side:Hinata 


 岡部さんは十九歳のフリーターだ。
 小柄で、ちょっと童顔。小動物的なまるい目は、目尻がきゅっと上がっていて犬よりも猫っぽい。実際猫に懐かれている。
 コンビニ周辺をシマにしているらしい野良猫をなでる岡部さんを見るたび、俺もなでられたい、と思う。
 岡部さんはだいたい昼から出勤して夜まで働いている。シフトが重なる日は、学校を終えて夕方から出勤する俺とは数時間仕事がかぶる。
 ほんの二週間前まで客と店員という間柄だった。だから、お揃いの制服を着て、カウンター内で隣同士の距離感にはまだ慣れない。
 果たして慣れる日がやって来るのかさえ、わからない。

「岡部さん」

 午後九時。ようやく客の出入りが減った夜のコンビニ。最後の一人が買い物を終えて出ていくのを「ありがとうございましたー」と見送ったあと、俺は待ち望んだように岡部さんに声をかけた。
 岡部さんは、煙草の補充をする手をとめて、俺を見た。まんまるの猫目。その目で見つめられると、体温が軽く十度は上昇しているんじゃないかってくらい体が熱くなる。
 あー、俺今ぜったい顔赤くなってる!
 自覚があるぶん余計に恥ずかしくて、体温上昇は留まるどころかその勢いを増すばかり。

「あ、あの……」
「日向くん、どしたの?」
「…………すっ」
「す?」
「……す、好きな漫画って、なんですか……?」

 最近になって思い知ったことがある。
 俺って、好きな女の子の前だと、こんなにも不甲斐ない。


 一目惚れだった。
 Tシャツにショートパンツ。そんなラフな格好で、少年向けの漫画雑誌を立ち読みしていたキャラメル色の髪の女の子。そのあどけない横顔、まるで猫のように大きな目が、物語に夢中になっているのか、キラキラと光っていて――。
 一瞬で惹かれた。あの目で俺を見てほしい、と思ってしまった。
 放課後にたまに立ち寄る近所のコンビニで、週に三回、その姿を見るかどうかの名前も知らない猫目の彼女。
 コンビニのアルバイトは、彼女との出逢いから数日後にはじめた。何でもいいから彼女との接点がほしい、ただそれだけの理由で。学校の友だちには「馬鹿だ」「単純すぎ」とおおいに笑われてしまったけど、俺なりに必死だったのだ。なにしろ名前さえ知らない赤の他人だ。
 アルバイトをはじめてからは積極的に――とはいえめちゃくちゃ緊張しながら、客としてやって来る彼女に声をかけた。「こんにちは」「今日天気いいですね」とか、そんな挨拶レベルだけど。
 それでも、彼女は俺が声をかければそのたびに応えてくれた。「こんばんは」「そうですね」とか、それが挨拶に対する相槌レベルの域を出ない些細な言葉でも、俺は涙が出そうなくらいうれしかった。彼女のかわいい猫目と小さなやさしさに、どんどん惹かれていったのだった。
 彼女との未来を夢想して、俺は貯金をはじめた。またしても友だちには笑われた。
 べつにいいじゃん。夢見るだけ自由じゃん。ていうか、夢が現実になる可能性だってゼロじゃないし……。

 猫目の彼女の名前を知ることになったのは、遅いのか早いのか、コンビニのアルバイトをはじめて二ヶ月後。
 ちなみに彼女貯金はテーマパークデート一回分ぐらいになっていた。

「岡部海未です。よろしくお願いします」

 この日、客としてやって来るはずの彼女が、俺と同じコンビニの制服を着て俺と同じカウンター内に立っている。
 現実を理解したとき、激しいめまいと動悸に襲われた。しかしまだ信じるには足りなくて、思わず自分の頬に平手打ちを食らわせた俺に、彼女の背後に立っていた店長が青い顔で「日向、早退しろ」と言った。
 大丈夫です。俺、元気です。死にそうなくらい元気です!
 あっ、そうだ、今朝見た情報番組の星座占いで、今日の天秤座の恋愛運が最高だった。そんなことが走馬灯のように思い出された。

 高二、十七歳の俺。
 猫目の彼女――岡部海未さんは、十九歳。一人暮らし。カレシは、いないらしい。

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