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無頓着



ある日の朝食時である。早い時間にも関わらず朝練の為にお腹いっぱいご飯を詰めていた時だ。空いたお皿を下げようとテーブルへ近寄った美佐枝は、ふと息子を見て動きを止めた。

「タカ」
「…ん」
「…髪、伸びたわね」
「そうか…?」

母親の言葉に対して、お茶碗片手にコテンと頭を傾ける。自分では体重は疎か身長すらもそこまで気にしていなかったのだ、髪となれば更に後回しになるのは目に見えている。

「切りに行ったら?目にかかると良くないし、暑いでしょ」
「んー、そのうちな」
「早めに行きなさいよー」
「はいはい。行って来まーす」

適当に返事をし、食器を片付けて家を出る。玄関でそれを見送った美佐枝は、息子の背中を見ながら「本当にすぐ行くかしら」と、疑りの目を向けていた。






所変わって朝練後の教室。さすがの暑さに皆疲れきった表情で席に着いた。ほぼ毎日制服で登校する阿部も、張り付くシャツや通気性があまりよくない長ズボンに鬱陶しさを覚える。半ズボンで涼しげな水谷や花井を若干羨ましく思いながら鞄を整理していると、少し遅れてマネージャー達も教室へ入って来た。

「おはよー」
「おは…あれ、名字いるじゃん」
「おー、ほんとだ」

入ってすぐ席の離れている篠岡と別れ、名前は自分の席に荷物を置く。近くの水谷や、たまたまそばに居た花井に挨拶をし、椅子に腰をおろした。

「おはよ」
「おう。お前今日朝練いなかったけどどうしたんだ?」
「ちょっとやることがあってね、学校には来てたんだけどグラウンドには顔出せなかったの」
「やること?」
「監督に頼まれてちょっとね」
「ふーん」

名前が席に着いたと同時に、阿部は体を彼女に向けた。朝練の時に一度も姿を見なかったので、今日は休みなのかと思っていたのだ。それは他二人も同様である。

「なんだそうだったんだー俺も不思議だったんだよ」
「ごめんね、何も言ってなくて」
「俺もてっきり名字休みだと思っててさ。でも阿部に聞いても知らねぇっつーから…」
「昨日急に言われたから隆也にも言ってなかったもん。でも別に大した事じゃないから大丈夫」

そう言って控え目に微笑んだと同時に、一限目を告げる鐘が鳴った。


一時間目は倫理の授業。地歴や政治経済ならまだしも、倫理が朝一から行われるというのはなかなかキツい。かと言って昼食後の一番眠くなる時間にあっても困るが、一限の倫理はさすがの名前も報えた。教師が教室を出た途端に、机に突っ伏して眠気と必死に戦っていた頭を休ませる。

「ね…むかった…」
「俺も俺もー。後半ちょっと記憶無いよ俺」
「途中五分くらい、水谷君明らかに船漕いでたもんね」
「あっ、やっぱわかった?」
「うん。まぁ、先生は気付いてないと思うけど」
「名前ー、ハサミ貸して」
「え、何?」
「ハサミ」
「また急に…どうぞ」

机に突っ伏したまま水谷と会話をしていると、横から阿部が名前の肩を軽く叩いた。ハサミ、と彼女の前に差し出された右手に、名前はハサミを置くと再びうつ伏せになる。

「俺次の時間もちゃんと起きてられる自信ねぇよー…どうしよ名字」
「どうしよって言われてもねぇ」
「頑張れとしか言いようがねぇよなぁ」
「ねー」

いつの間にかこちらへ来ていた花井も会話に混じる。名前は体を起こして机に頬杖を付くと、花井と先程の倫理の授業について少しばかり話に花を咲かせた。それを最初は水谷も黙って聞いていたのだが、貴重な休み時間なのでやっぱり寝る、と本格的にうつ伏せになってしまった。そんな彼を見て名前は残り時間が十分弱というこの状況で、今眠ったら逆に辛いのではないか、と心の内で密かに思っていたのだが、それを口にする前に再び横から名前を呼ばれ、行動に移すことができなかった。

「名前ー」

声の主は、勿論阿部である。

「鏡貸して」
「鏡…?小さめで良かったらあるけど…」
「映りゃァ何でもいいよ」
「……はい」
「さんきゅ。ったく、鏡無くてもいけるかと思ったけどやっぱダメだな…」
「…ねぇ隆也、さっきから何して……」

いい加減彼の行動が気になり、花井の方に向き直っていた視線を体ごと反転させると、信じられない光景が目の前に広がった。阿部がちょうど今、自分の前髪にハサミを入れようとしていたのだ。

「ぎゃあああ!何してんの!!」
「ぎゃあって…お前」
「叫びたくもなるよ!ちょ、ちょっちょっとストップ!」

椅子からガタンッと立ち上がり、慌てて阿部の腕を掴んだ。とは言ってもその勢いのせいで前髪がぱっつんになってしまっては元も子もないので、あくまでも常識の範囲の力加減だ。一方で腕を掴まれた阿部は不思議そうな目で名前を見上げていたが、不意にハサミまで取り上げられてしまい、大人しく彼女に従うことにした。

「何してるのほんと!」
「髪切ってんだよ」
「ど、どうして…」
「朝、親に髪伸びたから切っとけよって言われてさー、まぁ野球すんのに切っといて損はねぇし切っとくかな、と思って」
「何で自力でよ…美容室行こうよ」
「行きにくい」
「じゃあせめて床屋…前回は行ったじゃない」
「…面倒くせぇ」

全くもって阿部らしい言い分に、名前も言葉を詰まらせた。阿部の性格から考えて、店まで行く時間も労力も無駄だと考えているであろう事は明白で、それは彼女も重々承知している。実際名前も女子としてはどうかと思うが美容室はあまり好きではない。しかし、それとこれとは話が別で、おかしな事になる前になんとか自分で切ろうとする阿部を止めなくてはならなかった。

「あー…いっそのこと花井みてぇに坊主にしようかな」
「…や、それだけは…!」
「そーだよ、阿部って坊主のイメージ全然出来ねぇもん。それになァ、坊主だって面倒くせぇんだぞ?すぐ伸びてくっからちょこちょこ剃らなきゃいけねぇし…」
「あー…だよな…」

花井が自分の頭を摩る様子を眺めながら、阿部は益々面倒くさそうな表情をした。髪は伸びる。当たり前の事だがこれ程面倒なものはないと思えるのもまた事実である。世界記録にでも挑戦するつもりならこのまま伸ばしておいてもいいのだが、生憎ただの高校生だ。やはり店に行くしか無いのか…と半ば諦めつつあったところで、ふと阿部の坊主を心配している名前に阿部は目が行った。

「…あ、そーだよ名前切れねぇの?」
「私が?」
「今日風呂ん時切ってくれよ」
「無理無理!変になるに決まってる」
「いいって別に」
「私がよくない!後ろ髪ならまだしも…前髪なんてリスク大き過ぎ…」
「俺が自分で切るよりはマシだろ」
「そうかもしれないけどさ…でもやっぱりダメ、今日帰りにちゃんとしたとこ行こう?」
「お前も来んの?」
「行く行く。最後まで見張っとく」
「んー…じゃあ行くか…」

ようやく妥協してくれたようで、名前は心底安心した。深いため息と共に自分の席へ腰を落ち着かせると、頭上から花井がポツリと言葉を洩らした。

「…なんかお前ら…カップルっつーより親子みてぇな会話になってんぞ」
「そうか?」
「…なんとなくそう感じた」
「私が母親ってこと?」
「そうそう。んで、阿部が病院とか嫌がる子供」
「んなことねーだろ」
「あはは、言われてみればそんな感じかも」
「ちげーよ、俺は面倒くせぇだけだっての」

やや食い気味に抗議する阿部。それを花井は苦笑しつつ謝罪をし、名前もごめんと言葉を零しながらどうどう、と彼を宥めた。

「俺は牛馬じゃねー」
「ふふ、ごめんって隆也。冗談だよ」

いまだに名前の肩の震えは治まっていないが、阿部もここは大人しく目を瞑った。自分が行きたくない、と言い張っていた事は事実だからである。

「ったくよー…」
「隆也はこだわりがないだけだもんね」
「そうそう」
「…でも流石に今日のはびっくりしたよ」
「あー…それはまぁ…悪ィ」

名前の言葉にたじろぐ阿部を珍しく思いながら、花井は名前にも目を向けた。しかし先程と何も変わらず楽しそうにしていて「ああ、名字にとっちゃ珍しい事でもないよなァ」と今更ながらも再認識してしまった。

「じゃあ今日帰りにね」
「へいへい」



無頓着

(度が過ぎると困りもの)









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