俺忘れっぽいからさ、というのが彼の口癖だった。

それは口癖であって、故意かそうでないかは分からない。けれど、それを理由にして人の話を聞き流していたところから考えるに、恐らく意図していた部分もあったと思う。



「でさー、そしたらさつきの奴が部屋まで入ってきやがって」

「はい」


辺りはうっすらと藍色に染まりはじめた。夕暮れと呼ぶにはもう時間が経ちすぎている気がする。

今聞いているのは今朝彼に起きた出来事だ。テスト前ということで部活の朝練が休みになって、ついでに学校をサボろうと寝ていたら桃井さんがやってきて叩き起こされたらしい。それはあまりにも日常的に起こることだから、その光景はまるで見たことがあるかのように容易く想像できた。

それでさ、と言ったまま言葉は止まった。


「忘れてた」

「はい?」

「ほら、手」


振り向きながら差し出した左手、笑いながら。見上げた彼の顔との距離感に、また背が伸びただろうかと思いながら自分の手を乗せて、その瞬間後ろから声が響いた。


「ずるいっスよー青峰っち!」

「あ?」

「黄瀬くん」


駆けてくる黄瀬くんに、その後ろには三人の姿が見えた。真顔でお菓子を貪る紫原くんに、眼鏡を直す緑間くんと。その間に赤司くんがいて。

息を弾ませながら駆け寄ってきた黄瀬くんは、お前何だよ、と面倒そうに呟いた青峰くんを気にした様子もなく、笑いながら手を差し出した。


「黒子っち、俺とも手ー繋ご!」

「お前にそんな権利ねぇよ」

「青峰っちばっかりずるいっスよ!」


そう言いながら差し出していた手をさらりと引っ込めた。どうやらそこまで本気で繋ごうとは思っていなかったらしい。僕らの一歩前に進み出ながら頭の後ろで腕を組んで、明日からテストかー、と呟いた。

お前苦手な科目とかあんの、と青峰くんが問い掛けて、まあ大抵はそこそこ出来るっスから、と返す彼の頭を無言ではたいて、黄瀬くんの悲鳴が小さく響いた。これも見慣れた光景だ。


「黒子っちに教えてもらえばいいじゃないっスか」

「青峰くんはすぐにサボりますから」

「あーあ、緑間あたりカンニングしてーよなぁ、でもクラス違ぇし」

「何を馬鹿な計画を立てている」


突然背後から響いた声に面食らったようで、青峰くんは勢いよく振り返った。いつの間にか距離は縮まっていたようで、さっきまで遠くに見えていた三人はすぐ後ろを歩いていた。


「突然びっくりすんだろーが」

「お前らが歩くのが遅いのだよ」


さっきまで二人、黄瀬くんが加わって三人、そして今は六人。テスト前だから部活はなくクラスも違うのに、こうしていつもと同じ放課後になっている。

騒ぐ青峰くんと笑う黄瀬くんに、緑間くんは顔をしかめながら言葉を返して。その少し離れたところを歩く二人は会話に参加していない、けれど口元は笑っているように見える。赤司くんを見つめていると目が合って、どうした、と呟いた。


「楽しい、ですか?」

「突然どうした」

「笑っているように見えたので」

「ああ、見ていて飽きないよ」


なあ、と呼びかけられた紫原くんは、んー、とくぐもった声で答えた。お菓子を口に詰めたままだからだ。隣ではまだテストについての話題が飛び交っている。

こうして歩く時間は当たり前のように存在していて、けれど、いつまでも、という願いを口にするにはあまりにも危うくて、脆くて、



「ずっと、こうしていられるでしょうか」

「さあ。それは、」



瞬間、強い風が吹いた。

言葉は掻き消されて、一瞬瞑った目を開く。もう一度目を向けた赤司くんは薄く微笑んだままで、けれどそれ以上は口にしようとしなかった。


「つーか俺だけじゃねぇだろ、赤司だって赤点取るかもしんねーだろ!?」

「ばっ、青峰っち何てことを…」

「お前と一緒にするな。対策は講じてあるよ」

「そんじゃー紫原には勝つ」

「別に勝負してないし」

「ていうか今この時間を有効活用するべきっスよね」


緑間っち何か問題出して、と黄瀬くんが言いながら振り向いて、あ、と声を上げた。


「青峰っち達まだ手繋いでる」

「うっせ」


吐き捨てるように返す青峰くんを横目で見ると目が合った、彼は笑っていて。その瞬間繋いでいた手にぎゅ、と力が込められて、また笑った。

ラブラブっスねぇ、と茶化す黄瀬くんの頭をうるせぇと言いながらまたはたく、後ろで小さく笑う赤司くんの声が聞こえた。



「いつまでこうしてるんスかね、」


笑いながらそう呟いた黄瀬くんの声は、笑っていたのに、やけに大人びたものに思えた。














「テツ?」

「あ。はい」

どうした、と呼びかける声に大丈夫です、と返しながら見上げた、空は藍色で。だから思い出したんだろうか。年数を片手で数えられなくなったくらい前の光景。

遠くで子供が駆けているのが見える。君も昔はああだったんですよね、と言いながら隣を歩く彼を見上げると、あの頃よりもその差は広がっていた。

そりゃそうだろと答えた彼の顔は、何を当たり前のことを言ってるんだと言わんばかりに不思議そうな表情を浮かべていて。思わず小さく笑ってしまうと、なんだよ、と言いながら後頭部をぐしゃぐしゃと混ぜられた。


「あ、」

「なんですか?」

「忘れてた」


ほら、と差し出された左手を見つめる。あの頃より大きく思えた。七年前の声が聞こえる。いつまでこうしてるんスかね、と言う、未来を危惧する友人の声が。恐らくあれは僕達二人の、そして僕ら六人の、

自分の右手をそれに重ねる。見上げると笑う彼と目が合って、そして次の瞬間、けたたましく着信音が響いた。

無言で携帯を開いて画面を眺めると、眉を潜めてまた閉じた。



「どうしたんですか?」

「黄瀬からメール。今日飲まないかって」

「そうですか」

「…あいつに邪魔されんの変わんねーな」

「そうですね」


そう言いながら携帯を開く。かすかに聞こえるコール音、待っている彼の横顔を盗み見る。嬉しそうに見えたのは気のせいだろうか。


「あ、黄瀬?飲むってどこで?」


話しながら繋いだ手を時折小さく握る仕草。変わらない。きっと、変わるかどうか、恐れていたあの頃に戻って、また。受話器の向こうからは黄瀬くんの声が聞こえる。みんな来るっスよ、笑う声が響いてきた。



















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きっとまた集まって、何事もなかったかのように笑い合える未来が来ると思います。


20121014


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