念のためもう一度繰り返す。
「黒子だけを呼んだつもりなんだけどね」
想定じゃない、決定だった、この空間には二人でいるはずだった。他の追随なんて許さないはずだった。なのに目の前に広がるこの光景は。
「っあーそれ今俺が写してたんスよ!」
「うっせーな、つかこれ元々誰のだよ」
「僕のです」
「紫原、プリントの上でお菓子を食べるな。油で汚れる」
「んー」
明らかに無視して騒ぐテーブルの面々。我が物顔でずかずかと踏み込んできたのは一時間前のこと、下らない例えをするならば気分はまるで未開拓地の先住民。ある意味とても人間らしい、国籍は違えど他者の領土に踏み込み陣取った祖先と同じ行動。つまり不愉快極まりない。
部活が休みの日曜日、うちに来ないかと黒子を誘ったのは一週間ほど前のこと。どんな経緯で広まったのか、なぜかその数時間後に黄瀬と青峰から遊びに来ると宣言された。
出ていけ、と呟いてみせた時には、二人の姿はかき消えていた。逃げ足が早いと言うべきか聞く耳持たずと言うべきか、運がいいと言うべきか。二人が妙に危機回避に長けているのは知っていたが、これほど腹が立ったのは初めてだ。
「緑間はいい、この中で言えば一番無害だ」
「おい俺たちが害虫みたいな言い方すんなよ」
聞こえていたのか。横目で青峰を盗み見る。正面には、なぜか課題をせずに詰め将棋の本を読んでいる緑間と、お菓子を食べているだけの紫原の姿。笑顔で黒子を挟む黄瀬と青峰、その三人の後ろに真顔で立っていたこの二人。
「その通りじゃないか。現に今何をしてる、青峰?今必死に写しているそれは誰のノートだと思ってるんだ」
「うるせーよ赤司!お前が渡してきたんだろ」
「見せるから早く帰れと言ったんだ」
ねえねえ黒子っちこれ分かんない、質問しながら黒子との距離を詰めていく黄瀬の頭を片手で退かす。
「いててて痛い!痛いっス!」
「見え透いた嘘を付くな黄瀬、課題を近付く口実にするなら今すぐバスケ部から追い出すぞ」
「……うわー不思議、なぜかスラスラ解けるようになっちゃったー…」
「ねー赤ちん、喉渇いたぁ」
引き攣った笑みを浮かべて大人しくなった黄瀬を横目に、気にした様子もなく紫原が口を開く。緑間は課題なんてとうに終わらせているんだろうが、紫原はそんな計画性は持たないだろう。むしろやらないまま登校して冬まで押し通すようなタイプだ。だからノートすら開ける様子もない、喉が渇いたと言いながらお菓子を口に運び続ける。溜息をついて立ち上がった。
「黒子、飲み物を運ぶのを手伝ってくれないか」
「はい」
「あ、じゃー俺も…」
「黄瀬、課題は?」
再び固まる黄瀬をよそに立ち上がる。あーもー分かんねー、青峰の唸るような声が廊下まで響いた。写してるだけのはずなのに、一体何が分からないのか。
「ついておいで」
冷房の効かない廊下は暑くて、首筋がじわりと汗ばむ。後ろ手にそっと手を繋ぐとひんやりとした黒子の手。
「グラス、全部で6個ですよね」
「ああ」
台所に見慣れない黒子の姿。振り向きざまに抱きしめると、無言で抱きしめ返す腕。
互いの身体は暑い、狭い空間、片手にグラスを持ったまま。正直色気も何もない、でもそんなことは気にならないくらい、触れたい気持ちの方が強い。ぴちゃん、水道から零れた雫が大きな音を響かせた。
「赤司くん、飲み物…」
「ああ、忘れてた」
嘘。
あいつらなら干からびてもいいや、なんて思ったことは内緒にしておく。
「………ん、」
口付けながら首筋を撫でるとくすぐったそうに身をよじる。
「駄目、ですってば」
「どうして?やめる理由が見つからない」
だって黒子が目の前にいるのに。そう諭しても、腕の中の黒子は恥ずかしそうに首を振るだけ。
「今は、駄目です」
「そう、……どうしてもっていうなら、黒子からキスしてみせて」
勢いよく顔を上げる、それは朱く染まっていた。困っているような恥ずかしがっているようないつもの表情。
「どうしてそういうことばっかり…」
「だって黒子が、…」
小さな物音に言葉を止める。大抵の想像は付いている、後ろを振り向かずに話し掛けた。
「……見たいなら見ればいい。ただしその後のことは保証しないよ」
途端に気配が遠退いていった。当然と言うべきか。一人笑っていると、黒子が不思議そうな顔をして首を傾げた。彼は気付いていなかったらしい。
「黒子、今日はうちに泊まるといい」
「え?でもご家族の…」
「旅行中って言っただろ」
でも、と開きかけた唇を塞ぐ。
「今は我慢してあげる、でも夜は止めさせないから」
拒否権はないよ、
そう囁くと、また顔を朱く染めて、今度は少しはにかんで。重ねた唇はまだ熱を帯びていた。
「………黒子だけと言ったはずだが?」
睨み付けても誰も視線を合わせない。何なんだこの光景は、そう思わさせられるのは今日で何度目だろう。
「雑魚寝には狭めーよ」
「文句言っちゃ駄目っスよー」
そう言いながら人のベッドに転がる黄瀬と青峰。無言で睨みつけると静かに下りて正座した。ベッドからどこうとしない青峰を見つめ続けていると、黄瀬が慌てて引っ張った。頭から落ちて大きな音を立てる、怒鳴り声と弁解。
「………最初から泊まるつもりだったのか?」
「これでも止めていたのだよ。そうしたらバスの時間を逃してしまった」
「お菓子まだ食べ終わってないしー」
この二人は有害なんだか無害なんだか分からない。隣を見ると、黒子はなぜか微笑んでいた。
「…どうした?」
「楽しいですね」
楽しい?人の部屋で騒いで喚いているこの様子のどこが?滑稽さはあれど美学の欠片も何もない、少なくとも今この状況には。
「…珍しい光景ではあるな」
「そうでしょう」
黒子が笑っているならまあいいか。そう考えてしまう辺り、まだまだ自分は甘いのかもしれない。
「半径3m以内に侵入するな。睡眠の妨げは言うまでもない、一歩でも踏み込んできたら許さない」
「…まじスか」
「せっま…」
間にテーブルを押し込んで宣言すると、四人は盛大に不満の声を上げた。
「紫原、足が当たっているのだよ」
「しょーがないでしょ、てゆーか黄瀬ちん頭近いんだけど。髪当たるからそっち行ってよ」
「これ以上は無理っスよ、むしろ俺と青峰っちは顔が近いんスよ…」
「つかなんでこの四人で川の字なんだよ」
3m離れていれば、まあ、テレビの雑音くらいには変換できる。
そう思いながら、腕の中に収めた黒子を抱きしめた。
「…暑くないですか」
「暑いね」
小さく囁き合う声は互いに少しかすれている。六人が発する熱量とエアコン、攻防戦はどちらが勝つか分かりきっている。けれど冷房の温度を下げるつもりはなかった、邪魔したあいつらを苦しめてやりたかったから。抱きしめる腕を緩めるつもりもなかった、温度なんて関係なくただ抱いていたかったから。
「…今日は珍しく思い通りにいかなかったですね」
「本当だよ、番狂わせだ」
暑い、狭いと喚く固まりの声を聞き流して答える。自業自得だ。
「黒子、」
はい、答えかけた唇、塞ぐと服を掴んだ腕に力が入る。
「…皆いますよ、」
「ああ、だから声出せないな」
暗闇でも頬の朱さが目に余る、大人しくなったのをいいことに繰り返し口付けていると、諦めたように目を閉じた。
「皆がいる時くらい我慢してください」
「…無理だな」
小さく漏れた不満の声に同じ台詞を繰り返す。
「止めて欲しいなら黒子からキスしてみせて」
「…それは…」
「皆に気付いて欲しいならいいよ、そのままで」
「……止めてくれますか?」
「約束は守るよ」
そう囁いて額にキスを落とすと、またくすぐったそうに身をよじる。嬉しそうに逃げるこの姿が好きなんだ。
「…約束ですよ」
「ああ、今夜限りのね」
瞬間肩に手が掛けられて。
重なる唇、それきり静寂、互いにそのまま目を閉じた。
背中にそっと回された腕は、布団に隠れて外からは見えない。
本当は見せ付けてやりたいくらいだけど、そう思いながら抱きしめる腕に力を篭めた。
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赤黒で夏休みのお泊り、いちゃいちゃとリクエスト頂きました。
赤黒+キセキという感じになってしまいましたがとても楽しんで書かせて頂きました!
少し捏造になるかもしれませんが、中2の夏休みはまだ、そういう仲の良さであったらいいなと。
人目を気にせずいちゃつこうとする赤司に、キセキが全力で邪魔をするといいと思います。
ゆー様、素敵なリクエストをありがとうございました!
20120807