夏祭りで掬った金魚が死んだ。
二週間経った後のことだった。
一言で言えばそれは簡潔に、死、ただそれだけ。
そもそも縁日に出される金魚は弱っているものだからいつこうなってもおかしくない。死は平等に与えられるものであって遅かれ早かれ訪れる、不幸と呼ぶには相応しくない。だからお前が泣く必要はない。
自分にしては珍しく優しい言葉で分かりやすく説いたつもりだった。
けれど彼は俯いたまま涙を零して、頷こうとはしなかった。つまりは納得していないのだ。僕の理論に。
人の話を理解しようともしない彼にそのまま口付けると、苦しそうに喘ぎながら舌を絡めて。それは僕らが繋がって同時に果てるまで続いていた、泣きじゃくりながらしがみついて、何度も僕の名前を呼んで。抱きしめてやると腕の力が強まって。
ただ一つ言えるのは、流した涙が快感のためか悲しみのためか分からなかったということ。そしてその意味は今も分からずにいて、分からないまま顔を埋める彼の身体を抱いていた。髪をゆっくりと撫でてやるとその身を擦り寄せてくる、その連続。いくら擦り寄ってきてもとうに距離はなくなっていたから、押されるようにして後ろに徐々に下がっていって、背中は壁についている。もうこれ以上抱き留めることも下がることも叶わなくて、ただ胸がぎゅう、と潰されて物理的に痛むだけだった。
何度目か分からないその痛みに、しばらくしてテツヤは顔を上げた。一瞬目が合って、その後すぐにまた下を向いて。こんなつもりじゃ、と小さく呟いた。自分でも理由を理解できていないと言うように。
「テツヤ、」
圧倒的な恐怖に打ちのめされると人間は生存本能を駆り立てられる、そして子孫を残そうとする。
「それは」
死への恐怖とそれに対する本能だよ。
そう諭そうとして気が付いた。彼同様にテツヤを求めていた自分自身に。
すぐ近くにある彼の首筋には先程残した跡が赤く色濃く残っていて、白い肌がそれを際立たせていて。初めて跡を残した日のことを思い出した。
彼を抱いたきっかけは興味本位だった。表情を見せない彼の感情を見てみたくて、痛がる彼の口を塞いで黙らせて、同情も愛情もなく。ただひたすらに首筋に、胸に、跡を残した。所有の印だったのかもしれない。痛みにさえ反応を見せる彼を綺麗だと思ったからかもしれない。
確か彼は、あの時もこんなふうに泣きじゃくっていた。今みたいに取り縋る彼の腕も、それを抱き留めて撫でる僕の腕もなかったけれど。
もし仮に、
生存本能の話が自分にも適合したとして。それなら自分は恐れたことになる。死を。そして同時に一つの疑問が生まれる、子孫を残す相手としてなぜテツヤを選ぶのか。どんなに遺伝子を注ぎ込んだとしても実を結ぶことは決してない。分かっているのに。
それなのに腕が伸びる。腕を伸ばして、そうすれば。
「テツヤ、」
頬に手を掛けて上げさせると、見上げた目。赤く潤んで。目が合ったまま口がゆっくりと開いて、
「悲しいと思いました」
そう呟いた。問い掛ける前に、すでに理解していたかのように。
「思い出も全部、なくなってしまうと思ったから、まるで、あの金魚は」
赤司くんみたいだったから、と。
少しだけいつもより掠れた声で。
この嗄れた声が、いつか本当に消えてしまって、
しがみつきながら震える腕も、いつか嘘のように土に還って、
そうしたら、心臓は今のままでいられるだろうか。
一言で言えばそれは死で、
それは先程も表そうとした言葉で、
けれどそれは金魚の死で、
今は想像するだけで。
不思議そうにこちらを見つめながら、赤司くん?と尋ねるテツヤを抱きしめる。その声も意志も姿も、全て消えた瞬間を想像したら、ただ腕が伸びていた。先程と同じで。初めて彼を抱いたときと、同じで。
でも
感情は、
「消えるな」
それはどういう意味ですか、と、耳元で声がした。だからもう一度同じ言葉を繰り返し口にした。消えるな、心の中でも、もう一度。
「どういう意味か分かりません」
「僕にだって分からない」
どうして腕が離せなくなっているのか。分からないまま肩に顔を埋めていると、また右耳に声が届いた。
「好きです、」
語尾はわずかに掠れて消えて。
赤司くんは?
そう問い掛ける声が心地好いのだと、今気付いた。
口付けたときの仕草や小さくもれる声や、一瞬縮まる身体が、しがみつく腕も、甘く求める声もいつしかどうしようもなく、ああ、だから。
「好きだ」
どうしようもなく。今、気付いた。
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好きという気持ちを自覚する赤司。
20120921