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「美幸!」

不意に呼ばれたその声に私ははっとして我に返った。



「母さん、美幸に何を言ったんだ!」

血相を変えて店に入って来たのは、兄さんだった。
兄さんの顔を見た途端、私はほっとして、なおさら涙が止まらなくなった。



「こちらのご迷惑になるでしょ。
そんな所に突っ立ってないで座りなさい。
美幸も。」

兄さんに身体を支えられて、私は再び席に着いた。




「どういうことなんだ、母さん!
さっきは家に帰るなんて、あんな芝居までして!」

「そうでもしなきゃ、美幸と二人っきりで話せないでしょ!」

母さんはふてぶてしい声でそう答えた。



「ずいぶんと汚いやり口をするんだな。
……美幸、大丈夫か?」

差し出されたハンカチで涙を拭いながら、私は小さく頷いた。



「とにかく、あの男とは別れなさい。」

「わ…別れない!
か、母さんなんて大っ嫌い!
もう二度とこっちに来ないで!」

私は、息苦しくてしゃくりあげながら、必死でそう言った。



「……今は何を言っても無駄みたいね。」

母さんは、苛立ちをおさえるためか、湯のみに残っていたお茶を一気に飲み干した。



「来週、父さんともう一度来ます。
その時までに決めておきなさい。
あんたが家に戻るなら、あの男がここにいることを許します。
もちろん、和彦も一緒という条件でよ。
あんたが面倒をみてやりたいならそうしてやれば良いわ。
でも、帰らないのなら、私は然るべき人に頼んであの男のことを通報させてもらいます。
母さんにはそういう伝手はいくらでもあるんだから。
そうすればきっとあの男の本性がわかるわ。」

その言葉を聞いた途端、心臓の鼓動がまた速くなり、私の身体がぶるぶると震えた。
心の底から母さんが憎いと感じ、その感情を押さえられない。




「じゃあ、帰るわ。
……今度は本当にね!」

母さんはそう言うと、伝票の上に叩きつけるようにお金を置いて、さっさと店を出て行った。
その後ろ姿になにか怒鳴ってやりたかったけど、あまりに怒りが大きすぎて私は気分が悪くなっていて……



「美幸、大丈夫か?
落ち付け…もう大丈夫だからな。」

兄さんは私の異変に気付いたのか、背中を優しくさすってくれた。



「兄さん……」

私は、また泣き出してしまった。
予想はしてたけど、母さんの言葉は思ったよりも私の心に深く突き刺さっていて……
そして、シュウが捕まえられてしまうんじゃないかと思うと、どうしようもなく不安で……
私にはもう一人では抱えきれない程、大きな心の負担になっていた。


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