虎月01 | ナノ


#01刺客
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戦が終わってから数日後のうららかな昼下がり、幸村は自室で事後処理という名の執務をしていた手を止めて、筆を置いた。
すんすん、と部屋に充満する墨の匂いに混じって、廊下から漂う甘い香りが幸村の鼻を刺激する。

「…団子の匂いがする」

そう独り言をつぶやいたあと、室内の空気を入れ換えるために開け放していた障子から、幸村が言った通り団子を持った佐助が現れた。

「そろそろ、休憩にしなーい?」
「おお!今日はみたらしか!!!」
「ちゃんと味わって食ってよ?俺様お手製なんだから」
「む、それくらい分かっておるわ!」

普段佐助は甘味を買いに行く事こそすれど、滅多に甘味を作ってくれない、だがその腕前は確かなのだ。
一言で表わすと、ものすごく旨い。普段買い付けている店のも旨いのだが、佐助のは別格だ。
佐助の事を好いている、という事も、もしかすると理由の一つに入っているかもしれないが、とにかくそんじょそこらの店では再現できないとても貴重なものなのだ。
団子に向き直って、みたらしの甘い匂いをふんふんと嗅いでいる幸村に犬じゃあないんだから、と苦笑しながら、団子の乗った盆を置き、共に持ってきていた湯呑みに茶を注ぎはじめた。
その流れるような動作をじっと見つめながら、幸村は団子に手を伸ばす。
ニコニコと幸せそうな顔をした幸村が、団子を口に含もうとした瞬間に何かを思い出したようにその動きをピタリと止めた。

「…どしたの?」
「時に、そなたは何時までそのような三文芝居を続けているのだ?」

何を突然言っているの、とでも言いたげに佐助は目を丸くする。
そんな佐助を見ながら、ニヤリと笑う幸村の口元からは鋭い犬歯が覗く。

「何言ってんのさ、旦那。芝居って何のこと?」

そういう悪い冗談はよしてよ、と佐助が抗議するのを見て、幸村はくっくっくっと不敵に笑いはじめた。
そして…

「俺が冗談など申すわけが無かろう、あの猿飛佐助の主であるこの俺が、気付くはずがないとでも思うたのか?……甘いぞ」

持っていた団子をゆっくりと元の皿に戻した。

「な、何言ってんのか分かんないよ?団子食べないの?」
「…貴様の変化はなかなかのものだ、がしかし…完璧には真似できなかったようだな、それに団子の毒もだ」

そう言い終えると、目の前の佐助の姿をかたどった忍はぼふんと煙を上げた。
煙の中からは黒い暗躍衣装を身に纏い、頭に覆面をした忍が現れ、此方の出方を伺うように忍刀とクナイを構える。

「何故気付いた?」
「それは貴様の変化か、それとも団子か?」

ふむ、と腕を組み顎に手をあて幸村は忍の問いに答えた。

「…匂いだ。きっと無味無臭を選んできたのだろうが、僅かに匂いがあるのだ。毒もお前が調合したのだろう……が、俺の嗅覚は無臭と言われるものすら感知する、残念だったな」

はっ、と嗤えばクナイが飛んできた。
だがそれも予想の範囲内だったらしい幸村は、素早く素手でクナイを弾いた。
もう一度腕を振り上げた幸村と目が合ったその刹那の瞬間、濁った音がした。

「アンタ、…な、に者、だ」

何が起こったのか分からない、ただ己は暗殺を頼まれただけだ、目の前の男―真田幸村が此処まで化け物じみているなんて、訊いていない!!

「俺は、武田家家臣の真田源二郎幸村…真田家の現当主で人より少しばかり鼻のいいただの男だ」

そんなの、絶対に嘘だろ……。
もう一度幸村が腕を振り上げる、血の流れすぎで意識が朦朧とし始めた忍は、迫りくる幸村の手を見て、意識を無くした。
鈍器で殴ったような鈍い音と、畳だとか肉だとかの抉れるような切れる音がした。



部屋は障子を開けているのにも関わらず、鉄錆と腑液の酷い匂いが充満している。
幸村は精悍で美麗な顔を顰めた。

「酷い匂いだ、佐助はまだ帰らないのか…」

そのような惨状を生み出したのは、他ならぬ幸村本人なのだが。
この状況では説教は免れないだろう。
どうしたものかとキョロキョロと部屋を見回して、ある一点で視線をとめた。

「…それにしても、あの者も勿体ないことをする」

幸村は佐助が八つ時ように朝から作りおきしていた団子を手に取り、それを口に放り込んだ。
口の中の団子は甘かった。


(実は)
鼻が良いんです
(忠犬に見えてかなりの曲者)

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110719