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好き、だけじゃ



「好き、です」

そう彼女が小さく呟いた。俺だって彼女が好きだ。だけど、婚約者の存在がそれを体現するのを蝕む。
将来は決められた女性と。それが小さいときからの常だった。だから、伸ばした手をそっと引っ込める。

好き、なのに。

「好きなんて言って、ごめんなさい。…ごめんなさい」

俯きながら謝罪を述べる彼女。謝る必要なんてない。本当に謝らなければならないのは、俺。
きっと最初に好きになったのはお前じゃなくて俺のほうだ。

「聖川様には…婚約者がいらっしゃるんですものね……」
「ハル……」

――“聖川様”

その呼び名が、俺たちの間にできた溝を実感させる。もう戻れないのか?以前のように。

「あっ…ごっごめんなさい…!好きだなんて言われても困りますよね…。わたしのような一般庶民に……」

関係ないだろう、階級なんて。どうして。どうして、今更そんなこと言うんだ。
それにその泣きそうな顔。そんな顔をして俺のほうを見るな。

家のことが頭をちらつくのに、ここで抱きしめてはいけないと頭では解っているのに。どうしてだろうか。

――過ちを犯してしまう

そっと彼女の腕を引っ張り、抱き寄せた。ほのかに香る彼女のシャンプーが鼻腔をくすぐる。

抱きしめてはいけなかった。好きという気持ちが抑えられなくなるし、それにそれは俺が決められた婚約者ではなく彼女を選んだということでもあるから。

でもお前に出会うまで知らなかった。人を好きになるということはこんなにも人に誤謬をおかさせ、それでいて嬉しいものだということを。

「ハル…好き、だ」
「聖川、様……?」
「名前で呼んでくれないか……?」
「真斗くん……」
「もう一度……」
「真斗くん……!」

強く、抱きしめ返される。身体が触れ合う部分から、そっと伝わる温もり。その体温に自然と顔が綻ぶ。

彼女の前では嘘なんてつけない。いつも素直で一生懸命で。目が離せない。だから、好きなんだ。

自分自身に嘘をついて生きていくことだって出来ない。だってこんなにも彼女に惹かれている自分がいるのだから。


好き、だけじゃ、
(言葉だけじゃ足りないから、もっと抱きしめていたい)

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