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7分後、捕獲

夏の暑さも随分落ち着いて来た頃、自室でのんびり過ごしていた名前の元に、阿部が急に押しかけて来た。そのせいで名前は口に運びかけていたアイスを一旦入れ物に戻す事となる。

「…どうしたの」
「プール行くぞ」
「え、何でまたこの時期に」
「夏休みが終わったこのガキの少ねぇプールでトレーニングしようと思った、のと」
「と?」
「お前に今度こそ平泳ぎをマスターしてもらおうと思ってさ」

平泳ぎ。それは名前にとって不快感を覚える言葉だ。小学生の時から平泳ぎだけは壊滅的で(勿論バタフライなどという高度な泳ぎも出来ないが)、基本的に出来なければいけないのは百も承知だが、どうしたってクロールでその場を凌ぐ事しかできなかった。何故できないか、と問われればこれと言って明確な理由は述べられないのだが、とにかく無理なのだ。何故か進まない。

「…遠慮しま」
「拒否権はねぇ」
「…っ…隆也が私を苛める…」
「苛めじゃねぇ、今後のためだ。もしどっかで溺れでもしたらお前生きて帰れねーぞ」
「クロールで乗り切る」
「体力持たねーって」
「…わかってるけどさぁ……」

容器の中で溶けかかっているアイスを見つめ、ため息をつく。

「んじゃ、行くよな?」
「うーん…」
「腹括れ。俺がみっちり教え込んでやる」
「…はぁ…わかった。行くからアイス食べ終わるまで待って」
「そういやそれ、何食べてんだ?」
「大人の雪◯だいふく。隆也食べる?後一個ある」

そう言うと名前は、二個入っているうちのまだ口を付けていないだいふくの方を、黙って開けている阿部の口に放り込んだ。そして自分は先ほどの食べかけの方を、ぱくっと一口で食べてしまう。

「…甘ェ」
「大人の、って書いてある割にはね」
「一個で十分な甘さだな」
「…よし、じゃあ食べたし準備してくるね。もうちょっと待ってて」
「おう」

空っぽの容器を手に持ち、一階へ降りる名前を見つめながら、阿部は携帯のライトが点滅している事に気づいて、徐に携帯を開いた。







「…やっぱり人少なくなってるね」

水着に着替えた名前は、先に着替え終わっていた阿部の元へ向かい、周りを見渡しながら呟いた。ここのプールには遊具関係はあまり多くはなく、メジャーな物がある場所以外は、トレーニング用として使用されている。そんな中でお年寄りが歩く為のスペースや、小学生未満が遊ぶ為に造られた底の浅いプールにはまだ人が入っていたが、中高生、及び大人が入る用のプールには結構な空きがある。

「ああ。時間帯によっちゃこっちのプールも多くなんだろーが今は本当少ねぇな…ま、好都合じゃねーの?」
「…やだなー」
「もう遅い。諦めろ」
「……やっぱりやめない?」
「やめねーよ」

そう言うと名前の腕を掴み、軽く準備運動を行って水の中へ体を沈めた。水が地味に冷たい。

「…そういや今どんくらい泳げんだ?俺名前がまともに泳ぐとこ見たのだいぶ前な気がする…」
「進歩してないと思うけど」
「んだよしてねぇのかよ」
「だって極力やりたくないじゃない?」
「…そりゃあそうか。まぁいいや、とりあえず泳いでみ」
「…うん」

嫌そうな顔で名前は壁に背を付ける。そして、深く沈んだかと思えば勢いよく壁を蹴り、そのまま蹴伸びの状態で身体が浮くまで続けた。姿勢は悪くない。ゆっくりと前に進みながらポコッと頭が出る。さぁ、ここから平泳ぎの始まり。なわけだが、名前は頭が水上に出た途端に足を付き、その場に立ち尽くした。

「……………いや、泳げよ!」
「あはは、無理」
「あははじゃねー!」

名前の立ち尽くす場所までズンズンと歩いてくる阿部。そして逃げ腰の名前の腕を掴むと、深く溜め息をつく。

「おま…蹴伸びしかしてねぇぞ」
「や、無理…何か無理…わかんない」
「泳ぎ方がわからねぇのか?」
「…どうやるのかはなんとなくわかるんだけど、いざ自分がやろうとするとわからなくなる」
「見様見真似でいいからとりあえずやってみろよ」
「わかった」

再び水の中に沈む名前。先程よりも短い蹴伸びの後、阿部に言われたように見様見真似で平泳ぎをやってみた。
しかし、その姿はなんとも形容し難い泳ぎ方で、案の定前に進まない。二、三回それを続けて、名前は水から顔を出した。

「…ね?言ったでしょ……ちょっと笑わないでよ!」
「くく…っ…いや…悪ィ…っ」

ツボにハマったのか、なかなか笑いを止めない阿部に、名前はじとっとした目を向ける。それでも笑いが収まらないらしく、終いには涙まで出てきていた。そこで名前は、ちょっとした提案を持ちかける。

「……ねぇ、それなら一回隆也が泳いで見せてよ」

名前としては、少しばかりの仕返しだったりする。

「…おー、いいぜ」
「じゃあここで見てるから」

快く引き受けた阿部は、一旦壁際まで戻ると先程の名前と同じように深く潜り、壁を蹴って蹴伸びをする。そして身体が浮き上がったところで手足を動かし、綺麗な平泳ぎをやり始める。それを見て名前は泳ぎ方を学ぶのかと思いきや、急に阿部に背を向けてあらぬ方向に歩き始めた。
逃げた、とも言う。



名前は水から上がり、出来るだけ人が集まっている場所に身を隠した。いつかは見つかるだろうが、ちょっとばかりの仕返しなので、あまり深くは考えずにとにかく逃げる事だけに専念する。そんなとき、よく知る人物に肩を叩かれた。

「名字?」
「……あ、花井君…と千代ちゃん?なんで二人が…もしかして付き合って…」
「ち、違うよ名前ちゃん!野球部の予定が合う何人かでトレーニングを兼ねて遊びに来てるの!」
「名字は阿部と来てるのか?俺、阿部にも連絡したんだけど名字と出かけるから行けねーって返事返ってきたんだよなぁ」
「まさかおんなじプールだとは思わなかったんじゃない?阿部君」
「そうかもねぇ…じゃない、そうよ私隆也から逃げてる途中なの」
「逃げるって…?」
「平泳ぎをマスターしてもらおうと隆也が躍起になってるから…」
「そういや名字平泳ぎ壊滅的なんだったな」
「まぁ、ね、自分で言うのもなんだけど酷いもんよ」

そう言って肩を竦めると、突然後ろからガシッと何かに掴まれた。

「おい」
「…何か幻聴が」
「捕まえたぞ、名前」

嫌々振り返れば、怖い笑みを浮かべた阿部に捕獲されていた。思ったより早く、名前は驚きを隠せない。

「あああ……捕まった」
「たりめーだろ、俺ァ捕手だぞ」
「捕手関係ないじゃない」

捕まったしまったものは仕方がない。名前はおとなしく降参した。そこで、ようやく花井達の存在に気付いたらしい阿部は、名前同様奇妙な組み合わせに眉を顰める。

「お前らなんでここに…もしかして付き合って…」
「名字と一緒のこと言うなよ!お前なぁ、ちゃんとメールしただろ?野球部何人かで集まってプール行くって」
「ああそういやそうだったな。で?結局誰が来たんだ?」
「俺らの他には泉と田島と三橋。それに沖と水谷だな」
「意外に多いな」
「私もそっちに混ざりたいなー」
「いいんじゃない?おいでよ、名前ちゃん」
「阿部もせっかくだから来いよ」
「あー…そうだな」


結局、その日はもう平泳ぎの練習をさせられることはなかった。しかし帰り際に「諦めてねーからな」と黒い笑みを浮かべながら囁かれたのには、さすがの名前も「うん」と答えざるを得なかった。


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