20万打 | ナノ
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ふと、目が覚めた。アラームはなっていない。朝練がない為いつもより遅めにアラームを設定していたのにも関わらず、結局いつも通りに起きてしまったからだ。二度寝も一瞬考えたが、名前はそのまま体を起こし、ゆっくりと身支度を済ませる事にした。
着替えが終わってリビングへ降り、まだ誰も起きていない静かな空間に朝ごはんとお弁当を作る音だけが木霊する。いつもの光景な筈なのに、何故か寂しさを覚えた名前は、早く学校の皆に会いたいと逸る心を抑えて黙々とご飯を口へ運んだ。



「おはよう」
「…?お、おはよう」

教室に入る直前に花井に会った。名前がいつものように声をかけると、何故か少し不思議な顔をしながらも控えめに返事が返ってきた。何かあったんだろうか、と首を傾げながら教室へ一歩踏み出すと、急に後ろから呼び止められた。

「名字さん」
「千代、ちゃん」

一瞬、誰かわからなかった。そのくらい篠岡の表情はいつも名前に対して見せるそれとは大きく異なっていたのだ。

「どうしたの?こんな所で。名字さんって確か隣のクラスだよね?誰かに用事?」
「え……、」
「呼んでこようか?名前教えてもらったら…」
「違う…そうじゃなくて、」

次は、何を言っているのかわからなかった。冗談のつもりなのか、何なのか、理解しようにも頭がついて行かずに思考が停止する。目の前の友達に色々と問い詰めたいのに動きを止めた頭では、言葉が上手く紡げず吃ってしまう。

「ち、よ…」
「おーす」
「あ、おはよう阿部君!」

名前の言葉を遮るようにして聞こえた声に、心臓が嫌な音を立てた。強張った表情でゆっくりと振り返ると、見慣れたタレ目が名前と篠岡を交互に見下ろしている。

「隆也…」
「あ?誰だお前」
「…っ」
「隣のクラスの名字さん。ほら、確か中学も一緒だったよ?」
「知らねぇ」
「もーダメだよ阿部君、もっと周りの人にも関心持たなきゃ!」
「別によくねぇか?俺は他校の野球部員覚えんので精一杯なんだよ」
「またそんな事言ってー」

あっという間に二人だけの世界に入ってしまい、名前の存在が頭から吹っ飛んでしまったようだ。先程まで名前の事を気にかけてくれていた篠岡は、阿部と楽しそうに席まで歩いて行ってしまった。どういう事だ。何が起きているんだ。あまりの態度の変わりように、言葉をなくして去っていく二人を見つめていると、阿部の隣、つまり名前の席に篠岡が座ったのがわかった。しかもよく見れば横に鞄までかけられている。もしかして、と嫌な予感が頭を過って、名前は早足で二人の目の前に立った。

「ねぇ…」
「あれ、名字さん?」
「この席…私の、だよね…?」
「え?私の席だよ。それに名字さんは隣のクラスでしょ?」
「え、だって…そんな筈…昨日まで…」
「そんな事言われたって…名字さん、大丈夫?」
「ちょっと、机の中見せて…私の私物が入ってる筈だから」
「えっ、あ、ちょっ…」
「いい加減にしろよ、お前」

混乱した頭でも、腕を掴んだのが誰なのかはすぐにわかった。

「たか、や…」
「さっきから聞いてりゃ好き勝手言いやがってさ。お前、何なんだよマジで。ここはお前の席じゃねぇ、千代の席だ」

最後の一言で、目の前が真っ暗になった。だがそれと同時に、本意ではないが少しだけ理解もしてしまった。その途端、名前は逃げるようにその場から立ち去った。





どのくらいそうしていたかわからないが、太陽は随分と真上にきていた。人目につかない校舎裏で蹲っていた名前は、そろそろ授業を受けなければ、とスカートを叩いて教室へと歩き出す。
名前自身ももう薄っすらとは勘付いていた。これは夢なのだと。現実世界で急に周りの人間の記憶がこうも変わる訳がない。しかしそれでも心が痛い事には変わりないのだ。だからこそ、早く覚めてほしい。
これは夢だ、夢なんだと自分に言い聞かせながらも、なんでか授業は受けなければという謎の使命感で隣のクラスへと足を伸ばす名前。これも夢だからなのだろうか。「一年六組」と書かれているのを確認して、入りにくさを感じながらも一歩踏み出した所で後ろから今最も聞きたくない声で名を呼ばれた。

「名字さん!」
「ち…篠岡さん」
「よかった、やっと会えた。どこに行ってたの?一時間目の休み時間から毎時間見に来てたのにいないんだもん、心配したよ」
「ごめん…それで、何か…用事…?」
「そうそう、これ!さっきうちの教室に落として行っちゃったから」

はい、と渡されたのは見覚えのないストラップだった。名前は咄嗟に手が出てしまったが受け取る事が出来ず、首を傾げる。

「これ…私のなの?」
「え?だって名字さんの鞄から落ちてきたよ」

意味がよくわからなかった。どう見ても、篠岡の手の中にある物には「目指せ、全国大会」と記されている。それだけならまだしも、おそらく手作りであろうそのストラップは、四角いフェルトの上に何かの楽器と音符を模したものが沢山散りばめられているのだ。

「だって、名字さん吹奏楽部でしょ?」
「えっ」

ゾッとした。遂に野球に関わることすら否定されてしまったのか、と。

「ごめん…受け取れない」
「どうして?困るよぉ、名字さん」
「だって、私は…」

野球部のマネージャーだ、と口にしようとした瞬間腕を強く引かれ、無理矢理ストラップを握らされた。犯人は篠岡ではない。またしても、阿部が現れたのだ。

「ったく面倒くせぇな、さっさと受けとれよ。千代も困ってるだろ」
「違う…これは、私のじゃ」
「お前の鞄についてたの見たんだからお前のだろうが。ホント意味わかんねぇな、お前」
「……、」

言い返そうと思っても、阿部を目の前にしたらそれも儘ならなかった。どう考えても自分の知る阿部ではないと理解しているのに、いつもの顔、声で言われてしまうと体が竦む。他の誰でもない、阿部に否定される事がこんなにも辛い事なのか、と名前は泣きそうになりながらもそれを必死に堪えた。

「…なんだよ、言いたい事あるなら言えよ」
「……」
「黙りか…お前さ、朝から思ってたんだけどちょっとオカシイんじゃねーか?普通初対面に近い人間に、あんな態度とらねぇだろ」
「…やめ、て」
「ああ、そう言えばさっきクラスの奴に聞いたんだけど…お前の親父、お前のせいで死んだんだってな」
「ーーー…ッ」

だから精神的にオカシイんじゃないのか、と言葉が続いた気がしたが、もう耳には届かなかった。
違う、違う。そんな事を言う人ではない。やっぱり夢なんだ。お願い、早く覚めて。でも、ああ…そうだ、私のせいだ。私のせいでお父さんは死んだ。この人は正論を言っている。じゃあもしかして、この世界が、現実…?








「ーーー名前!!」

強い力で、肩を掴まれたような気がした。枕元の小さい明かりに、名前は見開いた目をゆっくりと細める。

「はぁ、やっと起きた…しばらく様子見てたんだけどお前があんまりにも魘されてっからさすがにヤベェなって思って…大丈夫か?どんな夢見たんだ?」
「…ぁ、たか…や…?」
「ああ、俺だよ。水、飲むか?」

まだ現実なのか夢なのか理解しきれていない頭で、名前はゆっくり首を横に振った。体が震えて、声が上手く出せない。

「名前、呼んで…」
「あ?」

同じ布団の中にいる阿部に縋り付き、おでこを擦り付ける。彼の体温と心音を感じて、少しだけ心が落ち着いた。

「私の、名前」
「名前」
「…まだ」
「名前、名前。ちょっとは、落ち着いたか?」
「うん…」

逞しい腕が名前の体にまわり、力強く抱きしめられた。次第に体の震えも治まってきて、名前は一度深く息を吐く。

「……夢で、良かった」
「珍しいな、夢で魘されるなんて」
「私も…なんであんな夢見たんだか…あぁ
まだちょっと震えてる。凄く、リアルだった」

自然と流れた涙を拭おうと名前が少し離れようとした瞬間、阿部が代わりに彼女の頬を両手で包み、指で涙を拭った。そして目尻に軽く唇を落とすと、再び自分の腕の中に閉じ込める。

「…で?どんな夢だったんだ?」
「言わなきゃだめ…?」
「まぁ、言いたくないなら別にいいけど…言って、楽になるかもしれねぇしさ」
「……」
「……」
「……みんながね、私の事を忘れちゃうの」
「俺も?」
「うん、全員。お前誰だ、とか隣のクラスだよね?とか言われた。ベタな夢よね、まったく…」
「それだけじゃねぇだろ?」
「……」

核心をつかれて、名前は肩を揺らした。確かにそれだけではない、が、そこまで口に出すつもりはない。例え夢とはいえ、もう思い出したくはないのだ。それに仮に口に出したとして、阿部の事だ、彼のせいでは無いのにおそらく心を痛めるだろう。名前にとってはそれも言いたくない理由の一つであった。

「また今度話す」
「…わかった」

そう言って微笑んだ阿部に、名前からそっと口付けた。触れるだけのものだったが、今はそれだけでもまた泣けそうなくらい安心する。

「もう眠れそうか?」
「どうだろ…まだちょっとどきどきしてる」
「…ホントだ、脈速ェな」
「だからもうちょっと、このままでいさせて」
「いつまででもいいさ。今日はずっと苦しいくらい抱き締めといてやるから、眠くなったら寝ろよ」
「ふふ…ありがと」

赤ん坊をあやすように、丁度いいリズムで阿部が背中を撫でてゆく。名前はそれを感じながら、ゆっくりと目を閉じた。今度は良い夢が見られるようにと願いを込めて。





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