背を濡らす瞳(リゾット×プロシュート)
※過去捏造です注意
その日も雨が降っていた。シチリアへの出張任務で、最近アジトにこもりきりだったオレは少々浮かれていた。生憎の雨だがせっかく遠い土地まで足を延ばしたのだ、観光でもしようじゃないか、今日はそんな気分なんだ。いつもとはちがう風景、におい、青く透き通る海。町のどこからでも海のにおいが感じられた。生命が生まれ、そして帰る場所。オレは感傷に浸りながら町をあてもなく歩いていた。すると人通りのすくない暗い路地で男とぶつかった。まだ少年と呼べるような頼りない体をした男だ。男は下を向いていて、オレは彼から嗅ぎ慣れたにおいがすることに気がついた。血腥い、死のにおいだ。だが、だからといっていちいちそれにかまおうとはおもわなかった。人殺しなどよくあることだし、実際オレは人殺しを生業とする人間だ。「気をつけろよ」と言い置いてさっさとその場を後にした。その背に、彼のものであろうじっとりとした視線を感じていた。オレは足早に、その男から離れることにした。裏路地を何本も通って振り切る作戦だ。オレはイルーゾォのように鏡の中に隠れたりできないから自分の足で振り切らねばならない。面倒だ。途中、路地の真ん中でいろんな種類の刃物で刺されたような死体を見た。さっきの男はコイツを殺したのかもしれない。不思議だったのはその傷がすべて内側から体を刺し貫いていたことだ。だがオレの仕事はあくまで殺しであって検死ではない。そういうのは警察がやりゃあいい。そうおもい死体から流れ出る血を踏まないように超えて先を急いだ。なんとなくさっきぶつかった男からは同類のにおいがした。早くこの場を立ち去らねば。今日中にもシチリアを出たほうがいい。同類と関わっていいおもいをしたことはない。さっさとホテルに戻って任務を終えてしまおう。たしか標的との約束が午後5時半。今は3時だから多少時間はあるが仕方がない。ジェラートでも食って時間を潰そう。
ようやくホテルが見えてきた。土地勘のない土地で歩き回ると自分がどこを歩いているのかわからなくなる。後ろから追い立てられるような気配や足元のぐらつく感覚、このままどこへも辿りつけないんじゃないかという焦燥感が襲ってくる。だからホテルが見えたときは正直ほっとした。男を振り切ろうと遠回りをしたから気づけば時間は4時を越えていた。1時間以上歩き回っていたことになる。ひどく疲れた気分でホテルのカフェでジェラートを頼んだ。さっきの男のことをおもう。何故こんなにも気になるのかはわからない、だが男は「気をつけろよ」と凄んでみせたオレに向かって、俯いたまま、笑った。たしかに笑ったように見えたのだ。それが怖かった。オレたちのような商売でもなければ普通、人を殺した直後に人に向かって笑って見せたりはできないものだ。興奮していたのだろうと片づけることはできたが、あの笑みが妙に心に残って消えなかった。時計はすでに5時15分を回っている。ジェラートはとっくにとけてスプーンが液体に浸かってゆるやかな波紋を立てていた。
5時半、標的がやってきた。スマートな男だ。髪をオールバックに固めて愛想の良い笑みを絶やさないところが好感が持てた。標的はうつくしい男に目がないということでオレが選ばれたわけだが、彼はそんな欲望など垣間見せずあくまで紳士な態度を崩さず食事を終えた。傍から見たらこんなにも仲好さげに談笑しているふたりが標的と暗殺者だとはおもわないだろう。標的はしばらくとりとめもなく世間話を続け、オレも営業スマイルで相槌を打ち続けたが、7時を回ったころ、ようやく標的の口から「じつは上の階に部屋をとってあるんだが…」という言葉が出た。オレは笑顔を作るのにも疲れてきていたのでやっとか、とおもいその言葉にやわらかい微笑で頷いた。男は「では行こうか」とさっと席を立った。ウェイターに律儀に「ごちそうさま、美味しかったよ」と声をかけるところがいいなとぼんやりおもった。エレベーターの中でも部屋に入っても、彼は紳士な態度を崩さなかった。そういうがっつかないところもいい、そうおもった。けれど人というのはどんなに魅力的であろうと人と人との間で生きている以上、どこかで恨みを買うこともある。この男の場合はどんな恨みを買ったのだろう。オレのしる由もないことだが、あまりに気さくな笑みを見ていると数分後には死んでいるであろう彼をすこし憐れにおもったりもした。だがその死でオレの最低3か月分の生活費ができる。世の中はうまく回っている。ベッドに座るように言った標的はオレの髪を撫でて「綺麗なブロンドだね」と言った。続けて「キスをしても?」と言ったようだったがその声は老けてしわがれてよく聴こえなかった。床に座り込んで何か呻いている相手の手をやさしく握ってその脈が弱くなっていくのを感じ、それが完全に止まったことを確認してオレは電話を手に取り「任務完了」とだけ告げた。
部屋を後にしてすたすたと廊下を歩いてエレベーターの前で扉が開くのを待っていると後ろから誰かに見られている気がした。振り返るが誰もいない。しかしオレのこういう勘が外れたことはない。後ろをじっくりと見る。すると廊下の角、その向こうに誰かがいることに気がついた。天井に付けられた灯りがその人物の影を落としている。ゆっくりと近づく。オレがさっき部屋で行ったことはまだ気づかれてはいないはずだ。では誰だ。ウェイターだろうか。しかしその考えはあっという間に覆された。そこには昼間ぶつかった男が昼間と同じ恰好で立っていた。瞬間、背筋が冷えるのを感じた。
「よお、さっきぶりだな。おまえもこのホテルに泊まってやがんのか?」
「いいや」
「じゃあいい子だから家へ帰りやがれ、な?このへんはギャングも利用してっから下手したら殺されるぜ」
「それはおにいさんのことを言っているのか」
「さあな。オレが怖いか?」
「いいや」
「じゃあその考えが変えられねえうちにとっとと帰るんだな」
「オレを連れて行ってくれ」
「…は?」
「死体を見ただろう」
「…」
「オレはアンタをつけてたんだ、だからわかる。見ただろ、あの男の死体を」
「…オレはつけられたらわかる、テメーよかこっちの世界が長いんでな」
「アンタはきっと気づくとおもったから景色と同化してた」
「へえ、そいつァ凄いな。そういうスタンド能力か?」
「オレは磁力を操れる。死体も血液中の鉄分を刃物に変えて殺害したものだ」
「能力を明かしたら連れて行ってもらえるとでも?」
そう言いながらオレは(コイツは使える)そうおもっていた。何のための殺戮なのか、ただの快楽殺人者なのかわからないが、もしもコントロールできたなら…チームの中でも1、2の戦闘力を誇る兵士になるだろう。だが一方で、こんな見れば見るほどあどけない顔をした少年を連れて行くことにオレは抵抗を感じていた。自分はいい、この世界でしか生きられなかった。だがこの少年はどうだろうか?同類とはいえ、その能力を使わずに生きていく道もあるのではないか。そう考えていた。だが少年は続けてこう言った。
「オレは復讐を遂げた。もう世界に未練はない。帰る場所もない。連れて行ってくれ、頼む」
そこがどんな世界だろうがオレにはもう行くべき道はないんだ。
オレはその言葉で少年を暗殺者へと引きずり堕とすことを決めた。オレは善人ではない、裁かれて罪を償えなどという口は持ち合わせちゃあいない。
「なら身分証の類を焼け、明日の朝出発する。最後の朝だ、しっかりその目に焼き付けとけよ」
そう言ってオレの部屋は405号室だ、けっして702号室には行くなよ、この約束を破ったらテメーを連れては行けねーからな、そう釘を刺して背を向けた。少年が「ありがとう」とそっとささやくのが聴こえた。
「…とはいえ、あの時ゃテメーがここまで立派に育つとはおもってなかったなあ」
そう呟くとリゾットが「ん?」と読んでいた本から目をあげてこちらを見た。窓の外では雨が降っている。窓を叩く雨粒がやけに静かな部屋に響きわたっている。
「テメーも立派な男になったよなって話だよ」
「なんだ、昔を思い出していたのか?らしくないな」
「そんなときもあるんだよ」
「おまえがいなければ今のオレはいなかったな」
「そうだぜ?だからもっと感謝しろよ」
「感謝ならいつもしている」
「こんな場所でもか?」
「オレにはここ以外行く場所はない」
行く気もない、そう言ってリゾットはオレの頬に触れてそっとくちづけをした。
「…テメーに抱かれる日が来るともおもってなかったなあ」
「オレもおまえを抱ける日が来るとはおもわなかった」
そうしてリゾットは笑った。あの日とおなじあどけない、しかし死線をくぐってきた獣の瞳だ。オレはその瞳を見て、あの日のオレの決断は間違っていなかったとその背中を抱き首筋にキスをした。
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