期待


お前なんて要らないから、何処へなりとも行ってしまえば良いんだ。むしろ私が出ていく。今すぐ出ていく。さようなら。

と、口にできるものなら今すぐあの男に言い放ってやりたいところだがこうも後ろから抱きすくめられて背骨がミシミシ軋むほど力を入れて捕まえられたんじゃそんな言葉も吐くことが出来ないので本当にこいつは卑怯な男だ。

放せ、と言ってぶん殴ってやりたかったのだけれど、そうして開いた口はパクパクと水中から取り出された金魚のように空気を吸い込むだけで喉の奥からこぼれた言葉は空中で分解されてしまった。

唯一自由な両腕を動かし、頼むから離してくれとあいつの手を思い切りつねると冷たい女だと笑われた。

「死ね。死んでしまえ。頼むから死んでくれ。」

「手厳しいな。」

ああ、もう嫌だ。頼むから早く煌に帰ってくれさもなくば死んでくれ。早々に死んでくれ。
もしくは誰かこの男を、練紅炎を殺してくれ。

「もう本当に早く帰ってください。なんでも最近西征軍総督になったらしいじゃないですか。こんなところにいる場合ではないでしょうに。」

私は煌帝国の近隣の小さな国の政務官を勤めていて、数年前この国に視察に来た紅炎に何故か気に入られてしまい毎度このような嫌がらせを受けている。

しかし、そんな紅炎にこうして暴言を吐いても咎められないのは一重に彼のお陰でありその寛大さをどうか他に活かしてくれと私は言いたい。

「俺と一緒に来いなまえ。俺の后になれ。」

「嫌です。無理です。行けません。」

私はこの国を離れるわけには行かないんです。そもそも貴方他にも沢山お嫁さん居るんでしょう?口説き落とされて買い殺しにされるなんて私は御免だよ。

ぎゅっと私の手の甲をすがるように握る彼の手に少しだけほだされかけたけど、そんな桃色の雰囲気は窓の格子を叩く音で一気に掻き消された。

窓の外から彼の従者が迎えに来ていた。真夜中の真っ暗な闇の中に赤い絨毯がふわふわ風に靡きながら大きな男性を乗せながら浮いていた。

彼の膝から立ち上がるために足に力をいれると背後から引っ張る力によりまた私は後ろ向きに倒れ込んだ。

くそったれ紅炎はあろうことか私の首筋に思い切り噛み付くと、傷口をベロリと舐めやがった。
喉からは、ひ、と情けない声が上がるとクツクツと喉の奥で笑う音がして私は更に身を固くした。

「次は連れていく。」

そう告げると紅炎は窓から絨毯に乗り移り真夜中の闇へ消えたけど、首筋の傷はじんじん痛むし、顔の熱は冷めない。

仕方なく寝台に横たわると耳の中でまた紅炎の声がして次に来たとき本当に連れ去られるかもしれないという恐怖と若干の期待を胸に抱きながら眠りについた。






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