四文字、それごと腕に抱いていたのはいつまでだっただろう。
四文字、口にする度に胸がずきりと痛み始めたのはいつからだったか分からない。

確かなのはもうとっくに慣れたこと。


「おやすみ、先寝るね」

「はい。また明日」


机に向かう彼の背中に声を掛けてベッドに向かう。静かな部屋に響くのはキーボードを叩く音。布団に潜ってその様子を眺める。真っ暗な部屋にデスクトップの光が灯って、部屋は薄く青白い。たしか課題の提出日が近いと言っていた。ぼんやりとその光を眺めながら。

目を閉じて、聞こえるのはもうそれだけ。珍しいことじゃない。あんな音を聞きながら眠りにつくようになったのは、一体いつからだっただろう。考えを巡らせても機械音が邪魔をする。目を開けると一人分の空間と枕がひとつ、ついこの間までこの隙間には君がいて、腕の中で笑っていたのに。身じろぐと瞼を開いて、眠れないんですか、そう言いながら微笑んで。


「黒子っち」

「はい?」


キーボードを叩く音が止まる。音の消えた空間は妙に静かなものに思えた。これが当たり前だったはずなのに。


「課題、頑張って」

「ありがとうございます」


そう言って、また、機械音。

付き合い始めた当初は一緒に寝付けることが嬉しくて、毎日抱きしめて眠りについた。
そうしたら寝苦しいと黒子っちからクレームを受けて、それならと腕枕をするようになった。
けれど今度は腕が痺れるようになって。

鍛えているとはいえ、愛しい人の重みとはいえ、どうも長時間は耐えられないらしい。自分の身体ながら情けない、そう思いながら痺れた腕を叩いていると、当然ですよと言いながら少し笑って、なぜだか安心したのを覚えている。

それでも互いに触れたくて、今度は手を繋いで眠るようになった。抱き合う代わりに、腕枕をする代わりに。温度だけは分かるから、存在だけは感じられるから。


それからどれだけ経っただろう、
今ではもう手すら繋がなくなってしまった。

それどころか、一緒に寝ることすらなくなって。今みたいに。

大きな喧嘩だってした覚えはない、今でも目が合えば笑い合うしキスだってする、でも何かが確かに変わっていて。考えられるのは時間が経ったことくらいだ。


これって倦怠期ってやつですか?心の中でそう質問を投げかけて、すっかり冴えた目と頭で振り返る。あの日からおよそ三年間、そう指折り数えていると、青白い光がふと消えた。

闇の中、ぺたぺたと歩いてくる音。ギシ、とスプリングの音がして、反対側の布団がめくり上げられて。潜り込んでくる音がした。


「黒子っち」

「あれ、…すみません、起こしましたか」

「ううん、起きてた」


そうですか、声は遠くから聞こえる。見えるのは背中だけ、意識してかそうでないのか。伸ばした腕は空を掴んで、隙間を埋めたいと思う気持ちとは裏腹に。腕からすり抜けていくようで。

あの頃は互いに向き合って抱き合っていたのに、今じゃこんなにも。空いた距離は心の距離。なんて詩的なことを思いながら、浮かぶのはただひたすら君のこと、触れたい。触れたい、
背中から腕を回して。


「黒子っち」

「黄…」

「お願い、」


こうさせて、そう呟いて抱きしめる。じんわりと温かい身体、答えはない。


「暑いって言わせないようにするから、気をつけるから、だからこうさせてください」


一気に言い切って。思わずぎゅう、と力いっぱい抱きしめていたことに気が付いて、慌てて腕の力を緩める。これじゃ暑いに決まってる、そう反省していると小さく笑う声が聞こえた。身体がゆっくりと振り返って。見えたのは、


「もう一度、抱きしめるとこから始めてもいい?」

「…いいですよ」


振り向いた顔に浮かべた笑み、見るだけで抱きしめたくなるのは昔から変わっていなかった。
好きだよ、と呟くと、僕もです、と小さい声。


「好きって言って、聞きたい」


当たり前になってしまわないように、もう一度君の感情を確かめたくて。頭の中で繰り返していると、もぞもぞと動く気配がして。小さな身体が、緩めた腕の中に収まって。すき、ととても小さな声が聞こえた。何度となく触れて知り尽くした頬だから、暗闇の中でだって捕らえるのは簡単で。だから引き寄せて口付けた。


「3の数字がつく節目って、別れやすいらしいですよ」

「そうなんスか?なんで」

「分かりません」

なんでそんなこと知ってるんスか、と尋ねると、俯いて。少ししてから、調べたからです、と呟いた。小さなそれは大きく響いた。
そうか、気にしてたのは俺だけじゃなくて。


「迷信です。でも、」

俯いていた顔は上げられて、暗闇の中で視線が真っ直ぐに合う。


「それを乗り越えると長く続く、らしいですよ」


じゃあ乗り越えたかな、そう言いながらまた空いた距離を縮めようと腕を伸ばすと、引き寄せるよりも先に滑り込んできた。そんな小さな動作ひとつ、こんなにも嬉しいことだなんて、あの頃は知らなかったけれど。


「続きたいと思ってるっスよ、俺は」

「僕もです」


ほんとに?そう尋ねて、本当です、と返ってきて。何度も繰り返し。そうして抱き合っているうちに、ふたり揃って眠りに落ちた。



朝、またいつかのように寝苦しいと怒られるかと思ったけれど、何も言われることはなかった。目が覚めてベッドの中、昨日のこと夢じゃないっスよね、と尋ねたら、君は何を言ってるんですか、と不思議そうな顔をして。まさかと一瞬、どきりとしたけれど。

次の瞬間微笑んで、夢じゃないです、と。笑いながら胸にすり寄ってきてくれたから、ああよかったと安堵して。


そうしてまた抱きしめて眠る日々に戻った、おやすみの四文字を憂うこともなくなって。



「電気消していいっスか」

「はい」


伸ばす腕と収まる身体と、



「苦しくない?」


「大丈夫です」、そののち「よかった」と続くのは幸せな常套句、
一つだけ増えた問い掛けに。



「おやすみ」

「おやすみなさい」



もう二度と離さないと、

誓いながら今日もまた抱きしめる。























*******
切→甘とリクエスト頂きました。


時間が経つにつれて気持ちが離れかけることもあると思います、でも互いに水面下で解決策を探し合っている、奥底では繋がっている二人でいてほしいと思います。


上総様、素敵なリクエストをありがとうございました!




20120913
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