「どういうことなんだ!?」 ミクリの驚愕の声は、シグレの耳にはっきりと届いた。 「我が師アダンのもとで修行を終えた、ルビーとサファイア、それにユキが戻ってきた、そこまではいい!! だがサファイアを私のエアカーに閉じ込めた上、マグマ団の幹部二人と共に戦い始めただと!? 何を…、何を考えている!? ルビー!! ユキ!!」 口には出さないものの、シグレもミクリと同じ気持ちであった。 本当にあの兄妹はなんのつもりなのだろう。 だが、 (ユキの事だ。何か考えがあるか、何かそうしなければならない理由があるのだろう……) もしかしたらこの状態こそが、最善策だと考えたのかもしれない。彼女は、最善策をいつも行く人だ。 『それ』が正しいと思ったなら、とにかく『それ』に向かって真っ直ぐ進む、それがユキという人間だ。 (いずれにせよ、彼女が決めた事だ。何も言わずに見守ろうじゃないか) ミクリが焦ったような表情をしている隣で、シグレはこっそりほくそ笑んでいた。 † † † 「うわっ…く」 巨大な岩石が、地から空(クウ)へと浮かび上がっていく。 サファイアのトロピウスに乗っていたルビーが、それに巻き込まれる。 トロピウスは所詮他人のポケモン。上手く言う事を聞かせるのは至難の業だ。 おまけに、ルビーの今の状態は若干不安定であった。 (…これで、これで本当によかったのか?) ──あたしは、あんたのことが好きったい。 あの時の告白が、耳から離れない。 (あんないい娘がこんなひねくれたボクの事を好きだと言ってくれて…、しかも…やっと会えた小さい頃の思い出の女の子だった…っていうのに……) 予想外の事に、ルビーの心は揺らいでいた。 「おい、コラ!」 そんなルビーに鋭い声が浴びせられる。 「スパッと決断したと思ったら…、まだグラついているのかい? 集中してなきゃ、あいつらの戦いに飲み込まれるよ!!」 「ハ、ハイ!」 オオスバメに肩を掴まれながら、ルビーの上を飛ぶ彼女──カガリが呆れたように諭すので、ルビーは慌てて前を向いた。 かと思えば、ルビーは少し俯き、口元に小さく笑みを浮かべる。 「……」 「なんだい?」 「いえ…、まさか貴女と一緒に戦う事になるとは思ってもみませんでしたからね」 カガリを見上げながら言えば、側にいたユキが息を吐く。 「本当にね……」 ちらりとユウキを見れば、ユウキはそれに気付き、嬉しそうに手を振ってくる。あの無表情のユウキが、だ。 彼の変化に、正直カガリはかなり驚いていた。 彼が入団したのは、マグマ団の長(オサ)であるマツブサが拾って来たからである。 聞いた話によると、人が寄り付かないような森にポケモン達と住んでいたらしい。 不思議な事に、彼の周りにいたのは珍しいポケモンや、色違いのポケモンばかりだった。 しかも、そんなポケモン達に守られるように過ごしていたというから驚きだ。 マツブサも驚き、そして興味を惹かれた。だからこそユウキを勧誘したという。 最初は誰とも喋らず、それどころか目を合わせる事すらしなかった。 ホカゲは一目散に諦めた。というか、彼は面倒臭がりだから、面倒を見るなんてする訳が無かった。 むしろ、どこの馬の骨とも知れない少年を受け入れる気も無かったようだった。 ホムラは若干粘った。けれど、妙に落ち込みながら諦めた。 ところが一人だけ、彼を反応させた者がいた。 「あんたかい? 山姥(ヤマンバ)だとか、ポケモンと人の子供だとか噂になってたっていう餓鬼は」 ──カガリだった。 ユウキは微かに顔を動かし、カガリの声がする方向を見やった。 しかしすぐにまた顔を動かして元に戻ってしまった。 「……その白い髪、伸びっぱなしだけど、切ってやろうか?」 フーセンガムを噛みながらハサミを取り出す。 そんな彼女に、ユウキは顔にかかる前髪の長さを改めて理解したように髪を弄った。 ふむ、確かに鬱陶しいかもしれない。そう思ったユウキはカガリを見上げる(カガリが立っていて、ユウキが座ってるので)。 目を合わせる所か、顔を見ようとしなかったユウキが、こうやってこちらを向いたので肯定と受け取り、カガリはくるりくるりとハサミを器用に指で回しながらユウキの髪に触れた。 「見事に白い髪だね」 「…………」 シャキシャキとハサミを入れながら、触れてはいけないと知りつつも呟く。 こうやって髪に触れていると分かる。この白髪が生まれつきのもので、決して着色しているものではないという事が。 昔、こういう髪の色素が薄くなるという症状の名を聞いた事があった気がする。 確か── (『アルビノ』、だったか……) 実際にそうなのかは分からない。たまたま、髪の毛が白いだけなのかもしれない。 けれど、両親から忌み嫌われてしまった事だけは明らかだった。 人間というのは、目に見えないものを怖がる生き物だ(もちろん例外もある)。お化け、呪い、超能力。科学的に証明出来ない物ばかりだからだ。 いずれも科学的に証明出来ないと知ったら、ポケモンのせいにする事も多々あるが。 とにかく、彼の白い髪は『不吉』だと考えた両親は彼を捨てた。 だから彼はポケモン達と生きてきた。そう考えるのが妥当である。 (……それを、こいつ自身分かってんのかね) 無機質な濃紺の瞳は、初めは世の中に絶望しているのかと思った。けれど、目が合った瞬間に感じた。 彼は、何も考えていないのだ。 というか、考える事が無いのだ。趣味もなければ、したい事も一つも無い。 ただなんとなく生きているだけ。 「あんた……ここがどこだかわかってんのかい?」 試しに手を止めて聞いてみると、ユウキは微かだが首を傾げた。 その際に、アホ毛がぴょこんと揺れるのを見つめながら、カガリはやっぱりねと心の中で呟く。 「ここはマグマ団の砦だよ。そしてあたし等はそのマグマ団の幹部さ」 後ろ髪が終わり、次は前髪を切ろうとユウキの前に回りながら言う。 「マグマ団ってのは、陸地を広めようとする組織の事さ」 目にかかっているどころか、顎までかかっている前髪にハサミを入れていきながらそう説明すると、ユウキはきょとんとした。 それだけ聞いたらただの慈善行為だが、実際は行き過ぎて悪の組織と化している。 「まぁ、あたしは暴れたいから入ったんだけどね」 別にマグマ団が慈善行為の組織だろうと、悪の組織だろうと、どうでも良かった。 「あんた、ポケモンバトルってやった事あるかい? ──目、閉じてな」 素直に目を閉じ、ユウキは静かに首を振った。 彼は本当に珍しい人種だ。周りにポケモンが沢山いるというのに、ポケモンバトルさえした事が無いだなんて。 「だったらやってみると良いさ。あんたの中でなんか変わるかもしれないしね」 しゃきん。ハサミによって切られた髪を目で追いながら(なんであたしはさっきかららしくも無い事を言ってんだか)と独りごちる。 おまけに他人の髪の毛を切るだなんて、今までのカガリではまず有り得ない行動だった。 そんな自分らしくもない自分の行動が、気味悪く感じながらもどこか嬉しかった。 「好きに暴れな。気が済むまでね」 ふっ、と無意識に微笑みかけると、ユウキは少し開けた視界で目の当たりし、驚いたように目を見開いた。 それからまた目線を下に下げ、 「…………うん」 ──初めて口を利いた。 思わず手が滑ってハサミを落としそうになってしまった。 「……あんたも一端(イッパシ)に人間の言葉喋れんだね」 今までポケモンのように接してきたカガリは、人間の言葉を話した事に真面目に驚いた。 ポケモンと過ごしてきたような人間だから、身も心もポケモンになってしまっている物かと思っていたのだ。 その当の本人であるユウキは「?」を浮かべてカガリの事を見上げていた。 「ほら、出来たよ」 頬に落ちた髪を取ってやりながら言うと、ユウキは短くなった自分の髪を興味深く弄り始めた。 カガリはかなり器用なようで、上手い具合に切られていた。昔、ポケモンの毛並みでも整えていたのだろうか。 「……?」 ふと、気付く。 顔の真ん中にある長い束が切られていない。切り忘れたのだろうかとカガリを見ると、「ああ、それかい」と言いながら自分に付いた髪の毛を払っていた。 「その見た目なら舐められないだろ」 見た目にスパイスを加えた、という事らしい。 普通の髪に少し普通じゃない髪を混ぜて反抗心を出し、見た目を派手にする事によって、周りの人から山姥だとか言わせない魂胆のようだが……これはこれで何か言われそうである。 「ついでに髪も染めてやろうか?」 もちろん、染毛剤なんて持っていないので、これから買って来なくてはいけないが。 ユウキは正直、自分の髪の毛が白い事によって、自分が何を言われているのかなんて知らなかった。 だから、本当は気にする必要なんてないのだが、 「…………うん」 どうしてか自分を変えたくて、頷いた。 「決まりだね。じゃあ行くよ」 「…………え」 「『え』じゃないよ。あんたも行くんだよ。何が悲しくてあたし一人で染毛剤なんて買わなくちゃいけないんだ」 「…………やだ」 「一丁前に駄々こねてんじゃないよ。──キュウコン」 ユウキはずるずるとキュウコンに引きずられ、フレンドリィショップに無理矢理連れ出されたのだった。 あの日から大分長い時間が経過し、ユウキはピアスの穴まで開け(全く怖がらず、開けた瞬間まで全く微動だにしなかった)見事にイメチェンを果たした。 おまけにポケモンバトルを教えると、彼は予想外なほどハマってしまい、所謂(イワユル)『バトル厨』になってしまった。 しかし、野性的勘などはそのままなので、その実力は随分と向上を成し遂げた。 その結果、ユウキはそれまでマグマ団の飼い犬のような状態が、マグマ団の幹部である『三頭火』に仲間入りするほどにまでいったのだ。 口数も、 本当に少しだけれど、ダジャレを言える位には増えていた。 それだけでも十分変わったなと思えるのだが、驚くべき事に彼はまた大きな変化が訪れた。 ──笑ったのだ。 それを初めて見たのはカイナシティのコンテスト会場での事だ。 あの時は本当に何が起きたのか分からず立ちすくんでしまったが、今になってみれば分かる気がした。 今、ユウキはユキという少女に対して嬉しそうに手を振っている。 彼女はというと、うんざりした顔をしてチルタリスで空を飛んでいた。 「な、なんですか?」 じっ、と食い入るように見ていると、視線に気づいたユキが冷や汗をかいて身構えていた。 「……いや、別に?」 「……? まぁ、いいですけど」 ……ユウキは、彼女に『恋』をしているらしい。 嘘だろ? なんて事も思ったが、今のユウキを見れば嫌という程に事実だという事が分かった。 そもそもどうしてこの四人が共にいるか。 それは、マボロシ島での事である── ←|→ [ back ] ×
|