぱいいっぱいで。
ようやく理解した時に私の口から無意識に漏れ出ていたのは安堵の言葉だった。
『岩泉くん、だったんだ…。嬉しい…。』
「は。」
今度は岩泉くんがポカンとした表情を浮かべた。
それを見てようやく自分が漏らしてしまった言葉に気付いたけど、もうそれを取り戻すことはできなかった。
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