紫色の世界
※リプライくれた人のイメージで小説書く
※しみさんへ
紫色の海が一面を埋めている。この土地には土地と呼べるような場所はない。すべて海に沈んでしまっている。毒々しい紫色の波が寄せては返すそのなかで、あたしたちは、先祖が昔土地というものがあったときに立てたというコンクリートのビルの上のほうで暮らしている。隣のビルに渡るための通路は何年もかけてみんなで作った。だけどその人たちもひとり、ふたりと死んでいった。あの紫色を見ていると段々と気がおかしくなってあそこに飛び込みたくなるのだという。ばあちゃんもじいちゃんもかあさんもとうさんも、隣のおじちゃんも向かいのねえちゃんもみんな飛び込んで行ってしまった。今ここに残っているのは下の階に住んでる男の子とあたしだけ。この男の子は昔、あの紫色の海の上で、大きなビンに入った状態で漂ってるのをあたしのとうさんが見つけて拾ってきた子だ。彼の髪は海に染まったような紫で、みんな不気味だって言った。だけどあたしはとても綺麗だとおもった。とうさんはかあさんと一緒に彼がひとりで暮らしていけるようになるまで育てて、ひとりでやっていけるようになったら下の階の一室を与えた。一室と言っても、どうせこのビルにはあたしの家族しか住んでなかったから、下の階ぜんぶをもらったようなもんだ。あたしはよく彼に会いに下の階へ行った。彼はあまり笑わないししゃべらない子だったけれどまっくろな瞳がいつもなにかを言いたげに涙を湛えていた。あたしはくすねてきたお菓子を彼と一緒に食べたりしながら、昔聞いたこの街の話なんかをした。昔はあの海の下を自動車っていうブンブンと音を出す乗り物がたくさん走っていたんだとか。デンキっていう雷みたいなものを自在に使って生活していたんだとか。あと植物。花っていうのが咲き乱れてとっても綺麗だったんだとか。ばあちゃんのばあちゃんはそれをしってたんだとか。今でもその名残があるんだよ、とばあちゃんが見せてくれた押し花をふたりで見たりとか。それはよくわからないぐにゃぐにゃとした形をしていて、くすんだ赤色だった。こんなものがそこらじゅうにあったなんて信じられないね、とあたしが笑うと彼はすこしだけ微笑んで、おれはこれが咲いてるところをしってるよ、と言った。そんなところが今でもあるの?昔この星は紫の海に沈んでしまったのに?そう言うと、おれが生まれたところはたくさん花が咲いてて、生き物もたくさんいるんだ。鹿、うさぎ、トラ、他にもいっぱい。君の見たことのないものがいっぱい。おれはそこで生まれたけれど、ビンで遊んでいたらそのなかに入っちまって、気づいたら沖へ流されてたんだ。もし行けるもんならもう一度あそこへ行ってみたいなあ。そう言って彼が遠い目をするので、あたしは行こう、と言った。行こう。あたしたちが大きくなったら、ぜったい。あんたの故郷へ、行こう。そう言うと彼ははじめてすこし笑ってやくそく?と言った。やくそく。そう頷いてゆびきりをした。そして月日は流れてあたしたちは大きくなり、周りの大人はみんないなくなってしまった。あたしたちは舟を作ることにした。隣のビルを繋いでいる通路をすこしずつ壊してあたしたちは根気強く舟を作り続けた。そして箱のような形の舟ができあがったころ、その中にすこしずつ食べ物を入れて、あたしたちは紫の海へ乗り出した。行き先は彼の生まれ故郷だ。食べ物が尽きたら魚を獲って干して食べた。時間はひどく長く感じられた。彼のあたたかな指先だけが癒しだった。彼の頬や眉間にはすこしずつ皺が刻まれていった。あたしの髪もすこしずつ白くなっていった。そんなある日、こつん、となにかが舟にぶつかる音がした。あたしたちは舟から顔を出してそれを拾い上げた。それは硬い殻に覆われていた。割って見ると中からはたくさんの汁が零れだした。それはひどく甘かった。見て、彼が言った。白い霧の向こう、話に聞いた山のようなものが見えた。土地だ!あたしは叫んだ。舟は静かに浜辺についた。あたしたちは久しぶりに地面を踏んだ。そして抱き締めあった。あたしたちはそこで暮らすことにした。夢にまで見た世界がそこにはあった。あたしと彼の間には3人の子供ができた。あたしは彼らに話して聞かせた。紫の海に沈んでしまった死の街のことを。その昔そこにあった文明を。いつの日か彼らの子供の子供のずっと先の子供が人の生きる世界を作れるように祈りをこめて。
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