朝ごはんを一人で食べた。
 けーたを起こしたら、いつもどおりいっしょに朝ごはんを食べてくれたかもしれない。でも、やっぱりどうしても、いつもみたいに寝室のドアを開けることができなかった。冷蔵庫から苺のジャムを出しても、つまみ食いする気になれない。
 ほんとうのところ、朝ごはんを食べるほどの食欲なんて湧いていなかった。だけど、食べないと、一人で立っていられない気がした。

 食器洗いを済ませてから、シャワーを浴びた。けーたのおさがりではない、数えるほどもない自分の服に袖を通す。七分袖のTシャツに、スキニージーンズ。
 Tシャツじゃもう寒いな。上着がほしい。でもここに来たときに着ていたモッズコートは、着るにはまだ時期が早いし。

「バイトしようかな……」

 あたしは、力なく呟いた。


 猫はいいな。
 服なんかなくても、暑くなれば無駄な毛は抜け落ちるし、寒くなれば勝手にもこもこになるし。

「もこもこ、いいな」

 あたしにお腹をなでられる猫が、にゃあと鳴いた。いいだろう、とまるで自慢気なふうに。
 昼時だというのに、コンビニ周辺は閑散としている。休日だからだろうか。
 ところで、散歩がてらよく立ち寄るコンビニの駐車場には、たまに猫がいる。
 白黒のぶち模様の野良猫。野良のくせに妙に人に慣れており、少しデブな風貌のせいか、人を小馬鹿にした雰囲気のいけすかないヤツだ。
 あたしは、こいつをゴマさんと呼んでいる。いけすかないヤツだけど、駐車場で出会えば擦りよってくるのでなかなかかわいい。
 ゴマさんがにゃんと鳴く。腹はもういい、次はこっちだ、とばかりに、ごろりと反転して背中を見せてくる。いけすかねえ、と思いながらも、もこもこの背中をなでてやるあたしを、ゴマさんは自分の子分だとでも思っているのだろうか。
 いけすかねえ。でも、かわいい。

「……ゴマさんは、いいね」

 ほんとうの猫で、いいな。

「あっ」

 ゴマさんが急に体勢を変えた。かと思えば、野性的な速さで、コンビニの裏手のほうへ走り去ってしまった。
 突然のことにあたしは呆然としながら、デブだけどやっぱり野良猫だったんだな、と感心するのだった。

「……あ」

 その声と、自分に影が落ちていることに気づいたあたしは、しゃがんだまま顔を上げた。
 やさしそうな色の瞳と目が合った。その瞳はあたしを見下ろしながら、躊躇するようにゆれた。

「こ、こんにちは」

 青いストライプのコンビニの制服を着たその人が、あたしにペコッと頭を下げた。つられてあたしも、小さく頭を下げて挨拶を返す。

「こんにちは……」
「今日は早いんですね」
「おにいさんも、いつも夜にいるのに」

 あたしが言うと、彼ははにかんだ笑顔を見せた。

「日曜日だから。学校が休みのときは、昼からのシフトで入ってるんです」

 大学生なのかな、と思う。
 彼は、あたしが散歩がてら立ち寄るコンビニの店員さんだ。けーたと同い年ぐらいの、でもけーたとはまったく対照的な、やさしそうな雰囲気のおにいさん。
 あたしは夕方から夜の時間帯にコンビニに立ち寄ることが多いのだけど、レジにはたいていおにいさんが立っていた。でもその事実にあたしが気がついたのは、わりと最近のことだ。最近、お会計をするときにおにいさんから挨拶をされるようになって、ようやく気がついたのだった。

「さっき、猫村さんいました?」

 おにいさんの言葉に、あたしは思わず小首を傾げた。猫村さんって誰だ。

「もしかして、ゴマさんのこと?」
「ゴマっていうんですか? あの白黒の猫」
「あたしが勝手に呼んでるだけ……。猫村さんっていうんですか?」
「あ、いや、俺が勝手に呼んでるだけ……。あの、知ってますか? 漫画なんですけど……」

 知らない、とあたしが笑うと、おにいさんも笑ってくれた。やわらかくはにかんだ笑顔で、じゃあ今度貸しますね、と言う。
 まるで友だちみたいな会話をしている。お互いの名前も知らないというのに。

「外でしゃべってて怒られないんですか?」
「あっ、やべ」

 あたしが言うと、思い出したようにおにいさんが慌てた。
 手に持っていた筒状にまるめたポスターを広げて、コンビニの自動ドアに貼り付けはじめる。自動ドアはロックしているのか、おにいさんが前に立っていてもじっと動かない。
 あたしはというと、貼り付けられたポスターの内容に釘付けになっていた。

「バイト募集するの?」

 思ったことがそのまま口をついて出た。
 貼り付け作業を終えたおにいさんが、驚いた顔であたしを見る。
 ポスターには、【フリーター大歓迎!】という赤い文字が力強く主張していた。

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