冷たい風





冷たい風が頬を撫でて向こうへ通り過ぎていく。隣にいる君の耳が赤く染まっている。両手を差し出して彼の両耳を覆うようにして「すき」と声に出さずに呟いてみる。君がすこし小首を傾げて「ゆき?」と聞き返してきた。たしかに今にも雪が降りそうだし、わたしの名前はゆきだ。だがこの状況で自分の名前を名乗る人間がどこにいるだろう。君のそういう鈍感なところがわたしはわりと好きだ。君とわたしは今からこのホームに入ってくる電車に乗って、だれもわたしたちをしることのない、冷たい風の吹かないところへ行く。わたしたちはいつも冷たい風の吹くところにいた。それはどこのだれともしらない他人の目だったり、わたしと君のあいだに存在するそれだったり、君とわたしを分かつすべてのことがらだ。君はひどくやさしい人だから、わたしだけを選ぶのはさぞかし大変でつらいことだったろうとおもう。けれど君はわたしを選んでくれた。だからわたしは君をけっして後悔させない。その決断に敬意を払い、いつも君のことをおもう。そしてしたいこと、したくないこと、できること、できないこと、それらをすべて君と共有していきたい。そんなわたしのことを、君はどうおもうかな。そんなことをわたしは考えてすこし笑った。すると君は、わたしのことなんかちっともわかってないくせにゆるりと笑みをくれるもんだから、わたしはすこし泣いてしまいそうになる。

電車がホームに入ってきた。ごとん、と音を立てて止まった電車はゆっくりとドアーを開けてわたしたちを迎え入れる。ぴしゃりとドアーが閉まって冷たい風は遮断された。暖房がよく効いた温い車内で、遠くなっていくわたしたちのいた場所を見ながら、君は「ねえ」とわたしに話しかけた。軽い調子で「ん?」と聞き返す。「ほんとによかったの」そう言って君がわたしのほうへ向き直る。なにが、と問うと、ぼくといっしょに来て、と言われた。よかったもなにも、よくなかったら今ここでこうして君といっしょにいたりなんかしない。だけどそれを言葉にするのはなんだか癪だったので軽く腹のあたりを小突いてやった。「いて、なにすんだよ」と言った君はちょっと膨れてみせて、それからすこし笑った。わたしも声を出して笑う。これからわたしたちがしあわせになれるかはわからない、そもそもしあわせっていうもの自体よくわからない。だけど今わたしたちは新たな一歩を歩み出している、ひとりじゃない。そのことだけでわたしにとっては十分だ。そうおもってわたしは透き通った窓にはあっと息を吐いてみた。透明なガラスが白く曇る。そこに歪んだハートを描いてみる、それを見て君も窓を曇らせてそこに「すき」と描いてみせた。十分だ。わたしの望むものはすべてここにある。わたしたちは手を繋ぐと電車のいっとう前の車両に向かって歩き出した。






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