×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -

If you are pleased above all



通称鏡夜様チームの一人である橘誠三郎は、本日もいつも通りの時間に出勤し、安全点検等を済ませて鏡夜の部屋のメインフロアにて部屋の主が起き出すのを待ち構えていた。酷い低血圧な鏡夜は毎日第一、第二、第三、といくつものアラームをセットしていて段々と音も大きくなっていくという方法でしか起きる事が出来ない。橘からするとよくあんな騒音で飛び起きないなと感心すらしてしまう程であるのだが、こればっかりはおそらく一生治る事は無いだろう。
だがしかし、半年ほど前から鏡夜の部屋からアラームの音が殆ど聞こえて来ない日が度々訪れるようになった。理由は勿論橘も把握している。名字名前という存在のお陰である。

「…確か昨晩お泊りになるとおっしゃっていたから今日は名前様がいらっしゃるはず」

時間を確認しながら橘がそう呟くと、案の定いつもの時間に控えめなアラームがなったかと思えば室内はすぐに静まり返った。
その理由として、名前は鏡夜と違って朝に強いという事が一つある。鏡夜曰く一度寝たらなかなか起きないがある程度の睡眠を取ると、すっきりと目が醒めるタイプらしい。環程ではないが、起きてすぐに行動に移せると言うのは鏡夜からしたら少し羨ましくもあった。そういう事もあり、一つ目のアラームで確実に起きる名前が隣に居る日はいくつもアラームをかける必要がないのだ。そしてもう一つ。基本的に、起こし方にもよるのだろうが他人から無理矢理起こされる事を好まない鏡夜だが、彼女に起こされると比較的落ち着いた様子で目覚める事が出来るというのも理由の一つであるようだ。一体どのようにして二人の朝が始まっているのか、それは彼らのみぞ知るのだが、ただ一つ言えるのはあの鏡夜がここまで気を許している名前という存在は大きい。橘は誰にも打ち明けた事はないが、前からずっとこれは愛の成せる業なのではないだろうかと勝手に思っていたりする。

そうこうしているうちにカチャ、と静かに寝室の扉が開いた。いつも先に準備の終わっている名前が顔を出すのだが、今日は珍しく鏡夜の方が先に階段を下り始める。

「おはようございます、鏡夜様」
「おはよう」

やはりいつもよりは表情が穏やかである。そんな事を嬉しく思いながら橘はほんの少しだけ首を傾げた。

「あの…名前様は」
「ああ、何やら忘れ物をしたらしくてな。今日授業で使うものらしいんだが…」

鏡夜は途中で言葉を切って、寝室に目線を投げた。

「おい名前、もう二度も探しただろう。諦めて家の者に持って来させろ。遅刻するぞ」
「はーい」

鏡夜の一声で、漸く名前が寝室から顔を出した。鞄を手にパタパタと階段を降りる姿を横目に、鏡夜は小さく息を吐いて橘の名を呼んだ。

「山辺さんを入れてやれ。どうせ来ているのだろう?」
「はい、お部屋の外でお待ちです」
「まったく…うちの車で送るから心配ないと言ってあるんだがな」

呆れたように言葉を溢す鏡夜に一礼し、言われた通りに橘は外で待機していた山辺をメインフロアへ招き入れた。許可を貰い、鏡夜に向かって深々と頭を下げる目の前の女性こそ、名字家のスタッフ、山辺美由紀である。名前専属のボディーガードとも、付き人とも言える存在だ。

「おはようございます、鏡夜様」
「僕の家から行くときは車を出しますからと何度もお話しした筈ですが…?」
「いついかなる場合でも名前様のお側を離れるわけにはいきませんので」
「…流石ですね」
「ありがとうございます。それで、お嬢様はどうかなさったのですか?」

いかにも仕事の出来る女といった感じの容姿である山辺だが、そんなイメージとは打って変わって暑苦しいと言っても過言ではない程に名前を大切に思っている一面がある。だからこそ鏡夜は嫌味のつもりで言ってみたのだが、それすらも簡単に吹き飛ばしてしまう程の笑顔を返されてしまった。とは言えその笑顔からでは山辺の心中を察する事は出来ない。鏡夜の真意をわかった上であえて礼を述べたのかもしれないし、純粋に褒められたと感じたのかもしれないのだ。普通に考えると前者が妥当だろうが、その「普通」という言葉で括る事が出来ないのが山辺美由紀なのである。
だから少し、鏡夜は山辺が苦手であった。否、面白いと感じる人物の一人であった。

「忘れ物をしたそうですよ」
「まぁ、お嬢様にしては珍しいですね…名前様、私が取って参りますのでどんなものか教えていただけますか?」
「あら、美由紀おはよう」

探し物の事に夢中で山辺の存在に気付くのが遅れた名前は、漸く顔を上げて軽く挨拶を口にした。それに対して至極嬉しそうに挨拶を返す山辺。やれやれとそんな二人を見つめていた鏡夜であったが、朝の支度と同時に橘に朝食をメインフロアに持ってくるように指示を出した。

「今日も来ていたの?」
「名前様がおられるところに山辺ありですよ!」
「鏡夜さんの所にお世話になる時は大丈夫だって言ってるでしょう?」
「いいえ、人生何があるかわからないですからね。況してや名前様は凄くお目立ちになられますから!四分の一アメリカ人のクォーターであるという事を踏まえても、すれ違うだけでハッと振り返りたくなってしまう程のその美貌は最早凶器ですよ!」
「はいはい大袈裟な説明口調ありがとう」
「名前様!私は真面目に申し上げているんですよ!」
「でも鳳家にいる間はあなただって休んでいいのに」
「ダメです。鏡夜様以外にも接点を持たれるでしょう」
「まぁ、橘さんすらも疑ってるの?」
「信用はしていますが信頼はしておりません」
「…クク、言いますね」

朝食の並び始めたテーブルを横目に二人のやりとりを黙って聞いていた鏡夜が、流石に笑いを堪えきれず肩を震わせた。
信用と信頼。同じような意味を持つ言葉で、一般的にはそこまで区別して使う事もないような言葉であるのだが、山辺にとっては大きな違いがあるようだ。

「すみません鏡夜さん…」
「いや、ここまでハッキリ言う人も珍しいからね、俺は嫌いじゃないよ。尤も、橘はどう思ったかわからんが」

困った顔で謝罪する名前を片手で制し、鏡夜は楽しそうに側に仕える橘へ視線を投げた。だがその当事者は別に何とも思っていないようである。そもそも、自分が最も大切にしている鏡夜とそのお相手である名前に何かしようなどとは微塵も思っていないのだ。だからこそ橘からしてみればこの会話そのものに意味が無いと言っても過言では無い。

「…名前、朝食にしよう。このままでは本当に遅刻するぞ」
「そうですね、いただきます。美由紀、忘れ物の件、申し訳ないんだけどお願いしてもいい?」
「勿論です!」
「ありがとう。あのね、一昨日私がまとめていたノートわかるかしら」
「…政治経済ですか?」
「そうそう。今日授業があるからそれがなきゃ困るのよ」
「わかりました!名前様が登校される頃には学校に着くようにしておきます」
「ごめんね、ありがとう。私が自分で取りに行くのが一番いいのだけど…」
「とんでもない!名前様が動かれる必要は全くありませんよ!それでは、行って参ります」

勢いよく頭を下げて出て行った山辺に手を振り、名前は紅茶の注がれたカップに手を伸ばした。

「相変わらずだな」
「そうなんです。美由紀にはいつも注意するんですけどね、なかなかこれだけは譲れないらしくって。橘さん、私にいただけません?」
「やめてくれ、山辺さんを敵にはまわしたくない」
「うふふ、冗談ですよ。美由紀も橘さんに負けないくらい優秀な人ですから」

カップを置き、色んな種類のパンが並んでいるお皿に目をやった。本日は名前の趣味に合わせてか甘めのものが多いようだ。名前はその中から一つ取って、口に運んだ。そこでふと、ブラックコーヒーを片手に足を組んでいる鏡夜が目に入った。つくづく高校生らしからぬ姿だな、と笑えてしまう。

「どうかしたか」
「いいえ。あ、そうだ鏡夜さん。先程環先輩からお電話がありましたよ」
「ああ、俺にもきていたな。まったく…朝の五時半なんかに俺が電話に出るわけがないだろ」
「ええ、だから鏡夜さんの後に私にかけてきたみたいです。ちょうどアラームが鳴った頃でしたから、要件を聞いておきましたよ」
「環は何と?」
「何でも、今日急に着たい衣装が浮かんだから変更したいのだとか」
「却下だ」
「…お気持ちはわかりますが些か早すぎでは」

自分の台詞に対してムッと眉を寄せた鏡夜を見、名前は苦笑した。鏡夜の不機嫌な表情の理由は勿論名前も理解しているつもりだ。
本日の事は先日ホスト部の方でミーティングを行って決定した事であり、もう既に準備は終えている。これを急に変更などと言われても二つ返事で引き受けるわけにはいかないのだ。それは部長である環も重々承知しているはずなので、朝からこんな電話を寄越したという事は何らかの事情があるか、余程急に降りてきた衣装がお気に召したかのどちらかであろう。

「…とりあえず、私が意見するわけにもいかなかったので鏡夜さんに伝えておきますとだけ環先輩にはお話ししました」
「はぁ…わかった。朝一であいつには文句を言っておく。何時にかけてこようと当日の変更は難しい、とな」

ここで名前は内心、鏡夜にしては随分と優しい言い方だなと思ってしまった。要するにこれは、前日までであればなんとか対応できるのだと暗に示唆しているのだろうが、それを口に出すほど名前は馬鹿ではない。だからこそ一言「そうですね」とだけ返し、口元を布巾で拭った。

「そろそろ行くか」
「はい」

鏡夜の一声で橘は手際良くテーブルの上を片付けてメインフロアの外に出してしまった。後は他の者が片付ける為、すぐに橘は車の準備へと向かう。残った二人は上着を羽織り、部屋を出て玄関へと歩き始めた。

「鏡夜さんは相変わらず少食ですね」
「朝だけはどうしてもな。お前の食べる姿を見るだけでもうお腹いっぱいだよ」
「私そんなにがっついてませんよ」

ぷく、と振り向きざまに頬を膨らませると、小さく肩を揺らす鏡夜が目に入った。初めて出会った頃はもっと作り込まれた冷たい笑顔を見せていた鏡夜だが、今は随分と自然体で笑うようになった。それが嬉しくてつい名前も笑顔を返すと鏡夜に少しだけ不思議そうな顔で見つめられてしまった。

「さっきから何なんだお前は。人の事を見てはにやけて」
「それはお互い様ですよ」
「…そうか?」
「そうです。あっ、鏡夜さん、明日も泊まりに来てもいいですか?」

靴を履き、既に準備を終えて待ち構えていた車に名前から乗り込んだ。次いで鏡夜も隣に乗り込み、車はゆっくりと動き出した。

「それは構わないが、お前の両親は何も言わないのか?」
「ええ、明日から両親いないんです。二日ほど旅行に行くので」
「相変わらず仲がいいんだな」
「ふふ、珍しく二連休が取れたからって父が嬉しそうに母を誘ってました。私も誘われたんですけど邪魔するのも何だかなぁと思いまして…それに、明日は金曜日ですから」
「そうか、そう言えばそうだったな。何だ、休みに何処か行きたい所でもあるのか?」
「いいえ。ただ、金曜日にお泊まりしたら夜からいっぱい一緒にいられるじゃないですか」

普段はあまり一緒にいられないですしね、と付け加えて微笑むと、鏡夜は一瞬目を見開いた。だがすぐに穏やかな表情に戻り、足を組み直す。

「…恐ろしいな」
「何がです?」

口を衝いて出た言葉に対して疑問符を浮かべる名前を一瞥し、鏡夜は「何でもない」と首を振った。名字名前という存在にこれ以上のめり込む事はないと思っていたのに、アッサリとそれを覆されたなどと、情けなくて口には出来ない。幸いにも本人は無自覚のようなので助かったが、どうやら周りは違うようだ。少しだけ妙な空気になり始めた車内で、鏡夜は一つ咳払いをしてチラリと運転席に目をやった。

「何だか空気が悪いな。取り敢えず堀田は降りるとして後はどうするか…」
「…!」

何故いつも私なんだ、と慌てて振り返ろうとした堀田だが、バックミラーで既に黒いオーラを感じ取ったので我が身の安全の為に必死にハンドルを握った。
あの鏡夜が女性一人に翻弄される姿を珍しいと感じる共に、微笑ましくもあるスタッフ三人はうっかり顔が綻ぶのを必死に堪えていたわけだが、鏡夜には丸わかりだったようだ。明日は我が身だと、橘も相島も堀田と同様に気を引き締めた。

「…鏡夜さん?」
「こちらの事だ、気にするな。それより明日、部活が終わってから一緒に帰るか?」
「いえ、準備をしに一度自宅へ戻ります」
「迎えは…必要ないな」
「ええ、美由紀がいますから」

はにかみながら肩を竦める名前につられて鏡夜も苦笑した。

「明日、楽しみだな」

名前の雰囲気に当てられたのか、またまた口を衝いて出た言葉に名前は勿論の事鏡夜自身も少し驚いた。しかし目を丸くしている名前が視界に入り、まぁいいかと思ってしまった自分はやはり重症なのかもしれない。

「ほ、本当にそう思ってます…?」
「嘘ついてどうする」
「そう、ですよね…ふふ、嬉しい。私も楽しみです」
「土曜日は自信がないが、日曜は出来るだけ早起きするから何処か出かけるか」

普段は名前にしてやられる為、たまには反撃しようと自分なりに素直に言葉にしてみた。それは思っていたよりも恥ずかしくもなくスッと口から出てきて、鏡夜自身も悪い気はしなかった。そして何より、名前が本当に嬉しそうにしているのが今日一番の収穫である。

「嬉しいです。ありがとうございます」
「ああ」

たまにはこういうのも悪くない。






戻る