memory 8 | ナノ

突然の告白は女神に衝撃を与えたが、それでも十分意味があった。
何故なら、その時を境に明らかな態度の変容が見て取れたから。

恋心とは、言葉に乗せたその瞬間から勝手に動き出す。
自分の意志とは無関係に、急速にそれは色付いていく。



新たな時間が流れ、無情にも喪失してしまった記憶は未だ戻る気配も無く。
双子座の一手が恋情という名の意識を、女神に刻み付けた日から数日後。



「女神……、女神?」

「は、はい……っ!?」

上擦った声でもその色は変わらず美しい。否、可愛らしいと言った方が適切な表現だろうか。

「この書類、どうも間違っているようなのですが……」

「あ、え……と。ご、ごめんなさい…!」

心此処に有らず、そんな様子の沙織に堪らずアイオロスは胸中を語る。

「サガが心配なのでしょう……?」

「え……っ!?」

サガの名前を出した瞬間、白から紅へと色付く頬。熟れた林檎は、女神たる威厳から疾うに離れたもの。
徒の、ひとりの恋する女性だ。


執務室には大抵、教皇補佐である双子座と射手座が駐在している。
しかし、三人の内二人が欠けているその原因。数日間に渡る激務と、教皇宮にて連日泊り込む様子は数えれば片手で済まない。
挙句、シオンから苦言と併せてサガは強制の自宮待機を命じられた。そして念の為と代人に女神が駆り出された格好で現在に至る。

無論、書類処理能力が他と比べ物にならず優れている点に加え、機密事項に接して良いのは教皇たるシオンと女神である沙織だけだったが。
その結論から謂えば、これ以上の適任者が居る訳も無く。

それでも、彼女がこんな状態では上面だけの代役と化してしまう。
幸いな事に、今時期は事務処理自体少ない。アイオロスは朗らかな笑顔と共に、沙織の現なる想いを促した。



「もし、宜しければ……サガの様子を見ては下さいませんか?」

「で、でも……」

「我々の目を盗んで仕事を持ち帰っているかもしれませんし」

「……それは、否定出来ませんわね…」


女神の意思を汲んだというより、射手座からの期待だと違えさせる彼の思惑。

「私も、その方が安心出来ますから」
もしもこの場にシオンが居合わせたなら狡猾な手法だと、大変嬉しくない賛辞を呈していた事だろう。

巧な戦術と背中を押す温かな掌に、見事に嵌った彼女は僅かに頷いて部屋を出るが。
その足は、扉の外に半歩進んだ状態で止まる。


「――女神……?」

「…聞いてもいいですか…?」


振り返った沙織の頬辺は未だ淡桜に染まっていて。その質問を投げ掛けた刹那に見せた含羞なる表情は、射手座をも魅了する程に。












(でも…どんな顔を、すればいいの…?)

石段をゆっくりと下れば、双児宮へ近付く度に疼き出す胸許。
走馬燈のように、あの時の場面が鮮明に蘇る。




『――……え』

視線は引寄せられ交わり、沙織はサガという男と初めて逢着する。

深碧の眸が言葉以上に表すその感情は強烈に、女神の凍り付いた心を貫く。そして彼女が自覚した瞬間に、飛び跳ねる鼓動。

『――っ…!』

眩暈に息切れ。突然訪れた自身の病状に耐えられず再び俯いてしまう。

(心臓が、別の生き物みたい……)


――…トクン……トクン

嫌悪では無く寧ろ正反対の、その感覚。
しかしどうしても、頭を上げられなかったのは。

(私、どうしてしまったの……!?)

目前の男を意識する度に高鳴る胸と火照る躰が示すその意味を、まだ受け入れるだけの余裕が無いから。
女神は、唯々恥ずかしい一心でこの嵐が過ぎ去るのを待っていた。

そんな沙織を気遣うように、降り注いだ詞と優しく艶髪を撫ぜるその手に息が詰まる。


『何も…仰らないで下さい…ただ、伝えたかっただけですから…』


哀しそうな微笑み、顔を見なくとも簡単に思い浮かんだ。

(そう、いつも……彼は…)

記憶を失ってから一度も逢った事が無い、美しくも悲しいその面様を既に知っているという確信。

(私は、サガが…好きだったのね…)

喪失してしまった欠片がひとつずつ、還ろうとしていた。













だが結局の所、万事解決とは相成らずに今日まで来てしまって。

(早く…思い出したいのに…)

女神である自分が抱く事が赦されない感情。誰にも気付かれずに、莟の状態で死に行くものと思われた大切な恋心。

(私が、人を愛するなんて)

恐らくは前にも一度経験したであろう、胸奥が熱く息も出来ない位の華やぎが愛おしい。

(伝えなくては……彼に)

目先に迫った双児宮、其処に立っているのは沙織を良くも悪くも揺るがす存在。


「――女神」
「サガ……!」





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