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「本当にごめんよ、ファビエンヌ。
じゃ、僕…そろそろ戻るね。
本当にごめん……」
僕は、彼女の手を握り、懸命に想いを立ちきって部屋を出た。
朝食後、僕は彼女の部屋に行って、昨日と同じように彼女の顔を拭き、髪の毛を梳かしながらついさっきの出来事を話した。
今までみたいに長い間、一緒にいられないことを話したら、ファビエンヌはやはり寂しそうだったけど、それでも僕の事情を理解してくれたように思えた。
彼女はそういう人なんだ。
優しくて、思慮深くて…僕のことを一番に考えてくれる。
そのことがわかるだけに、僕の胸は余計に痛んだ。
昼食を食べ終えてから、僕は再びあの部屋を訪ねた。
明日からは、真面目に仕事をしなけりゃならない。
それはファビエンヌとの時間が少なくなる事で…それを思うと、僕の胸ははりさけそうだった。
夕食が終わり、父さんが眠ったのを確認すると、僕はまたファビエンヌの部屋を訪ねた。
ここにいられるのは、せいぜい十二時くらいまでだ。
懐中時計を見ながら、僕は小さな溜め息を吐いた。
彼女はまた狭くて暗いこの部屋で一人ぼっちで夜を過ごす事になる。
彼女を部屋に連れていこうかとも思ったけれど、そんなことをしたら父さんにみつかってしまう。
今はまだだめだ。
誰にも知られないようにしなくては…
「そうだ!ファビエンヌ…
これを僕だと思って架けておいてよ。
ね?そしたら、寂しくないでしょう?
これはね…実は母さんの形見のロザリオなんだ。
小さい頃からずっと架けていたものなんだ。」
僕は首からロザリオを外し、ファビエンヌの首にかけた。
小さい時から決して外すことのなかった大切なロザリオ…
「これをかけていればいつも神様と母さんが守ってくれる。」父さんはいつもそう言っていた。
子供の頃、これを僕がもらったせいで、兄さんが父さんに食ってかかり僕を責めたこともあった。
そんな時、父さんは「アベルはおまえよりも母さんと一緒に過ごした時間が少ないんだから…」と、兄さんをそう言ってなだめた。
そんな大切な…もはや僕の分身のようなものだけど、ファビエンヌのためだと思うと、僕は何の躊躇いもなくそれを外すことが出来た。
(ごめんね…母さん…)
母さんや父さんに対して、少し後ろめたい気持ちはあった。
けれど、それよりも…
ファビエンヌに何かしてあげたいと思う気持ちの方が強かった。
「本当にごめんよ、ファビエンヌ。
じゃ、僕…そろそろ戻るね。
本当にごめん……」
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