金色の街、生死、その先の未来(リゾット×プロシュート)
金色の通りを歩いていく。この街はどこもかしこも眩しくって敵わない。目の前をあるく男が暗闇を引き連れているようにまっくろであることが唯一の救いだった。オレはなぜかさっきからずっとこの男のうしろをついて歩いている。そうしなければならないようなよくわからない使命感、男はオレがいることを確信しているように時折立ち止まってはオレが彼に追いつくのを待っている。男の暗闇にふれるとなぜかとても安心した。この街にそぐわない彼はずんずんとまるで目的地があるかのようにすすんでいく。最初の曲がり角で彼は右を選んだ。その先にはこじんまりとした雑貨屋があり、男はそこへ入っていった。あとに続いて入ってみるとファンシーなぬいぐるみや手鏡、ポーチなどが所狭しと置いてあり、いちばん奥のカウンターの中に景気の悪そうな顔をしたおさげの男が立っていた。黒い男は手鏡を指さし、景気の悪そうな店員とおぼしき男はすこしほほえんでその手鏡をこれまたファンシーな袋に入れてラッピングし、黒い男に渡した。黒い男は金を払うでもなくありがとうと呟くとかわいらしい袋に入れられた手鏡を懐にしまった。おさげの店員は笑顔で男に手を振り、そしてオレを見てやはりうれしげに手を振った。景気の悪そうな顔をしているわりに人懐っこい性格なのかもしれない、オレはちいさく手を振り返して黒い男のあとを追って店を出た。
裏路地をすいすいと歩く男のあとをオレも置いて行かれないように歩く。次に男が入っていったのは常連しかしらないんじゃないかとおもえるような大通りから遠く離れた喫茶店だった。ドアーを開けるとチリンチリンと鈴が鳴り、話し込んでいるふうだった店員らしき二人の男が振り返った。眼鏡をかけているほうが注文は、と聞くと黒い男はカプチーノを、と言い、オレのほうを見た。オレも何か注文しろということらしい。オレはココアで、と言うと赤い眼鏡のよく似合う店員が「座って待ってろ」と言って奥のテーブルを指さした。どう考えても客に対する態度ではないが、その雰囲気がなぜか懐かしくおもえたのでオレは文句を言うのをやめて、素直にテーブル席に向かった。黒い男はすでに座っている。相席もどうかとおもい隣のテーブルの椅子を引こうとすると黒い男はオレのほうを見て自分の向かいを顎でさした。相席でということらしい。オレたち以外に客などいないのにわざわざ相席をするのも変な話だなとおもったが、男がいつまでもオレを見つめているので大袈裟にため息を吐いて向かいに座った。男はすこし微笑んだようだった。こうして正面から見てみると男の瞳は変わった色をしていて、その瞳で見つめたらこちらのおもっていることなどすべて見通せそうにおもえた。
「おまたせ〜カプチーノとココアだぜ」
そう気の抜ける声でやたら露出の高い恰好をしたブロンドのウェイターが注文した飲み物を運んできた。ウェイターと黒い男は知り合いらしく、黒い男はウェイターに調子はどうだ、と尋ねた。ウェイターは馴れ馴れしい様子で「良好だ。赤ちゃんももうすぐ生まれるよ」と言い、自分の腹を撫でた。その様子を見るとなるほど彼は妊娠中のようで腹もすこし膨らんで見える。「ゆっくりしていってね」とウェイターは眼鏡の店員のほうへ去り、むっつりとした顔をした眼鏡に笑顔でなにかしらを話していた。その風景はいつか見たような気がするものでオレは浮遊感に襲われた。黒い男はカプチーノを口に運んで平然としている。オレもココアに口をつけたがすこし甘すぎて胸やけがした。こんなことならエスプレッソでも頼んどけばよかったな、とおもいながらココアを飲み下す。黒い男は必要最小限のことしか話さず、オレもこの男を前にするとなぜだかべらべら話す気にならず、よってオレたちは向かい合って飲み物を啜りながら沈黙を守ることとなった。彼はカプチーノを飲み干すと「まだ思い出さないか」と問うた。なにを、と返そうとするとくちびるに人差し指をあてられて音を出さずに「しー」と言われた。聞いておいて黙れというのはなんだか理不尽におもえたがそう訴える前に彼が席を立ったのでオレも喉までせりあがってきた言葉を飲み込んで立ち上がった。帰り際に「ごちそうさま」と男が言うと店員ふたりはオレたちに手を振った。なぜかもう会えない気がして手は振り返さなかった。
次に男が向かったのは地下にあるライブハウスだった。赤い髪を剃り込みを入れて刈り上げている男がマイクを片手にステージの上で歌っている。すこし枯れたハスキーボイスが魅力的だ。その男の歌をふたり並んで聴いていると、モヒカンの大柄な青年が「ビールのほかに欲しいものありますか?」と聞いてきたので「いらねえ」と答えて横を見ると黒い男も首を横に振った。何もいらないのか、とすこししょんぼりしている青年がオレの母性本能(なんてものがあるのかはわからないが)をくすぐってきたのでやっぱりミックスナッツを頼む、と言うと青年はぱぁっと顔を明るくした。その笑顔はよく見知ったもののような気がしてオレも微笑んだ。そんなオレを黒い男は幾分あかるい顔で見ていた。歌が終わり、バンドが捌けると黒い男はオレの手を引いてステージ裏の楽屋へ向かった。手を繋ぐとその温度はオレがよくしっているものだという確信がオレを襲った。オレはたぶん、この男をしっている。いや、この男だけじゃなく、今まで会ったすべての人間を、オレは。楽屋にはさっきまでステージ上で歌っていた男がおり、朗らかな笑顔を向けて黒い男のほうへやってきた。黒い男は懐から朝買った手鏡を取り出しボーカルの男に渡した。ボーカルの男はすこし驚いたような顔をして、それからうれしげに笑い、ちょっと待ってろと言うと金色の街並みが完璧に、しかし100分の1くらいの大きさで再現されているちいさな箱をオレに渡した。そしてじゃあなと手を振った。
片手がボーカルの男からのプレゼントで埋まってしまったオレの空いた左手を握り込むように掴んで黒い男が最後に向かったのはこの金色の街の中でなぜかひとつだけ忘れ去られたようにぼろぼろになったコンクリート製のビルディングだった。古びたドアーを開けて中へ入るとそこには見た目からは想像のつかない快適な部屋があり、暖炉はぱちぱちと音を立てて部屋をあたためていた。黒い男はオレを中へ導いた。
「ここはなんだ?」
オレは問うた。
「会うヤツ会うヤツみんなしってるヤツみたいだ。それに向こうもオレをしってる。いったいどういうわけなんだ?おまえは誰だ?」
「ここはオレたちがいた世界のちがう形だ」
そう言うと黒い男は真っ赤なソファに腰かけた。オレも隣へ座る。
「オレたちは一度死んでここへ来た。ここはオレたちが歩めたかもしれないもうひとつの世界だ」
「じゃあここは天国だとでも?」
「もしくは地獄かもな」
「はぐらかすなよ」
「はぐらかしちゃいない。プロシュート、おまえはまだ何も思い出さないのか?」
「プロ…シュート……」
「そうだ」
「オレ…オレは…そうだ、オレは列車で、」
「おまえが来るのをずっと待っていた」
そう言うと黒い男はオレを抱き締めた。「リゾット、」そう呟くと「やっと呼んでくれたな」と黒い男、いやリゾットは言った。
「この街で暮らそう、もう何にも邪魔されずに」
そう言う男が抱きついたままみっともなく泣くもんだから、泣くなよ、と頭を撫でてやって、もう一度会えてうれしかったぜ、とその背中を抱き締め返した。窓の外では白く太陽が昇り街と同化してきえようとしていた。
「お別れだ、リゾット」
白い光に自分の手が霞んでゆくのを見ながら、影のように傍にあるリゾットを感じ、オレは目を閉じた。
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