この日のバイトを終えて、コンビニを出た。
 日中は過ごしやすいけれど、夜はもう寒いくらいだ。冷たい夜風に体がかたくなる。きっともう少ししたら、吐く息も白くなるのだろう。秋は短くて、なんだか儚い。

「岡部さん、薄着ですね。寒くないですか?」

 スラックスのポケットから自転車の鍵を取り出した日向くんが言う。
 日向くんの自転車の鍵には、猫のキャラクターのチャームがついている。あたしもすきなやつ、と思って見ていたら、ペットボトル飲料のおまけだと教えてくれたのは、昨日の話だ。

「寒いけど、ちょうどいい上着持ってなくて」
「買わないんですか?」
「お給料出たら買うよ」
「そっか……。大変ですね、一人暮らしって」

 曖昧に笑って、あたしは頷いた。
 そのとき、下からにゃあ、と鳴き声が聞こえた。視線を落とすと、あたしの足元に、白黒のぶち模様の猫がその太めの体を擦りつけているところだった。

「ゴマさん」

 勝手につけた名前を呼ぶと、猫が応えるように鳴いてくれる。
 あたしはしゃがんで、ゴマさんの背中をなでてやる。もこもこの毛並みが相変わらずあったかそうでうらやましい限り。

「岡部さんに懐いてますよね、ゴマさん」
「あれ、日向くんは猫村さんって呼んでるんじゃなかったっけ」
「あ……。えっと、俺もゴマさんになりました」

 と言ってはにかみながらも、日向くんは自転車の傍らに立ってこちらを眺めるだけで、ゴマさんをさわろうとはしない。不思議に思い、さわらないの? と訊ねると、えっ、と焦ったような声が返ってきた。

「もしかして日向くんって、猫苦手?」
「そ、そんなことないです。猫は大好きなんだけど……」
「猫アレルギー?」
「……いや、そうじゃなくて……その……」

 躊躇っているのか、日向くんの視線が泳いで定まらない。やがて意を決したような声で、噛みませんか? と、一言。

「俺、ちっちゃい頃なんですけど、友だちの家の子猫に思いっきり噛まれたことがあって……それが微妙にトラウマというか……」
「……大丈夫だよ、か、噛まないよ」
「ひどい、岡部さん笑ってる」
「申し訳ない」

 申し訳ないとは思うけれど、肩がぷるぷるふるえてしまうのを隠せない。
 こんなに大人びた外見なのに、彼はいちいちギャップをかましてくるのだった。でもそれは、あたしにとってはいい意味でだ。気取らない姿は、日向くんに対する心の距離をどんどん近いものにさせてゆく。親しく話せる人が増えることはうれしい。

「日向くんっておもしろいね」

 純粋な気持ちでそう言うと、しかし日向くんは実に微妙な面持ちになった。
 と、日向くんの動かなかった足が動き出し、ゆっくりとこちらへ歩み寄ってきた。黙ってあたしの傍らにしゃがむ。そして指先でそうっと、もこもこの毛並みにふれた。
 ゴマさんは、まるで若い新人社員を見守るベテラン上司のように、寛大な姿勢を崩さない。ゆったりとその身を晒している。
 ゴマさんが噛まないとわかると、日向くんは今度はちゃんと手のひらで、ゴマさんの頭をゆるゆるとなでた。

「かわいい……」

 緊張がほぐれたように心底うれしそうに言う日向くんにつられて、あたしもなんだかうれしくなってしまった。
 ゴマさんをなでる日向くんの手は大きい。けれど、きめ細かくて線がすっとしていて、きれいだ。
 壊れ物を扱うように丁寧に、大事にふれる、やさしそうな手だな……。

「あ、そうだ。岡部さん、猫村さんの漫画――」

 はっと視線を上げると、日向くんの顔は普段よりとても近い距離にあった。
 手もそうだけど、こうして改めて見ると、日向くんはほんとうにきれいな顔をしているのだった。童話に出てくる王子さまのようだ。パッチリとした二重まぶた、アーモンド型の目がうらやましくて、思わずまじまじと見つめてしまう。

「――っ」

 パッと視線が逸らされた。かと思えば、日向くんは突然うずくまり、つらそうに深いため息を吐き出した。
 どうした、という声でゴマさんがにゃんと鳴く。あたしも焦る。

「日向くん、どうしたのっ? だいじょうぶ? お、お腹いたいの? そうなの?」
「……心臓痛い」
「し、心臓!?」

 予想外の臓器が出てきてうろたえるあたしに、すみません、大丈夫です、とかすれた声で伝えると、日向くんはその場でふらりと立ち上がった。が、あきらかに顔が赤い。とても大丈夫には見えない。

「岡部さん、送ります」

 そんなあたしの心配をよそに、今度ははっきりとした声で告げて、ちゃんとまっすぐ自転車のほうへと向かっていく。
 制服を着た背中は、日向くんが十七歳だということを思い出す。大人びた、でもあたしより二つも年下の男の子。

「一人で帰れるよ。……大人だし」
「だめ。女の子なんだし」
「……」
「……車じゃなくてすいません」

 キッパリと言われて言葉をなくしていたら、すぐに申し訳なさそうな謝罪が付け足されたので、あたしは思わず笑ってしまった。
 ふと、鳴き声が聞こえたので、そちらを見ると、ゴマさんが太いしっぽをゆらしながら去っていくところだった。
 じゃあな、というように、夜闇で光る目が一度だけこちらを見やった。

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