空へ昇る
※リプライくれた人のイメージで小説書く
※バクさん
抜けるような青空が広がっている。目の前にはアスファルトの坂道が日に照らされて蜃気楼にくゆっていて、すこしの目眩に襲われる。この道の先には古い建物がある。ぼくが昔通っていた学校だ。今年の冬、廃校になるらしい。その前にすこし拝んでおこうと、ぼくはこうして足を伸ばしてきたというわけだ。
彼女とはこの学校で出会った。彼女は転校生だった。白い肌にすこしウェーブしたロングヘアーが影を落としていたのをよく憶えている。彼女は最初学級委員の子だとかに色々と世話を焼かれていたようだったが、あまりそれによろこんで応えるほうでもなかったために段々とクラスで浮いた存在になっていった。彼女はいつも窓際の席でぼうと外を眺めていた。ぼくはそれをいつも眺めていた。彼女と話すきっかけを持ったのはある朝のこと、部活の早朝練習でいつもよりはやく学校に来たぼくはいつもどおりの席で窓の外を見ている彼女を見つけた。その背はしゃんと伸ばされていてひどくうつくしく見えた。「何を見ているの」そう聞くと彼女はこちらに視線をやることもなく「空」と答えた。「ここには海がないから、代わりに空を見ているの」そう言って振り返った彼女は「青いでしょ?」と言って歯を見せて笑った。ぼくはその笑顔に惚れたのだ。
先生方に挨拶をして教室に入る。彼女が座っていた席がいちばんに目に入った。その席まで歩いて、そこから窓の外を見てみる。この学校は、ここらでいちばん高いところにあるから、丘の下の家々がとてもよく見える。そして空だ。青い青い、空。手が届きそうに見えるのにけっして届きはしない。彼女もそうだった。そしてもう永遠に手の届かない存在になる。今、空も見えぬ病室で彼女は集中治療を受けている。もってあと3日だそうだ。彼女は、ぼくの妻は、もう二度とその顔も見ることの叶わぬ人になる。どこで聞いてきたのか、この学校の廃校のうわさをぼくに教えたのは彼女だった。行って来て。あたしの代わりに。彼女にとってそんなにいい思い出があったともおもえないのに彼女はそう言った。そしてやせ細った手をぼくに伸ばすもんだから、ぼくはその手をとってわかったとうなずいたのだった。
屋上に出てみる。風がつよく吹いていた。ぼくがどもりながら一緒に居て欲しい旨を伝えたとき、彼女はまっさおな空をバックに赤い唇で妖艶に笑んでみせた。その笑みが中学生とはおもえぬちぐはぐさをはらんでいたものだからぼくはまるで空に飲み込まれるような気分で、彼女のくちびるが紡ぎだす言葉に耳を、目を、すべてを傾けたんだ。彼女の長い髪が風に煽られてなびいていた、それさえもうつくしく見えた。そしてぼくは彼女と昼になるたびに屋上に出ては空を眺めながらごはんを食べるようになった。彼女は雨の日もそうしたがったが、さすがにそれは止めた。荒れた海のようで好きなんだと彼女は言った。もちろん、凪いだ海のほうが好きだけどね。そう、彼女はいたづらっぽく笑った。
彼女が入院することになったとき、こんなにも彼女に似合わない場所はないとおもった。はやく出してやりたいとそればかり祈った。けれど彼女の病状はわるくなるばかりで、最初の診断を受けたときより退院の予定は長引くばかりだった。そして彼女はその病院で今、命を終えようとしている。ぼんやりと扉のところへ座って空を眺めていたら、彼女が中学のときのようなセーラー服で青い海を泳いでいくのが見えた。おもわず立ち上がって彼女が泳いでいった方向を見る。ああ、いったんだな、そうおもった。帰ったんだ。自分のあるべき場所へ、あの人魚姫は。しばらくしてぼくはゆっくりと空に踵を返した。病院へ行かなくちゃ。身内のいない彼女のことだ、ぼくがいなけりゃ医者も困るだろう。青い空からけたけたけた、と笑い声が聞こえた気がした。
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