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「せんぱーい!梓せんぱーい!」

背後から、声が聞こえた。

「呼んでるぞ、花井」
「知らねぇ、梓なんて恐ろしい名前俺は知らねぇ」
「お前の名前だろ」

阿部の言葉に、俺は力一杯首を横に振る。

昼休み、野球部の皆で昼飯を食おうという事になり、田島と二年でも同じクラスになった阿部と共に食堂へ移動していた。階段を降り、廊下をダラダラと進んでいた所で今年新たに入った1コ下のマネージャーの声が突然響いてきた。頑張り屋だし、気がきくし、何より野球部に対して常に一生懸命な所が後輩ながらも尊敬する。が、俺の事を下の名前で躊躇いなく呼んでくるのが悩みの種でもあった。

「別にいいじゃん。他の奴らは下の名前呼びがやっと定着してきたのにさー。花井はゴージョーだなー」
「じゃあユウイチロウって名前俺にくれよ」
「つかお前が返事しないから、走って来てるぞアイツ」

阿部の指差す方向に嫌々ながら視線を向けると、突進という言葉がピッタリな程勢いよくこちら側へ走って来ていた。

「先輩!無視しないでくださいよ」
「…おー、悪いな」
「何か用事だったのか?」

俺の代わりに田島が尋ねると、名字は楽しそうに「いえ特には」と宣った。

「食堂に行こうと思ったら先輩達が見えたので、お声をかけただけです!」
「なーんだ名前も食堂行くなら一緒に行こうぜ!俺達も今からメシ食いに行くとこだし!」
「良いんですか?」

西浦野球部の上下関係は厳しくない方だが、流石に名字も気を使ったのか控え目にお伺いを立ててきた。しかしそんな事気にするなと言わんばかりに阿部が背を押し、田島が腕を引いてきた為に有無を言わせず同行する事となってしまった。

道中も、話す事と言ったら結局は野球の話だ。どこどこのチームに良い一年が入っただとか、どこどこの投手が新しい変化球を投げていただとか。よくもまぁ色々と調べ上げているモンだ、と田島や阿部の会話について行っている一年マネージャーを静かに見下ろしていると、不意に見上げられて目線がかち合ってしまった。

「花井先輩」
「え、あっ、はい」

咄嗟の事で、吃ってしまった。そんな俺に一瞬目を丸くした名字は、徐々に肩を揺らしてクスクスと笑い始める。

「笑うな!」
「だって、そんなに動揺するとは思わなくて」
「それはお前が急に花井って言うから」
「殆ど梓先輩ですもんね」
「んで?どうしたんだ」
「今日の練習の事なんですけど、途中で私達抜けますね」
「私達?」
「志賀先生と私と、千代先輩です。講習会があって、先生に同行させてもらえる事になったので。しっかり勉強してきますね」
「おー、わかった」

両手に財布を握り締めて見上げてくる名字に俺が軽く笑みを浮かべて返してやると、ニッコリと満面の笑みが返ってきた。こういう所は可愛いと思えるんだが、如何せん「梓先輩」と言う名字の声がフラッシュバックして、どうしようもない気持ちになってしまう。

「そういや名前、昨日頼んだやつどうなってる?」

食堂が目の前に迫ってきた所で、阿部が不意に振り返った。

「出来てますよー。千代先輩と昨日の夜頑張ったんですから!」
「おっし、よくやった」
「何の話?」
「次の対戦相手のデータ表」
「の、レン用」

田島の疑問に二人がテンポ良く答える。それにしても三橋用に別でデータ表まで作成しているとは驚きだった。大方今まではそれさえも阿部が一人で熟してきたのだろうが、後輩が入り、益々やる事が増えてきた阿部も流石に限界を感じたのだろう。いや、もしくは色々と気がつく名字の方から声をかけたのか。何にせよ、人数が増えても協調性を高得点で維持出来ているのは凄い事だ。

「…ホント、有り難いよなァ」

弁当組の俺達を置いて学食を選びに行ってしまった名字の背を目で追いながら、口を衝いて出た言葉に阿部と田島は揃って俺を見つめてきた。嬉しそうな、楽しそうな、そんな二人に俺は疑問符を浮かべて首を傾げる。

「二人して何だよ。本当の事だろ」
「まぁ、確かにな」
「篠岡は勿論だろうけど、阿部だって色々やって貰って助かってんだろ?」
「何だ、羨ましいのか?」
「はあ?」

まさかの変化球に、俺は言葉を失う。しかし阿部はニヤリと嫌な笑みを浮かべたままで、そのまま空いてる他の野球部が集まっている席まで歩き始めた。先程まで阿部と一緒になって面白そうな顔をしていた田島も、気付けば真っ先に三橋の横に腰を落ち着かせ、弁当を広げている。何なんだコイツらは、と抗議したくなる気持ちを何とか抑え、俺も阿部の隣に腰を下ろした。

「…さっきの何だよ」
「あ?」

弁当を広げながら、コッソリ阿部の耳元で問う。すると何故か少しだけ遠くにいる名字に一瞥を投げてから、阿部は徐に口を開いた。

「名前が野球部の為に色々一生懸命やってんのは勿論わかってっけど、その中でもやっぱりオメーに一番気を使ってると思うぞ」
「俺に?」

気を使われるほど、自分は怖がらせるような事をしただろうかと一瞬頭の中の引き出しを漁ってみた。しかし直ぐに阿部からそうではないのだと告げられる。

「ちげーって。アイツなりに、一生懸命花井の役に立とうとしてるって事」
「…そりゃあ、俺一応キャプテンだし」
「それだけじゃねーんだろうけど…まぁ、有り難ェって思ってるみたいだったからそれをもっとちゃんと伝えりゃいいのにな、とは思った」
「…俺ってそんなに冷たい?」
「冷たいっつーか…」

阿部が言葉を選んでいるのか少し間を開けた所で、斜め前に座っていた泉が急に口を出してきた。まったくいつから聞いていたのだろう。

「つかさ、花井って気付いててワザとああいう態度とってるんだよな?」
「は…?」
「あー、それ俺も思ってた。案外ドライっていうかさ」

泉の隣にいた栄口まで便乗してきたせいで、野球部の二年全員が、俺に注目するハメになってしまった。いまいち現状を飲み込めていない三橋を除いて、他はやけに興味津々である。

「…いや…気付いててっつーか…」
「誤魔化すなよ、俺達的外れな事言ってねーだろ」

泉に詰め寄られ、俺は半ば投げやりになって一度だけ頷いて見せた。

「…まぁ、そうなんだろうな…とは思ってた」
「だろ?アイツわかりやすいもんな。あのタカヤでも気付くくらいだもんな」
「あのって何だ」
「まぁまぁ。で?そこまで名前の気持ち分かっておいて何で何のリアクションもとらないワケ?」

案外グッサリと言葉で突き刺してくる栄口に、俺は思わず下を向いてしまった。まさか全員が名字の気持ちに気が付き、尚且つ俺が態と若干の距離を置いている事に気付いているとは思わなかったのだ。

「……」

皆の視線が痛い。
俺は段々と顔が熱くなっていくのを感じながら、ポツリポツリと言葉を零していった。

「…なんつーか…まだ気持ちの整理がつかねーっつーか…」
「別にいいだろつかなくても。取り敢えず思ったまま行動してみたら?」

栄口の言う事も分からなくは無いが、俺はハッキリと返事が出来ずに思わず机に突っ伏した。

「いやでも…俺は年上が好みの筈でだな…」
「お前の好みはどうでもいいっつの」

まるで女子同士の恋話のようになってきたなと頭の片隅で考えていると、突然隣から阿部が呆れたような声を出した。

「そんな事で悩んでるなら名前も報われねェよ。もう少しちゃんと考えてやれば」
「…だよなァ」

名字の事は好きか嫌いかと問われたら勿論「好き」だ。だが自分のこの気持ちと名字の気持ちが本当に同じなのかどうかもわからないし、そもそもまだ自分の気持ちがはっきりとしているとは断言し難い。だからこそこんな中途半端な状態では相手にも失礼だと、答えを出す事を先延ばしにしていたら逆に踏み込む事が出来なくなってしまっていたのだ。

「そーだぞ花井!贅沢な悩みだ!勿体ないって!」
「…だそうだ。よし田島、名前呼んでやれよ。後は本人がどうにかするだろ」
「オッケー。名前ー!こっち来て一緒に食おうぜ!」
「ちょっ、え、待っ、おいっ!」

トントン拍子に話が進み、俺の制止の声も聞かずに田島は名前を呼び寄せ態々俺の隣に座るよう促した。先輩に呼ばれたら断れる筈が無いのがわかっていたからこちらから声をかけるつもりは無かったのに、田島が何も考えず大声で呼ぶから案の定、名字は食堂で待ち合わせしていたであろう友人に断りを入れ、昼食の乗ったトレーごと持って来て控え目に俺の隣に来てしまった。

「先輩、お隣いいですか?」
「…おお、悪いな。友達は大丈夫なのか?」

なるべく平静を装いながら隣の椅子を引いてやると「気にしないでください」と、いつもの笑顔を見せた。

「毎日のように一緒に食べてますし、大事な用があった訳でもないので」
「…そうか」

あからさまではないが、皆の意識が自分達へと向いているのが嫌でもわかった。名字は恐らく気付いていないのだろうが、俺は折角頬の赤みが引いてきたと思ったのに再び熱が集まるのを感じて、頭の中で色んなバージョンをシミュレーションしているのを必死で誤魔化すように弁当を詰め込んでいった。名字も隣に腰を落ち着けたと思ったら、早速食べかけだった昼食に手を付けている。

「…そう言えば」

暫しの間無言が続いていたのでどうしようかと悩んでいたら、名字の方から徐に話を振ってきた。

「何か用事でも?」
「え?」
「何か用事があったから私を呼んだんでしょう?」
「…いや、俺は…」
「じゃあ、ユウ先輩?」
「俺は別に用事なんかないぞ!ただ名前と飯食いたかっただけ!」
「そうなんですね、ありがとうございます」

咄嗟のこととは言え、またしても少し突き放すような言動をしてしまった事に後悔の念が襲う。しかしそれ以上に素直に気持ちを口に出せる田島を羨ましく思ってしまう自分が居て、遣る瀬無い気持ちになってしまった。
だけどそれではいけないと、折角周りがここまでしてくれているのだから自分も変わらなければと、俺は慌てて己を奮い立たせる。

「…俺も」

なんとか声を絞り出し、名字の方へと顔を向ける。しかし上手く言葉が続かずに、名字に怪訝そうな表情をされてしまった。

「花井先輩…?」

向けられた目線に怯みそうになりながら、俺は半分真っ白になりかけている頭で少し視線を逸らし、言葉を紡いだ。

「……でいい」
「え…?」
「梓でいい」

周りから「もっと別の言葉があるだろう」と不満の声が漏れ聞こえたが、今日はこのくらいで勘弁して欲しい。しょうがないだろ、今はこれが限界なんだ。
しかし、お膳立てしてくれた仲間には申し訳ないとは思うが、チラリと視界に映った名字の嬉しそうな顔に、俺も満更でもない顔をしてしまった。こんなに嬉しそうにしてくれるなら、もっと早くに勇気を出していれば良かったとも思わなくはないが、結局自分のペースでいかないと逆に名字に辛い思いをさせてしまうかも知れない。とは言え反省点も多々あるのだから、今後はもう少し自分の言動に、そして名字の気持ちに誠意を持って向き合っていこうと思う。