「ビールくだしゃい……」
死に際のそれで、カウンターテーブルに突っ伏す赤茶色の頭を見下ろす。
まさに声とともに魂まで吐き出してしまったかのように、頭はピクリとも動かない。
「帰って寝たら?」
「……あと、枝豆も……」
蚊の鳴くような声が返ってくる。
一ヶ月ほど姿を見せていなかったバーの一番の常連客は、姿を現したと思ったら、しかばねと化していた。
「テストお疲れ」
労いの一言を添え、秋吉の頭の横に要望通りビールと枝豆を並べて置いてやる。
売り上げに貢献してくれるのは有り難いが、ここに来る前に自宅に帰って寝たらいいのに、と思う。学生は元気だなあ。あ、タメだったっけ。
「っああああビールうめえ! 五臓六腑に染みる〜!」
「あ、それね、うちで一番高いビールだから」
「マジで! 唯太大好き!」
「奢らないよ」
「唯太のひとでなしー!」
泣き喚きながら、それでも水のようにビールを飲む秋吉。今日は酔いが回るの早そうだな(もうすでに酔っぱらいみたいな感じだけど)。早めに帰そう、と密かに思案する。
秋吉はビールが好きなくせにそんなに酒に強くない。しかも、酔うと泣き上戸になるので、けっこう後始末がめんどくさい。
酔うとチンピラみたくなる慧太よりはマシかもしれないけれど。
橙色の照明でピアスが光る。
ダイニング席へドリンクを運んだ慧太が、カウンターに戻ってきた。
「……秋吉いたの」
カウンターテーブルに目をやって、至極めんどくさそうに吐き捨てる。
秋吉は枝豆をつまみながら、いたよ、とふつうに返す。
「どしたの、慧太。元気ないじゃん」
こちらも寝不足による青いクマのできた顔で、秋吉はあっけらかんと訊ねた。周囲の人間が本人に気を遣って(というか怖がって)問えなかったことを。
俺は慧太に目をやる。慧太は、何も答えない。秋吉の言葉を聞いているのかないのか、そのうつむいた視線はどこか遠いところを見ているようだった。
ふと、秋吉が何か思い出したようにあっと声をあげた。
「そういや慧太、海未ちゃんと仲直りしたの?」
俺は少し驚いた。秋吉がいともあっさりと訊ねたその質問は、俺が慧太に聞きたかった内容とほぼ同じだったからだ。
――海未ちゃんと、何かあったの?
秋吉は、仲直りしたの? と慧太に聞いた。ということは、ふたりは喧嘩でもしたのだろうか。
再び慧太を見やる。横顔でもわかるほどに、眉間のしわがいっそう深く刻まれていた。慧太は無言を貫いているが、しかしその表情から秋吉が見当違いな問いかけをしていないことがわかった。同時に、最近様子がおかしい理由も。
――ああ、そうか。
やっぱり、海未ちゃんのことだったのか。
「さては、仲直りしてないでしょ。変な意地とか張らないほうがいいって。女の子にはやさしくしてあげなよ」
ため息をつき、諭すように秋吉が言う。
俺は、昔から秋吉のこういうところが羨ましいと思う。誰が相手でも明るい調子ではっきりとものを言ってくれるところ。秋吉の言葉を聞いていると、いつだって俺は胸のつかえがなくなるように気持ちがすっきりした。
なのにそれが、今に限っては効果をもたらさない。
「……べつに、喧嘩してない」
始業前にスタッフルームで聞いたような、落ち着き払った声だった。
慧太の視線は、またどこか遠いところへ戻ってしまっていた。
俺たちに話す気はないのか。そう理解すると、なんだか胸がざわついて、無性に煙草が吸いたくなった。
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