命の眠るところ(リゾット×プロシュート)
彼とはバーでしりあった。名前はプロシュート。もしかしたら偽名かもしれない、だって相当ふざけている。ちなみにオレが名乗った名前は偽名だ。職業柄本名を他人に教えたことはない。けれど苗字は本物だから今まで疑われたことはなかった。かわいそうに、そんな名前をつけられて、と同情されたくらいだ。プロシュートはよく笑う青年で、やけに綺麗な顔立ちをしていた。モデルかなにか、やってるんだろう、と聞くと、たまにな、と言って笑った。白い前歯が眩しい。しかし彼の見た目でとくに目を惹くのはその瞳の色だった。海のように光の加減によって色の変わる碧い瞳。そう伝えると「アンタこそ変わった瞳をしてるぜ。吸い込まれちまいそうだ」と彼は言って煙草の煙を吐き出した。その仕草がやたらアンニュイでグッとくる。彼はそんなオレの心を見透かしたようににやりと笑い、アンタこのあと空いてるか?と聞いた。ああ、と答えると彼は空いた右手をオレの左手の上に置いた。
翌日、朝目を覚ましたら彼はいなくなっていた。まあそんなもんだよな、とひとりごちる。あんな綺麗な男と一晩を共にできたんだ、最初からワンナイトカーニバルのつもりだ、しかしそれにしても彼のあの表情、肢体、妙に見覚えがあるのはなぜだろう。オレは軽いノリでだれかと寝ることはすくない。あんな印象的な青年、酒に溺れて酔いつぶれてしまっていても憶えていそうなものだ。だからきっと気のせいなのだろうと納得するとオレはベッドから出て下着に足を通し、冷蔵庫にしまわれたミネラルウォーターに手を伸ばした。するとあまり物の入っていない冷蔵庫の中にメモがあるのに気づいた。豪快でクセの強い字だ。「今夜、また」それだけ書かれたその紙に一気に動悸がはやまるのを感じる。今夜、また。今夜またあの青年に会えるのだ!オレは浮かれた気分でミネラルウォーターを一気に飲み干すとカーテンを開けた。今日の仕事は朝のうちに済ましてしまおう。そして夜までの間に掃除と買い物を。もちろん浮かれてるなんてことはおくびにも出さずに。オレは仕事着に着替えると今日の仕事の確認に入った。標的は成り上がりの金持ち、闇ルートに手を出している。毎週水曜にローマの某カフェでランチ、その後ホテルへ行って女と寝る。じつにわかりやすい。護衛もいるだろうがまあなんとかなるだろう。今日はすこし気が大きくなっているからいつもより慎重に。オレは家を出ると路面電車に乗って標的の元へと向かった。
一仕事終えて帰ってくると殺風景な我が家がオレを出迎えてくれる。はずだった。しかし扉を開けると重たい段ボール箱が崩れ落ちてきてオレは下敷きになった。「あ、そこ気をつけろよ」と声がして、そのあと「あーあーだから気をつけろつったのに」と段ボール箱が除けられて視界が明るくなった。そこにはブロンドの髪を結いあげた男が立っていて、オレの目の前は一気に眩しく輝いた。プロシュートだ。でもなぜここに?メモには今夜と書いてあったのに、まだ午後3時だ。プロシュートはなんでもないような顔で「今日からここに住ませてもらうぜ、リゾット」と言って笑った。
「こ、この段ボールの山は、」
「ああ、オレの荷物。必要最小限にしたつもりだったんだがテメーの家狭いから」
「住むって」
「迷惑じゃなければ一緒に住みたいとおもって。邪魔なら出てくぜ」
「い、や、迷惑じゃ、ない」
「ならよかった」
他人の家に転がり込んだことは、っつーか人のプライベートに踏み込んだことはねえんだが、おまえのことはなぜかずっと前からしってる気がして、一緒にいなきゃいけない気がしたんだ。おかしいだろ。そう言って笑うプロシュートはやはり眩しく、オレもだ、という声はうつむいてちいさな情けないものになってしまった。
それからの生活は以前がうそのように忙しなく慌ただしいものになった。プロシュートは何をするにも大雑把で見た目にそぐわず豪気で、オレは几帳面で神経質だったので喧嘩もたくさんした。オレは喧嘩をするなどということと縁遠く生きてきたので好きな人に嫌われるとおもうとこんなにも恐ろしくかなしいのだということをはじめてしった。プロシュートもそれはおなじだったようで、「テメーさえよけりゃそれでよかったのによ、変えてくれやがって」とあるときぽつりとこぼし、こっちのセリフだと言ったオレにふたりで笑いあったりした。とても平和でしあわせな日々だった。プロシュートは「テメーのなにもかもが好きだ」と言った。オレも「おまえのなにもかもを愛している」と言った。こんな日々がずっと続けばいいと願った。
その願いは一枚の紙切れによって容易く壊された。その紙にはうちの住所が書いてあり、プロシュートの写真が載っていた。近頃活躍している暗殺者だということだった。あまりに節操なく殺すので手に余ったから処分したいという意向のようだった。かなりの腕前で彼を殺そうと狙った暗殺者は皆殺されたという話で、オレも慎重にやらなければ殺されるぞと忠告を受けた。その日オレは一日考え抜いて、彼が眠るのを待った。そして寝息が聞こえだしたのを待ってナイフをその首筋にあてがった。すると布団の下から銃口がこちらの腹あたりに当てられているのを感じた。プロシュートはすいと瞳をあげるとつうと涙を一筋こぼした。
「こんな形の再会だなんてな、リゾット」
「え?」
「憶えてねえのか?オレたちが過ごした長い時間を」
オレは最初にテメーを見つけたとき心臓が止まるかとおもった、ずっと夢に見たオレのリーダーがそこにいた、テメーを殺せという仕事を持って会わなきゃならないなんてまるで悪夢だ。そうして彼はもう一筋涙をこぼした。「オレを殺せよ」そう言う彼にオレは「一緒に逃げよう、プロシュート」と提案した。誰もオレたちをしらないところに、オレたちだけで静かに生きられるところに。以前オレたちができなかったことをしよう。そうしてオレたちは逃げ出した。お互い自分の身は自分で守り、逃げて逃げて北欧へ辿りついた。そこにオレたちは住居をかまえて羊を飼いながら、昔の人殺しの自分を棄てて生きはじめた。これこそがオレたちが望んだ道だ。今、プロシュートはオレの隣でやすらかな寝息を立てて眠っている。それを聞きながらオレも穏やかなきもちで眠りについた。
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