memory 5 | ナノ

―――闘うだけの、この場所で。
あのひとは、とても綺麗な目をしていたから…。











(いけない、また眠ってしまいそう…)


頭の中は常に朦朧とし霞み掛かったようで、何か大切な部分が抜け落ちている感覚。

目を覚ました折、側に控えていたシオンから数日間床に臥せていた事を聞いた。
特段、身体に支障は感じなかったが記憶についてだけは曖昧な箇所がある。
それが最近なのか或はずっと以前の物なのか、それさえも沙織には分からなかった。

そんな不安感から自然の力に癒されたくて、気に入りの場所で小鳥の囀りに耳に傾けていた刹那出逢った彼。

咄嗟に口から出たのは、あの疑問詞。
能々考えればこの聖域を自由に動けるのは聖闘士や宮人だけだと、解るのに。


(傷付けてしまいました、よね)


秀麗で清んだ蒼色、でもそれ以上に何故か悲しく映る瞳が酷く印象的で。男は沙織の中に深く銘記する形となった。


(でも、どうして…忘れているの?)


確かにこの聖域での記憶は朧げに点在していると思う。
けれども深く追求してはならない、そんな観念が心の奥底に存在しているのも事実。
そして、そんな疑念を裏付けるような頻繁に訪れる強い睡魔。


(その内、思い出す…かしら)


隠された真実に意図せず、触れないことを選択した彼女は重くなる瞼に抗わずそのまま目を閉じた。























「説明願います、教皇」


教皇宮にて、双子座は曽て無い程に鋭い眼光を湛え詰め寄った。
確信もある、目前に立つ男ならばあの悪夢を作り出せる筈だと。


(―――ほう…?こんな眼をするとは)


過去の贖罪の所為か、何時も自分に対して遠慮勝ちであった双子座が今回ばかりは闘志を顕わにしているではないか。

そんなサガに幾許か感心しつつも、シオンは意中で女神をあの状態まで追い詰めた行動を容易く赦しは出来ず会話も自ずと敵対するものになって行く。


「私は女神の苦しみを、少しだけ取り除いただけよ」
「それが、記憶を消す事だと…?随分と短絡的な発想ですね」


言葉だけを取れば目上に対する台詞とは到底考えられない、何と乱暴なものだろう。
しかし、教皇はそれらを咎める事もせず己に向く怒りを敢えて受け止める。

今の状況は互いにとって常用外だと判っている上での、シオンからサガへの情けだった。


「私とて、神の領域に易々と介入など出来ぬわ」
「しかし、現に女神は…ッ」


その瞬間、教皇は尖鋭な眼付きへと変わる。これ以上の議論は無駄だと言わんばかりに。


「―――逆に言えば…人間である、その心だけは可能だという事だ」


女神の精神に入り込む、それは聖域一の技能を持つ彼でも危険な賭けだったに違いない。
それをシオンは敢て冒したのだ、容易な考えからの所業では無いのだろう。


「女神の平穏は…この世の安泰でもある…解るな?…サガ」


その辞に。
もしかしたら、女神自身が望んだのかもしれない。そんな考えが過った双子座は何も言えず徒、拳を強く握り締めた。


サガの内に潜む激情を、顔付から素早く理解したシオンは軽く溜息を吐く。
統べる者、どんな場合であれ私情を挿むのは法度なのだが今のシオンには冷酷に成り切れない事情があった。

過去に双子座が辿った過ちの原因が自分にあると、解っているから。
互いが傷付き、壊れていく様は。この聖域で二度と繰り返してはならない。

喩え、一時的な感傷に思い悩んだとしても。二人の未来を望むからこそ、強行手段に至ったのだ。




しかし、相当な力を有しても所詮は神と人。その間には巨大な壁がある。
ほんの一部しか干渉は不可能であれば。其処には、女神自身の所思があったと考えるのが自然だろう。


「どんな感情を秘していたか存じぬが…さぞ、大きかったのであろうな。お前が見た女神の様子ならば…」


(そう…あれではまるで、生きた人形…)


神話の時代を忠実に具現したかのような美しさを備えた、完璧である女神の外見と表情。
しかし、今日に及ぶ毎日を共に過ごして。初めて逢うその姿に、途方途轍もない恐怖を感じたのだ。
そして、サガに追い打ちを掛けたのは全く感情を乗せない女神の一言。


「心配せずとも…聖域での記憶も何れ蘇る。小宇宙からお前が双子座だということも女神は直ぐに分かるだろう」


様々な感情が入り乱れ、未だに動けないサガを後目に。
背を向けシオンはこの場を立ち去ろうと、扉を開ける寸前告げられた言の葉は。


「お前にとっても、都合が良い話ではないか…迷惑していたのだろう?女神の好意を」


その上辺が余りにも衝撃で、彼は教皇の真意にこの時は気付けなかった。














(迷惑、どころか…私には畏れ多いこと…だ)


考えたことも無かった。
誰かを愛し、愛される喜び。
そんな感情は遥か昔、捨て去った筈。

独り、取り残された双子座は改めて自分の心と静かに向き合う機会を得る。
しかし、素直に出でた答は自身すら驚愕するものだった。


(……何を、考えているのだ私は)


都合の良い夢、自ら離した手を再び欲するなどと。


“―――サガ”


油断すれば女神の残像。それは温かい笑顔で溢れ、激しく頭を左右に振る。
胸の中で、意識とは別に増殖していく禁断の思いからサガは逃れたかった。





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