『なあ、聞いたか?』
『木吉先輩、卒業したらすぐに引っ越すんだって』
『大学が県外なんだと』
自分でも驚くような速さで駆けていた、
部活後いつも待ち合わせていた橋の下に向かって。
「黒子、早いな」
「………っ」
いつものように座って、
いつもと同じ声をして、
「………聞いたのか?」
違うのは、息の切れた僕だけ。
なんで笑うの、
なんで笑うの。
「……知らなかった、です…」
激昂とか、そんなものは、全くなくて。
ただ、ぼんやりと顔を見ていた。
諦めたような、わざと怒られようとしているみたいな、先輩の顔。
さよならするのに、
どうしてそんな顔をして笑うのだろう。
「僕、先輩の笑った顔、嫌いです」
「…そうか」
僕は嘘をついた。
でもそれは、おあいこだ。
『なんで言ってくれなかったんですか』
『いつ決めたことなんですか』
言葉にできない問い掛けが頭の中でぐるぐると廻る、
『いつからそれを隠していたんですか』
聞きたくなくて、
知りたくなくて。
脳裏に浮かんでは消えるかつての光景。
帰り道ふたりで、
同じ大学に行きたいって、
乾いた指を静かに絡めて。
同じ先を見ていたのに描くものは違った、
隣で違う未来を見ていた、
あなただけが。
いつもと同じ顔をして、わらいながら、
それが何よりも、かなしくて。
「…」
動けずにいると、黙って腕の中におさめられた。
ずるい人だ、
逃げないと分かっていて。
どうせあなたから離れるのに。
そうやって頭を撫でたそばから遠くへ消えてしまうくせに、
どこまでも優しくてずるい人だ。
「先輩、手、つないでくれませんか」
「ああ」
「ぎゅってして」
「ああ」
「キス、して」
「…ああ、」
「ずっと一緒に、いて」
「……………、ありがとう」
汗の匂い、
いつもと同じ匂い、
一緒に過ごした時間の分だけ、五感が覚えている。
「楽しかった、」
それは静かで、優しくて、
もう変わらない答えなのだと悟った。
「先輩、嫌いです」
「うん」
嫌い、嫌い、
「大嫌いです」
「うん、」
嘘、
「…だいすき、です………」
「………うん、」
先輩の顔は、視界がぼやけて見えなくて、
けれどきっと笑顔だろうと分かっていた、
だいすきで、大嫌いなあの笑顔。
「俺も、好きだよ」
ありがとな、と笑う声が、
今にも消えていってしまいそうで、
悔しくて、苦しくて、
顔を埋めて耳を塞いだ。
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20120508