ここ最近。
 友人の様子がおかしい。

「おはよ」
「……はよ」

 いつも通り、おざなりな挨拶を交わす。
 ダイニングバー「NEXUS」のスタッフルームである。始業前のこの空間は、コンポからアコースティックギターのサウンドが印象的なバンド音楽が流れている。たしか80年代のUKロック。店長の趣味だ。なんとなく聞き覚えはあるが、アーティスト名も曲名も出てこない。
 慧太なら知ってるかもしれないな、と思う。
 俺の後ろを通り過ぎて自分のロッカーを開けた慧太から、シャカシャカという音が聞こえている。おそらく外したイヤホンからの音漏れだろう。

「寝てないの?」

 お仕着せである黒のワイシャツに腕を通しながら訊ねる。横目に見ると、目が合った。これから接客業に勤しむ人間とは思えないほど、その表情はよろしくない。目が据わってますけど。

「クマ、できてる」
「…………」

 自分の目の下あたりを差しながら指摘すれば、慧太はあからさまに不機嫌そうに俺から顔を逸らした。
 ふいにシャカシャカ音が消える。視界の端で、イヤホンを巻きつけた音楽プレーヤーをジャケットのポケットに仕舞うのが見えた。

 ここ最近、慧太の機嫌が悪い。
 機嫌がいい慧太というのもまあめずらしいのだが、ここ最近はとくに、目に見えてよろしくない。

「体調悪いなら無理しないほうがいいんじゃない? もし帰るんなら、俺店長に言っとくけど」

 中途半端な長さの髪をまとめるため、口にくわえていたゴムで頭の後ろで一つに結う。そんな一連の作業を終えたあとに訊ねてみたが、慧太からの返答はない。
 慧太は、無言でシャツのボタンを留めていた。節の目立つ長い指先。まばゆい舞台上で巧みにギターを弾いていた指先とは、なぜだか別物に見える。

「……寝たし。体調も、べつに悪くねえから」

 ずいぶん間を置いてから、やけに落ちつき払った声で慧太は答えた。
 さっさと着替えを済ませてスタッフルームを出ていこうとするその姿に、俺は思わず声をかけた。

「慧太」

 店内へと続くドアの手前で、慧太が顔だけで振り返る。その目がやっぱり不機嫌そうに、なんだよと語っているので、俺は再び単刀直入に指摘する。

「シャツのボタン、かけ違えてる」

 慧太は、しばらく黙って俺を見つめていた。けっこうな沈黙のあと、慧太の視線はゆっくりと、子どもの失敗のようにかけ違えたシャツのボタンへと下りていった。

 ここ最近、慧太の機嫌が悪い――ちょっと訂正、様子がへんなのである。
 暴力反対だけど、いつものようにイライラしているほうがまだいい。
 心此処に在らず。とにかくぼうっとしていて、のわりに、何かに苦悶しているかのように常に眉間にはしわ。極めつけには、寝不足らしいクマも手伝って五割増しの悪人面。
 とまあそんな史上最高に話しかけづらい雰囲気を醸しながら淡々と仕事をするので、店長にも他のバイト仲間にも常連客にも、おずおずと「来栖くん、どうしたの? 人でも殺してきたの……?」と訊かれる俺の身にもなってほしい(めんどうなのでその全員には、便秘かな、と答えることにしている)。
 思いあたる節は、ほんとうはあるのだけど。

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